第13話
陽が暮れかかっていた。仄かに橙色を残した空が幻想的に見える。
俺と須世理は中学校の校門の前で待機していた。当然ながら、もう手は繋いでいない。繋ぐ必要もない。
俺たちが、ここでこうやって待機しているのは、ある人物に会うためだ。とりあえず言っておくが、妹の結祈ではないぞ。俺たちが待っているのは、今回結祈の部屋で起きたポルターガイスト現象――須世理曰く、クイックシルバーの伝承を基にした魔術を行使し、結祈に嫌がらせをした人物だ。
校門からは、部活を終えた生徒たちがだらだらと出ていく。たぶん、目当ての人物もそろそろ来るんじゃなかろうか。
――来た。あの子だ。ボブカットの可愛らしい女の子。結祈と同じ卓球部。実のところ、先ほど遠目から見たとき、どこか見覚えのある子だなと思っていた。確か、あの子は結祈の友達だ。たまに家に遊びに来ていたのを何度か見かけたことがある。名前は……確か……さえなんとかさんだ。……ごめん、全然、憶えていませんでした。
「ちょっと、いいかな?」
と、須世理がそのさえなんとかさんに声を掛ける。さえなんとかさんは、ボブカットの髪を揺らしながら、
「はい?」
と、振り向いた。その表情は怪訝そのものだった。だが、俺の顔を見ると、
「あ」
その怪訝な表情も少し和らぐ。
「結祈のお兄さん?」
と、ボブカットの女の子は言った。
「どうも。結祈が世話になってるな」
言いながら、俺は軽く会釈をした。
「結祈なら、まだ学校にいますけど?」
少女は言う。どうやら彼女は、俺が結祈の迎えに来たものだと思っている。
「いえ。あなたに用があるの」
そう言ったのは須世理だ。
「歩きながらでいい。少し、お話をしましょう」
「は、はあ……」
ボブカット少女は、怪訝な顔で須世理を見つめる。
「私は、須世理琴音よ」
矢庭に、自己紹介。それを聞き、少女の方も慌てて、
「あ、わたしは、三枝咲絵です」
「そう。じゃあ、三枝さん。行きましょうか」
言って、須世理が歩き出す。俺は三枝咲絵と顔を見合わせ、一緒に首を傾げた。そして、とりあえず二人して須世理の後を追う。
*****
須世理琴音と三枝咲絵が肩を並べて歩いている。俺は、その一歩後ろをついて行く。
「単刀直入に言う」
と、須世理が言った。
「はあ……」
と、三枝は容量を得ない声を出す。その横顔は、未だに怪訝だ。たぶん、須世理が何を言っているのか分かっていない。
「あなたでしょう? 杵築結祈に嫌がらせをしているのは」
……いくらなんでも単刀直入過ぎやしないか? ほら、三枝の目が点だ。
「何を、言っているんですか? わたしと結祈は友達ですよ? 友達に嫌がらせなんてしません」
「友達なら、気付いているんでしょう? 嫌がらせが原因で、最近、結祈ちゃんが疲弊していることに」
「そりゃ、まあ、そうですけど……」
「あなたはそれを見て、どう思った? ざまぁみろ、とでも思った?」
「そんなわけないでしょ! 失礼ですよっ!?」
三枝が、声を荒らげた。確かに、三枝の言う通り須世理の言葉は失礼だった。たとえ三枝が犯人だったとしても、もっと言い方というものがある。もう少し優しく諭すように訊けよ。
「じゃあ、あなたは、結祈ちゃんに何の感情も抱かなかったのね。ただ好意的な感情しか抱いていないのね。――結祈ちゃんのこと、好き? 友達として」
「当たり前です」
三枝の目は据わっていた。真剣な面持ちで、三枝はそう言ったのだ。しかし、それに懐疑的な態度を示したのは須世理だ。一瞬、怪訝な表情を取って、須世理は言う。
「勉強ができて、部活ではレギュラー。そして、クラスの中心である結祈ちゃんを、本当に好意的に思っているの? 少しくらい、嫉妬してもいいんじゃないの?」
「勉強ができて、部活ではレギュラーで、クラスの中心だから、好意的に思っているんです」
……そんな完璧な人間はいない。俺はそのときそう思った。
人は誰かに憧れる。そして、その憧れは嫉妬へと変化する。俺だって、妹には嫉妬しているんだ。できる妹とできない兄。どちらが優遇されるかは、目に見えている。だから、そんな妹が羨ましいと思うことは多々あった。でも、俺は妹が好きだ。妹として妹が好きだ。嫉妬することもあるけれど、やっぱり妹は妹なのだ。
