第8話
燃えていた。宮殿のような八上の家が真っ赤な炎に包まれていた。
ある程度離れた場所から燃え盛る屋敷を眺めているのに、熱風の影響を受ける。熱かった。
――と、そんなどうでもいい感想を抱いている場合ではない。
俺は周りを見回す。野次馬やメイドや使用人が目に入ってくるが、肝心の八上卯白と須世理琴音の姿が見当たらない。須世理に電話を掛けてみたが、出る気配はなかった。誰かに訊いた方がよさそうだ。
誰かいないかと、見回してみると都鳥さんが呆然と立っているのを発見した。
「都鳥さん!?」
と、俺は半ば掴みかかるように彼女に迫る。
「須世理は!? 八上は、どこにいるんですか!?」
問う。しかし、
「ち、がう……」
と、都鳥さんは言った。それは、俺の望んだ答えではない。答えにすらなっていない。そもそも何が〝違う〟のだ。そんなの知ったこっちゃないんだ! そんなことよりも、
「都鳥さん! 俺が訊いてるのは八上と須世理の居場所で――っ!?」
「違う! 私じゃないっ!?」
そう言って、俺の手から逃れる都鳥さん。そして、頭を抱えて蹲る。その取り乱しようは、メイドの鑑とはなり得ないものだった。
「ちが、違うのよ……私じゃ、ない。そんな、違うのよ。だって、そんな……まさか、だって、ただの夢だから、こんな……ほんとになるなんて……」
ぶつぶつとそう呟く都鳥さん。にしても、何だって? ただの夢だから……?
「夢だから、ほんとにならないから。そう言われたから……だから、だから、やれたのに……だから、やったのに……なんで、こんな、こんなことに……なってるの……おかしいよ。悪夢を見せられるって言われて、それで金持ちに近づいて、嫌がらせ、したのに……」
ガツンと、殴られたような感覚に陥った。
それは……つまり、その……そういうことなのか? その発言は、つまり、そういうことなのか?
八上卯白に悪夢を見せていた犯人は――都鳥さんということか?
でも、どういうことだ。都鳥さんの発言では、まるでこうなることが本望じゃなかったみたいではないか。都鳥さんとしては、ただ八上に悪夢を見せて嫌がらせができればそれでよかっただけで、その悪夢を実現させることは本望じゃなかったのか。この人はただ、八上が悪夢で悩んでいる様子が見たかっただけなのか。それに、「そう言われたから」という発言も引っ掛かる。だってそれはつまり、誰かに件の悪夢を見せる魔術を教示させられて、及んだ犯行ということだ。
――三枝咲絵の件と同じだ。彼女も、突如届いたメールに記された呪いの方法をただ行っただけだった。
刹那。花火のような凄まじい爆発音が耳朶を叩く。あまりの音に耳が壊れそうになった。
ハッとして八上宅の方を見遣ると、柱の一本が焼け落ちて半壊する様子が見受けられた。そして、爆炎が舞い上がった。
須世理! 八上!
都鳥さんのことは後回しだ。今はどうでもいい! 今重要なのは、須世理と八上の安否である。居場所である。くそ! どこにいやがる。貧乳オカルト探偵とブルジョワジー!
次に、俺は執事を見つけた。あの執事だ。コンビニに行こうとした俺を裏口まで案内してくれた、あの執事。
「すいません!」
話しかける。執事はこちらを向いた。俺は捲し立てるように質問をした。
「八上と須世理はどこに!?」
「まだ、中に――」
それ以降の言葉は聞かなかった。俺は、足を繰り出していた。くそくそ! なんでまだ中にいるんだよ、二人とも!?
正面から突入すると消防団に阻まれる。そう思って、俺は脇の方か敷地内に侵入した。そして、そのまま裏口がある方へ向かう。バラ園を横切り、池を横切る。池を横切る際、池の水を、近くに放ってあったバケツを使って掬い取り、頭から被った。寒気が襲ってぶるると身震いをした。しかし、これでいい。だって、今から俺はこの燃え盛る炎の中に身を投じるのだから。
裏口は開いていた。しかし、その開いた裏口から見えるのは一面の紅蓮だ。
一瞬、躊躇う。しかし、そんな場合か! 女の子を襲う度胸はないけれど、女の子を助ける度胸はあるつもりだ! 大丈夫だ! 行ける! 俺なら行ける! 怖気つくな。怯えるな。心配いらない。大丈夫。
地面を蹴る。走る。風よりも速く。
「オォオオオオぉおおおおおおおおおォ――――――ッ!?」
雄叫びを上げながら、突っ込んだ。その紅蓮の中に身を投げ入れた。――瞬間、熱気を吸い込む。肺が一瞬で熱くなる。サウナに入ったときの感覚に似ていた。でも、それよりも肺に入り込む熱気は熱過ぎるもの。思わず噎せた。
バチバチと音を立てて、火の粉が舞っていた。壁が燃えていた。柱が燃えていた。柱のいくつかは、倒れて廊下に横たわっていた。目の前にはとにかく炎。炎・炎・炎。
だが、ここまで来てそんなことを気にするな。俺の目的は何だ? 八上を、須世理を、ここから助け出すことではないか。もしかしたら、二人とも死んでいるかもしれないが、そんな最悪は考えるな。今、持つのは希望だけで充分だ。絶望は、現実を見てからにしろ!
