第10話
そこはいつものストリート。人の行き交うストリート。雑踏がいっぱいのストリート。
ハッと、我に返ったら、俺はそんなストリートにいた。そして、目をぱちくりさせ、前を見る。眼前には、他校の制服を着た一人の少女がいた。
「はいはーい。あんたが、新人ワトソン君だね。実際に面と向かって会うのはこれが初めてだねー?」
少女が言った。その口調は、あの天の声と同じもの。ということは、彼女が――
「沼名河歌恋?」
「その通り」
言って、彼女はにひぃと笑った。
沼名河歌恋は、それなりに美人だった。須世理と比較すればさすがに劣るけど、そもそも須世理は美人過ぎるので、沼名河を美人と称してもさして問題はないだろう。ほんのりと茶色がかった髪は、自然なものではなくあからさまに染めたもので、そんな茶髪は肩のあたりまで伸びたセミロングヘアだ。少し目尻が上を向いているつり目に、普通としか称し得ない鼻や唇。身体は須世理同様に痩せ形だ。ただ、胸は須世理よりもあった。格別大きいわけではないが、貧乳というわけでもない。平均よりはやや大きいのかもしれない。まあ、バストの平均サイズなんてよく知らないけど。
「にしても、よく分かったねー? 私の名前が……って、そうか、どうせ琴音が解き明かしたんでしょうね。そうでしょ、ワトソン君?」
「……杵築だ」
「は?」
「俺の名前は、杵築出雲だ。ワトソン君じゃない」
「ん、ああ、はいはい、そうだね、そうだよね。ごめんごめん、出雲くん」
いきなりファーストネームで呼ばれたので、少し胸が高鳴ったし、照れた。下手したら、好きになっていたかもしれない。危ない危ない。……馴れ馴れしい女の子って、よくいるよね。こういう奴って大抵スクールカーストでナンバーツーくらいにいるんだよ。いわゆるビッチ系。
「それで、琴音だよね? この謎を解いたのは」
沼名河は、そう言った。ここで強がって、自分が解き明かしたんだーなんて言うのは大人げないし、男として――つーか、人としてどうなの? と思ったので、事実を言う。
「そうだよ。全部、須世理の受け売りだよ。レーシーの伝承に基づいた魔術を使ったってのも、お前の出題したクイズの答えから、お前の名前を割り出したのも、全部な」
「ふーん」
と、沼名河は息を吐き、
「さすがは琴音ね。毎度のことながら、頭がいい」
まったく、同感である。
「――歌恋」
と、凛然とした声が聞こえた。沼名河の後ろに須世理がいたのを俺は確認する。沼名河は振り返り、
「おっひさー、琴音」
と言った。
須世理は呆れ顔で、
「歌恋、あなた一体どういうつもりなの? どういう意図があって、杵築くんに嫌がらせをしたの?」
「ええ? そんなの決まってるじゃん? 新人ワトソン君の力試しだよー」
「私は、新たに助手を取ったなんて誰にも言ってないはずなんだけど?」
「あたしは、いつでもどこでも琴音のことを見守ってるんだよ。それこそ舐め回すようにね」
「気持ち悪いことを言わないで。今すぐ、ストーカー容疑で警察に差し出すわよ?」
須世理が半眼で沼名河を睨み、そう言った。
「きゃー、怖いよー。助けてー、いずもーん」
突如、沼名河がそんなこと言って、俺の右腕に抱き着く。――って、え!?
「ちょ、おまっ」
俺は自身の右の二の腕に、柔らかいものが当たっているのに気付いた。たぶん、これは、あれだ。あの、沼名河の平均サイズよりやや大きめの――胸だ! 理性が、飛ぶぞ? つーか、飛ばす気ですか!?
「お前っ、どういうつもりだ……っ!?」
「助けてよ、いずもん。琴音がいじめるー」
言って、胸をさらに押し付ける沼名河。なんだよ、このありきたりのラブコメ展開!? つーか、こんなの体験するもんじゃない!? 大体、まさかのまさかでこんな奴がいたとは! 沼名河歌恋、キサマ、まさかほんとにビッチなんじゃないだろうなっ!?
