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オカルト探偵・須世理琴音の不可思議事件覚帖  作者: 硯見詩紀
第二章 翡翠の姫、襲来
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第12話

 沼名河との話を終え、俺は事務所へと赴いた。扉を開けて、事務所に入ると――須世理琴音がこちらをキッと睨んでいた。


「杵築くん?」


 と、低い声で俺の名を呼ぶ須世理。


「ど、どうした? 何? 怒ってんの?」


「どうして私があなたに怒らないといけないのよ?」


「いや、だって……」


 見るからに不機嫌でしょ? お前?


「ねぇ、歌恋と何を話していたの?」


 須世理が訊く。えーと、どうしてそれを……?


「何を、言っているんだ?」


「白を切っても無駄だから。ここから『ザ・コーヒー』の店内は見えるのよ? 窓際の席とかもう丸見え」


 ……そういえばそうだったなぁ、と思った。俺は、事務所の窓から対面の喫茶『ザ・コーヒー』の方を見る。須世理の言う通り、ここから『ザ・コーヒー』の窓際の席に座っている客は見える。顔まではくっきりと見えない。見えないけども、知り合いがあそこに座っていたら、たとえ顔が見えなくてもぼんやりとした輪郭で「あー、あいつだな」と予測することはできるだろう。そして、俺と沼名河は窓際に座っていた。須世理はそれを見て、俺たちだと分かったわけだ。


「で、何を話していたの?」


 須世理が言い寄ってくる。


「いや……」


 沼名河との話って、さすがにこいつにするわけにはいかないよな。だって、こいつのことなんだから。


 須世理がいない所で須世理の話をしていた。そんなことを言えば、須世理がさらに不機嫌になること間違いない。それに内容は、主に須世理の過去のこと。今まで俺に過去のことを話していないところを見ると、須世理はあまり自分の過去を穿り返されたくない人間だと思われる。


「……ただの、世間話だよ」


 苦し紛れに俺はそう言った。


「ただの世間話で、一杯九〇〇円のコーヒーを売る喫茶店に入るかしら?」


 ぅぐ、と。喉の奥から変な音を出してしまう。須世理は、俺を――俺の目を見つめる。おいおい、そんなに見つめないでくれ、小っ恥ずかしい。俺は、ゆっくりと眼球を横に動かし、視線を逸らした。


「目を逸らしたわね? 何か、隠しているでしょう?」


「いや、ほんとに些細な話だよ。お前が気にすることじゃない」


「気にするほどじゃないと言われると気になるのが人間の性だとは思わない? 杵築くん、歌恋と何を話していたの?」


「あー、えーと、だな。それは、まあとてもとても普通な世間の話をだな……」


 俺が容量を得ないことを言うと、須世理がじろりと半眼で俺を見る。そして、言う。


「いいわ。歌恋に直接訊く」


 須世理はスマフォを取り出し、電話を掛ける。相手はたぶんと言わず絶対に沼名河だろう。


「もしもし歌恋? さっき、杵築くんと一緒にいたらしいけど、何を話していたの? 杵築くんが喋ろうとしないのよ」


 須世理は、うんうんと頷きながら話を聞いていた。電話の内容は俺には分からないが、沼名河のことだ。適当な嘘をでっちあげて、それを話しているのだろう。


「うん……うんうん……それで、うん…………え、えぇっ!? ちょっ、それってどういうことっ!?」


 従順に話を聞いていた須世理だが、いきなり声を荒げる。え! 何? 何があったの!?


 須世理は荒々しく通話を切った。そして、どういうわけか赤面しながらギロリとこちらを睨みつける。その目は少し潤んでいるようにも見えた。そういう目で睨まれると、また別の意味で怖いんだけど。


「ど、どう、しましたか?」


 俺は、恐る恐るゆっくりと、そう口を開いた。


「杵築くん……」


 今にも泣きそうな声で、須世理が言う。なんだよ。沼名河の奴、一体何をこいつに吹き込んだんだ?


「私のいないところで、私の胸を揶揄するのはいけないことだと思う!」


「はあ!?」


「歌恋から聞いたわよ! 杵築くん、歌恋にこう訊いたんだよね? どうして須世理の胸はあんなに小さいのかな? って!?」


 待て待て待てい! 沼名河の奴め、嘘を言うにしてもそういう嘘はいけないと思う! もっと、真っ当な嘘があっただろう? どうしてよりにもよって、俺が須世理の胸を揶揄したっていう嘘を吐いたちゃうのかなぁっ!? 悪ふざけが過ぎるぞ、沼名河! 今頃、あいつはどこかで腹を抱えて笑ってるんだろうな。なんかムカつくっ!


「そりゃあ、確かに私の胸は平均より小さいだろうけど……でも、陰口叩くのはどうなの! さすがに陰湿過ぎない!? そんなに私の寂しい胸がご不満なら、面と向かって言いなさいよ! このバカ!!」


「バカって、お前……」


 言い過ぎですよ、須世理さん。でも、言い返せないんだよな……。だって、そもそも嘘だもん、これ。須世理は、沼名河の吐いた嘘を本当のことだと思って、俺に対して怒りをぶつけている。それに、俺がむきになって言い返すのは、さすがに大人げないというものだ。


「大体なんなの、あなた!? そんなに大きなお胸が好きなわけ? スケベなわけ!? 変態なわけ!? エロ野郎なわけ!? 前々から思ってたのよ。お風呂は覗くし、歌恋に抱き着かれて鼻の下伸ばすし、それに私の胸を揶揄するし! 最低。ほんと最低っ! 死ねばいいのに!」


 いやいやいや! 死ねはさすがに言い過ぎじゃないのかな!