慎重に急ぐ。俺は足を進める。前を阻む柱は飛び越えるか、隙間を縫って行くかする。ジャージの袖を口と鼻に宛がって、できるだけ煙を吸い込まないようにするが、苦しいものは苦しかった。
くそ! くそ、くそ! 炎よ、どうして俺の行く手を阻むのだ! 煙よ、どうして俺を苦しめるのだ! 柱よ、どうして俺の前に倒れているのだ!
怒っても仕方のないものに、つい怒りを露わにしてしまう。
何とかして、八上の部屋の近くまでやって来た。すでに息は絶え絶えだった。
ふと、人影を見た。火の及んでいない壁に手をついて、辛そうにのろのろと歩いている。――八上だった。
「八上!」
叫ぶ。八上はゆらりと頭を上げて、俺を見た。
「杵築くん!」
と、返ってくる。俺は八上に近づく。八上もこちらに近づいてきた。そして、俺たちは互いに近くで確認する。
「おい、大丈夫か?」
「うん。で、須世理さんは?」
「今から探しに行く」
「ん? どういうこと? 同じ部屋なのに、その言い方はおかしいよ」
「いや、俺、ちょっとコンビニに行ってたから。ここが火事って分かったのはコンビニから帰ってきてから」
「え、それってつまり、杵築くんは敢えてここに飛び込んできたってこと?」
「そうだよ。……とにかく、早く行くぞ。さっさと須世理を見つけて、ここを脱しないと」
とりあえず、八上が無事で何よりだ。あとは須世理だ。あいつの無事を確認するまではまだここを出られない。
轟々と、物体が燃焼する音が耳朶を打つ。紅蓮が目に焼き付く。しかし、気にするな。気にしては負けだ。気にした途端に怖気つく。そうなれば、もう何もできない。心配ない。できる。俺ならできる!
「大丈夫か、八上? 歩けるか?」
俺は八上を気に掛ける。これで、もし八上が動けないとか言い出したら、抱えてでも連れていく。しかし八上は、
「大丈夫。ちゃんと歩けるよ。杵築くんもいるし、心配ないよ」
そう言った。
「離れるなよ」
言って、俺は歩き出す。慎重に。それでいて急いで。八上も俺について来た。よし、本当に大丈夫そうだな。
四苦八苦しながらも、俺たちは俺と須世理の泊まることになっていたゲストルームまでやって来た。ここまで来る途中、須世理とは出会わなかった。だから、もしかするとまだこの中にいるかもしれない。
バン! と。勢いよくゲストルームの扉を開けた。
そこには、須世理がいた。須世理が、ベッドの上で寝てもとい倒れて――いや、やはり、寝ていたと言うべきか。とにかく、須世理はベッドの上に横たわっていた。それこそ、まるで死人のように。ふと、まさか! と思う。俺は急いで須世理の元に向かい、肩を揺すった。
「おい、須世理!」
肩を揺する。だが、起きる気配はない。
「おい!」
もう一度、揺すった。だが起きない。
八上が須世理の鼻の前に手をかざして、呼吸の有無を確かめた。そして、次に須世理の胸の方見遣った。俺も八上に釣られて、須世理の胸の方を見る。すると、須世理の胸は上下していた。
「大丈夫。息はあるよ。気を失ってるだけみたい」
気を失っているとは言うが、おそらくこの場合での意識消失は一酸化炭素中毒による酸欠が原因だと思われる。早くここから出してやらないと取り返しのつかないことになりそうだ。
俺は動かない須世理を背負った。須世理は完全にこちらに身体を預けており、手はだらーっと垂れている。そして、重い。意識のない人間を背負うと重たく感じるというが、まさか本当に重いとは。こういうときは、須世理の身体は意外にも軽かった、なんて表現をするものではなかろうか。それなのに、表現するならばこうだ。もう率直にこうだ。これしかない。
須世理の身体は意外にも重かった。