とにかく、脱したい。沼名河の腕を振り解いて、この状況から脱したい。そろそろ、マジで理性が飛んで鼻血出そう!
俺は助けを求めるように、須世理の方を見た。見たのだが、当の須世理は半眼で俺を睨みつける。あからさまに不機嫌だった。
「歌恋」
と、須世理が低い声で言う。
「何かなー。まさかのまさかで、嫉妬しちゃった?」
意地悪そうな笑みで、沼名河が言った。
「なんで、私が嫉妬しなくちゃいけないの。別に、そこまでの関係ではないわ」
「じゃあ、あたしがいずもんを貰ってもいい?」
「彼は私の助手よ。ダメに決まってるでしょう?」
「大丈夫。琴音から助手は奪わない。ただ、あたしがいずもんと恋人同士になってもいいか、って話だよん」
「はぁ!?」
どきり、と。無駄に胸が高鳴って、全身が熱くなった。沼名河さん、あんた何言っちゃってるの? それって、遠巻きに俺に告ってるの? いやいや、ないない。こんなビッチな子が、俺なんかに興味を示すわけがないのだ。つまり――冗談だ。冗談に違いない。
「今日、会ったばかりの男のどこが気に入ったのよ?」
須世理が、そんなことを訊く。
「えぇ? そんなの、あれだよー。一目惚れってやつー?」
「お、お前、冗談で言ってるんだよな?」
俺は沼名河にそう訊いた。すると、彼女はこちらに顔を向け、また意地悪そうににひぃと笑い、
「いずもんは、どう思う?」
「な、何が?」
「あたしの言ってること、冗談だと思ってるの?」
「すごく冗談だと思ってる!」
「んー、それは残念」
沼名河は俺の発言を聞いて一瞬だけ眉尻を下げ、
「ま、実際、冗談なんだけどねっ」
そう言って、にししと笑った。
俺は、ほっと胸を撫で下ろした。冗談でよかった。冗談じゃない、なんて言われて日には、どうしたものかと思ったよ。……正直、沼名河みたいな子はあまりタイプではない。俺の好みはスクールカーストの上の方でふんぞり返っている奴らより、地味目な子なんだよ!
「冗談なら、いつまでそうやって恋人ごっこをやっているつもりなの?」
須世理が、未だ低い声でそう言った。そうだ。そうなのだ。沼名河は、どういうわけかまだ俺の右腕に抱き着いたままなのだ。
「おい、沼名河。いい加減、離れろよ」
「あ、離れていいの? せっかくのお胸の感触がもう味わえないよ?」
「……っ。も、もういいよ。いいから、さっさと離れろ!?」
「そう。つまりは、もうたっぷりとお胸の感触を味わったから満足ってことだね! でも、また恋しくなったら、あたしを呼んで。また、味あわせてあげるから。さすがに……ねぇ、あれじゃ無理でしょうから」
ちらっと、沼名河は須世理の方を見て、そう言った。……いや、もう結構だから。早く離れて、沼名河さん。
沼名河は俺から離れてくれた。少し惜しい気がした……いやっ、全然してない! 断じてしてない! もう結構だと、さっき思ったばっかじゃねぇか! まったく、俺っていう奴はっ!!
「もう恋しくなっちゃった?」
沼名河が俺の顔を覗き込むように見て、そう言った。いやいやいやっ。
「っ。んなっ、そんな、わけないだろーがっ!?」
俺の反応が面白かったのか、沼名河は「くくっ」と笑う。……ったく、沼名河め。絶対、からかっているだろう。
「……で。歌恋、あなた結局何がしたかったのよ?」
低い声で須世理が言った。まだ怒っているんだろうか?