「ちょ、ちょっと、落着こうか、須世理さん?」


「あなた、そんなに胸が揉みたかったわけ!? 歌恋の胸が揉めなくなったから、私で代用しようとしてるんでしょう? だから、どうしたらあいつの胸大きくなるかな? なんて、相談をしたの!?」


 そんなことまで言ったのか!? 沼名河の奴!


「いや、別にお前の胸が揉みたいわけじゃ……」


「はぁ!? 何それ? 揉めないって言いたいの?」


「いや、そういうわけでも……」


「じゃあ、どういうわけ!?」


 だから、俺は沼名河とお前の胸の話をしていたわけではないのだ。嘘なんだよ。……でも、嘘だと言えない理由がある。本当のことを言っても、須世理はそれなりに怒りを表すだろうから。


「ねぇ!? 何か言いなさいよ? 胸が不満ならそう言えばいいし、他にも不満があるならちゃんと言いなさいよ。言わなきゃ何も分からないじゃない!」


 須世理は、俺を見据えて言う。その目は潤んでいて、今にも涙が零れそうだった。頬は紅をさしたように赤い。……そういう表情を取られると、すごく後ろめたいわけだよ。ただの嘘――冗談なのに、こうも本気に捉えてくれるとは。


「べ、別に、不満はないよ……」


「でも、胸は不満なんでしょう?」


「いや……それは……」


 俺は口ごもる。ここは、どう返すのが正解だろうか。そもそも、沼名河と須世理の胸の話をしていない。本当は須世理の過去のことを話していた。でも、そんなこと須世理には言えない。


だから、俺と沼名河は須世理の胸の話をしていたということになっている。この嘘を破綻させないためには、俺はここでどんな言葉を発するべきだ? 俺は逡巡の後、こう言った。


「あれだよ。俺はこう言ったはずなんだ。『須世理は自分の胸を気にし過ぎだ。あんなに小さくても、俺は別に気にしないのに。どうしたら、あいつは自分のコンプレックスを気にしないのかな?』って。たぶん、沼名河はそれを要領よくお前に伝えられなかったんだよ。それで、結果的にお前は変な解釈をした」


 おお、この理由付けはなかなかのものじゃないか。我ながらに。


「だから、まずは落着こう。とりあえず、落着こう。昂奮し過ぎだ」


 須世理は、きょとんとした顔をしていた。見た感じ、熱は冷めてくれたようだ。


「それ、ほんと?」


 須世理がぽつりとそう言った。言って、上目遣いに俺を見る。


「ああ、本当だ。本当だ」


 俺はそう言っておく。沼名河と須世理のコンプレックスについて話していたというのは嘘であるし、須世理の胸に不満があると言うのも嘘である。別に、俺は須世理の胸が小さいことに不満は抱いていない。そりゃあ、俺も男だから女性の胸は大きいに越したことはない――でも、俺は胸の大きさとか基本的にどうでもいい人間なのだ。小さいからと言って、大きくしろなどとは言わない。


「ほんとにほんと?」


「しつこいな。本当だよ」


「じゃあ、杵築くんは私に不満は一切ないと?」


「ああ。つーか、お前のどこに不満を持てと?」


 美人で頭のいい、そして時々可愛らしい。そんな彼女のどこに不満を抱こうか。いや、どこにも不満なんてない。


「そう、なんだ……」


 ふと、少しだけ俯く須世理。俺はそれを見下ろす形で見る。彼女は依然として赤面した顔に潤ました目をしている。でも、その表情には、どこかホッとしている様子が見られた。そんな須世理を見て、俺もホッとする。正直、このままわんわん泣き出したらどうしようとか思っていた。沼名河が言っていたではないか。――琴音を悲しませたら容赦はしない、と。もし、ここで須世理に泣かれたら、俺は沼名河に罰せられていましたよ。


「あのさ、杵築くん」


 矢庭に。須世理が俺の名を呼び、言う。


「今は不満がなくても、これから不満が生まれるかもしれない。もし、杵築くんが私に不満を持ったなら、そのときはちゃんと私に言ってほしいの。私、ちゃんと改善するから」


 その言葉はまるで俺に媚び諂っているように思えた。俺に気に入られたいから、そんなことを言っているように思えた。


「分かった。不満があれば言ってやろう。でも、だからって無理して変わろうとしなくていい。別に、無理して改善しようとしなくていい」


 須世理琴音はそのままでいい。誰かのために無理して自分を変えようなんてしなくていいのだ。大体、誰かのために自分を変えるなんてダメ人間のすることだと思う。


「でも、それじゃ……」


 そこまで言って須世理は口ごもった。その先の言葉は俺でも予想ができた。だから、俺はこう言った。


「心配しなくても、ちょっとやそっとの不満で、助手は辞めないよ。親から教えられてるもんでね。やると決めたことは責任持ってやり通せ、って」


 すぐに辞めるようなら、そもそも俺はお前の助手をやっていない。できると思ったから、俺はお前の助手になったのだ。できないことはしない。俺はそういう人間だ。


「……そ、そっか」


 須世理は安堵したのか溜息と共にそう言った。


 俯いているから、その顔の表情は窺え知れないが、別段、怒っているとかそういう風には見えないから、まあよしとしよう。


 それにしても……まったく、沼名河の奴め。お前の所為で、豪く大変な目に遭ったではないか。今度会ったら、一言言っておいてやらねばいけないな。


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