第14話
三枝咲絵は、もう嫌がらせをしないと約束してくれた。
須世理は、三枝に「どこでその魔術を知ったのか?」と聞いたが、三枝曰く「送られて来たスパムメールに呪いを掛ける方法が書かれていて、それを試してみただけ。本当に効果があったとは思わなかった。実際に、結祈が疲弊しているのを見て、もしかしたら効果があったのかと思って、ずっとそれを続けていた」と言っていた。
三枝にとって、クイックシルバーの伝承を基にした魔術――呪いを掛けるというのは三枝の中では気休めになっていたのだろう。まあ兎にも角にも、これで一件落着だ。これで結祈の部屋に起こるポルターガイスト現象はなくなるはず。須世理は、どこか釈然としない顔をしていたが、あまり気に留めないことにする。
いや、それにしても、須世理琴音は期待以上の働きをしてくれた。正直、オカルト探偵なんてただのばったもんだと思っていた。ただの中二病を拗らせた変人だと思っていた。でも、それは間違いで、実際にオカルトは存在し、須世理は中二病でもなんでもなかった。むしろ、頭のいい女の子だった。
……つーか、俺はとうとうオカルトの存在を認めてしまったぞ? まあいいか。オカルトが実在する世界もこれはこれで面白い。心のどこかで、微かにそう思える自分がいる。須世理琴音がいたからか、それともオカルトが本当にあったからか。どっちなのかは知らないが――まあ、面白かった。面白いなんて言うと不謹慎なのかもしれないが、それが俺の思ったことだ。
帰り際。陽はとっくに暮れていて、空には星がぽつぽつと静かにその弱光を主張していた。三日月は、ぽぅっと滲むように輝き、紫とも黒とも言えない空によく映えている。
俺と須世理は、街灯により仄かに照らされた道を、肩を並べて歩いていた。
「お前、どうするんだ?」
と、俺は訊く。
「どうするって?」
「いや、今日帰るのか、今日は泊まって、明日帰るのか」
もう事件は解決した。だから、須世理が俺ん家に泊まる理由はもうない。しかし、もう陽は暮れていて暗い。この時間帯に、女の子を家に帰すのは、どうにもこうにも心配だ。
「そうね……」
「もう暗いから、今日までは泊まって行けよ。こちらとしては別に構わないぞ」
「でも……あなたにまたお風呂を覗かれた堪ったもんじゃないわ」
「覗かねぇよ!? 俺は、同じ轍を踏まない男だ」
「どうかしら」
そう言って、不敵に笑って見せる須世理。信用されてねーな、おい。
「まあ、今日はもう暗いから、もう一日お世話になろうかな。お言葉に甘えてね」
「そうか」
よかった。たぶん結祈はもう三人分の晩飯を作っているだろうからな。
――ふと須世理が立ち止まる。
「どうした?」
振り返り、立ち止まった須世理に訊いた。
「さっきは、ありがとう」
須世理が唐突に、そう言った。
「は?」
俺は、いきなりのことであっけらかんとした。
それにしても……何が、だ? 俺はお前に感謝されるようなことしたか?
「さっき、私のフォローしてくれたでしょう。言葉に詰まった私の後を継いで、三枝さんを説得してくれた。正直、私にはあの後の言葉を紡げる自信がなかった」
「ああ」
まあ、確かに俺は言葉に詰まった須世理の後を継いで言葉を適当に紡いだ。
「そんなに大層なことはしていない」
そもそも、犯人を暴いたのは須世理だ。彼女が犯人を暴いていなければ、俺には三枝の説得はできなかった。そもそも、できるとは思っていなかった。三枝の説得ができたのは、ただ運がよかっただけだ。単なる僥倖だ。
「それでも、ありがとう」
優しい笑みを含んだ表情をして、須世理がそう言った。そのときの表情が思った以上に可愛かったので、俺は少したじろぎながら、
「どう、いたしまして……」
そう言った。たぶんそのとき、視線も少し逸らしたと思う。
「それでさ、杵築くん」
矢庭に、須世理が俺の名を呼ぶ。俺は怪訝な顔で彼女の方を見遣る。
「あなた――私の助手になる気はない?」
須世理がそう言った。……え? 唐突なことで俺は口を開ける。助手って、何? 首を傾げていると、須世理が言う。
「今、助手がいなくて大変なのよ。いろいろと、私一人でしないといけないから。もし、あなたが助手をやってくれると、いろいろと助かるのだけど? それに……あなたとなら、そのー、上手く、やって行けそう? っていうか……」
容量を得ない言い方だった。須世理の頬が少し上気しているように見えた。
「いや、そんな大事なこと……いきなり言われても、だな……」
答えに困るんだが。
「いきなり? 私は、前からこの質問を提議していたわよ?」
須世理のその言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。そして、少し考えて、俺はあることを思い出す。
須世理が上がった後の浴場の洗面台の鏡に書かれたあの文字。
――『Q』。
ああ、何となく分かってきた。
俺は、あの『Q』の字をクイックシルバー(Quicksilver)の『Q』だと思っていた。須世理が浴場で考えた末に辿り着いた結論を、何の気なしに鏡に書いたものだと思っていた。でも、あれは違ったのだ。いや、違わなかったのかもしれないが、違ったのだ。今、この状況では、あの『Q』はクイックシルバーの『Q』ではない。あの『Q』の字は――質問の『Q』なのだ。……まったく、あの字を一番初めに見たときに思ったことは、別に間違った解釈ではなかったのか。
「……で、どうなの? 杵築くん。……別に、無理強いはしない。嫌なら、嫌って言ってくれて構わないわ」
そう言いつつ、須世理の表情にはどこか寂寥感を漂わせていた。まったく、どうしてそういう顔をするかなぁ。
俺は、この『Q』に対して『A』を出さなければいけない。
さてはて、どうしようか? ……って、そこまで悩む問題なのか、これは?
俺には、思いつつあったことがある。オカルトの実在する世界も、これはこれで面白いと。
それに、正直なところ、このまま美少女である須世理琴音との関係が終わるのは惜しい気がしてならない。
俺たちを結びつけるものであった結祈の部屋で起こるポルターガイスト現象は解決して、俺は少し気を落としていた。これがどういう感情なのかは知らないが、それでもこのまま須世理と別れるのは何かが嫌だとどこかで思っていた。できることなら、この事件の終わりがきっかけで須世理との関係が途絶えるのは、避けたい。俺は、もっとこの世界を楽しみたい。それに……そんな寂しそうな顔をされると、断るに断れないというものだ。
そういうことだから、俺は彼女の質問にこんな答えを言うべきだ。
「俺は――」
俺は、須世理琴音の顔を見据え、
「――お前の助手になるよ」
これが俺の答えだ。それは、紛れもない正解だった。俺はそう信じている。
俺が答えを言った直後、須世理の顔が心なしか晴れた気がした。そして、彼女はこう言った。
「よろしくね。杵築くん」
夜なのに、彼女の笑顔は輝いていた。
そんな彼女の笑顔に見蕩れてしまったのは、言うまでもないことだろう。