「何って、初めに言ったじゃん? いずもんの力試し。ちゃんと、琴音の助手にふさわしいかどうかね」
「本当に? 他の理由があるんじゃないの?」
「ないよ、そんなの。そんなに疑うなら、その聡明な頭で考えてみればいいじゃん。琴音なら、すぐに分かるでしょ? もし、あたしが別の理由を隠し持っているのなら、それが何なのか」
言われて、須世理は顎に手を当てて考える仕種をする。そして、ひとしきり考えたのか、
「まあ、そうね。そのようね」
須世理はそう言った。
「ほらねー。あたしは、琴音に隠し事なんてしないんだよ」
……それにしても、沼名河は俺の力試しをしていたと言った。沼名河の性格から察するに、そんなことをした理由は面白そうだからとか、そういうことなのだろう。つーか、俺の力試しとか言いつつ、実質これはただのちょっかいだったと思う。まあ、ともかく、その力試しの結果とはどうだったのだろう。地味に気になる事柄だ。
「結局、お前は力試しをして、何が分かったんだ?」
矢庭に、俺はそう尋ねた。沼名河は意地悪そうな笑みを浮かべたまま、こう答える。
「まあ、今のところは、助手として及第点だってことかな」
「助手に、及第点とか落第点とかあったのかよ」
「もちろん。判断はあたしの独断と偏見だけどねー」
あ、そう。つーか、もし落第点だったらどうするつもりだったんだろう。
「いやー、にしても新しいワトソン君と上手くやっているようで何よりです! もし、落第点のクソ野郎だったら、今ここでクビを斬ってたよ。比喩とかじゃなくて、マジでリアルで」
それはつまり斬首ということか? え、何? 俺、さりげなく命の危機だった? あー、おっかない!
「とりあえず、今日のところは帰るよ。琴音が、ワトソン君と上手くやっているのならそれでよしだよ」
「何なのあなた。私の、お母さんか何か?」
「いやいや、友達だよ」
「うざ」
須世理があからさまに嫌そうな顔でそう言った。
「あーっ、もう。そんなこと言わないの! いずもんに嫌われるよ?」
沼名河の意味不明な言葉に、須世理は反応に困っていた。
「まあ、いいや。とにかく、あたしは行くね。じゃーね。またいつか会おう、いずもん。いつでもどこでも、お胸を触らせてあげるからーっ!」
沼名河がビッチな発言を大声でしたため、通りを歩いていた複数人がこちらを見る。あー、もう! 今、絶対何か誤解されたよね!?
沼名河は、笑顔で手を振りながら、その場を去って行った。
「スゲー奴だな……」
俺は率直な感想を独りごちる。それに須世理が呼応して、言う。
「ええ。歌恋は、ああいう子なのよ。昔からそう。男女問わず憚らずに接するの。過剰なスキンシップも、その所為。あと、冴えない男を色香で弄り倒すのが好きなの。そして、印象として尻軽に見えるのだけど、実際ガードは堅いわ」
須世理は、俺を見る。つーか、睨む。
「だから、残念だったわね、杵築くん。たぶん歌恋は、もうあなたに胸を触らせる気なんてないわ。最後のあれは、歌恋の冗談」
「いや、別に残念じゃねーよ。つーか、面と向かって胸触らせろーなんて言えるはずもねぇだろ」
「どうだか。歌恋に抱き着かれたとき、鼻の下伸ばしてたくせに」
「お前っ、それはあれだ。男だからだ。あんなのを押し付けられたら、鼻の下伸ばすのも仕方ないだろっ」
あんな美乳に触れれば、鼻の下を伸ばすのも当然というものだ。つーか、そもそもあれで伸ばさないのは男じゃない!
「あんなの……」
須世理が、敵意剥き出しの目で俺を睨みつける。え? 何?
「そうですよ。どうせ、私はあんなのよりも小さいですよ。悪かったわね、小さくて!」
ふん、と。須世理はそっぽを向いた。そして、ずかずかと先へ進む。
「お、おい」
俺は急いで須世理の後を追った。
……女の子は分からないものだ。須世理琴音は、意外にも自身の寂しい胸のことを気にしているようであった。とりあえず、彼女の前で胸の話は避けた方がいいようだ。