まあ、つまるところを言おう。三枝咲絵は、結祈に嫉妬している。勉強ができて、卓球が上手で、クラスの中心である結祈を。三枝は結祈に対して好意的だと言った。だが、それは要するに、結祈に憧れを抱いているということになり、その憧れはそのまま嫉妬に繋がる。体育館で結祈に見せたあの笑顔がどこかぎこちなく見えたのは、おそらくそんな嫉妬心が原因だ。結祈にいい印象を持っていないから、ぎこちなくでしか笑えなかったんだ。
「強情な人ね、あなた」
と、矢庭に須世理が言う。
「ここで一つ、教えてあげる。結祈ちゃんは、学校の友人に自分が嫌がらせに遭っているなんて一言も言っていない。結祈ちゃんへの嫌がらせのことを知っているのは、私とそこの出来損ないのお兄さんだけよ」
「おい、自然な感じで俺を蔑むのはやめろよ」
「出来損ないの兄であることは、否定しないのね」
「否定できないからな」
残念ながら、俺は結祈に劣る。
「話を戻すわ」
須世理は続ける。
「私は、あなたにこう言った。嫌がらせが原因で、結祈ちゃんが疲弊しているのに気付いているのか? って。そのとき、あなたはそのまま肯定した。普通なら、嫌がらせ、という部分に何かしらの反応を示すはずなのよ。結祈は嫌がらせを受けてたんですか? とかね」
つまり、須世理はこう言っている。
――どうして、お前は結祈が嫌がらせを受けていることを知っているのか、と。
「さっきも言ったけど、結祈ちゃんが嫌がらせを受けているというのを知っているのは、私と杵築くんだけ。それなのに、どうしてあなたは彼女が嫌がらせを受けていることを知っているの? そんなの、答えは一つしかない。あなたが犯人だからよ」
犯人は……三枝咲絵。俺も、そう思う。須世理の説明を聞いて、そう思える。
「……に、が……」
ぼそっと、声がした。三枝が、俯いている。怒りを抑えているように見えた。そして、三枝はバッと顔を上げ、須世理を睨みつける。
「あなたに、何が分かるんですか!? わたしの何が!?」
そして、三枝はそう声を荒げる。荒らげまくった。その発言は、自分が犯人であることを認めたことになる。
「あんな……ろくに練習もしていないあの子が、ぽっと出のあの子が! わたしを差し置いてレギュラーになったなんて、赦せない! わたしは、小学校のときから、ずっと卓球をやってきて、努力をしてきて、ずっとずっと努力をしてきたのに、ろくに練習もしない初心者に、レギュラーの座を奪われたのよ!? そんな理不尽、赦せるわけないでしょっ! ふざけないでよ。ほんと、ふざけないでよ!? わたしの努力は、卓球のなんたるかも知らない初心者に無下にされたの! わたしの気持ちなんて、誰にも分からないわ!? 分かるんですか!? あなたには、私の気持ちが分かるんですかっ!?」
須世理は、三枝の叫びを淡々と聞いていた。
「なんであれ、嫌がらせはいけない」
そして、平坦な声で須世理はそう言った。
「答えてください! あなたに、わたしの気持ちが分かるんですか!? あなたは、わたしの気持ちが分かった上で、そんなことを言っているんですか!?」
「それは……」
須世理が言い淀んだ。
「わたしの気持ちも知らずに、知ったような口を利かないでください!」
天才は無意識のうちに周りの人間を破壊する。
努力は、才能には及ばない。
いくらどんだけ努力したって、才能人には敵わない。努力人は、いつかその限界を悟る。努力は無駄だ。でも、無駄と分かっていても人は努力をしたがる。それは何故か? それは、努力をすることで潜在的な才能が開花すると信じているからだ。
「俺は、分かるぞ。お前の気持ち」
何も言えなくなった須世理に代わり、俺が口を開く。三枝は、俺の方を向いた。須世理も俺の方を見る。
「なんつったって、結祈の兄貴だからな。俺も、結祈には驚かされてばかりだったよ。昔は、いつも俺の後ろをついて来て、俺の真似ばっかしてきた奴だった。でも、あいつはすぐに俺を上回った。まあ、俺が自堕落な人間だったのもあるんだろうけど……それでも、あいつはすぐに俺以上になった。俺は小学校のとき、野球をやっていた。それで結祈も俺の後を追うようにして野球を始めた。結局、俺はレギュラーになれないまま小学校を卒業したが、あいつは女ながらにレギュラーになった。中学校では、俺は卓球部に所属した。でも、レギュラーにはなれなかったし、個人戦に出ても毎度毎度一回戦敗退だった。結局、何もできずに俺は中学校も卒業した。そして、結祈だ。あいつが卓球部に入ったのは、たぶん俺が卓球部に入っていたからなんだろうな。あいつは、初心者にも拘らず、もうすでにレギュラーだ。俺ではなれなかったレギュラーにあいつはなった。
……俺は、結祈に引け目を感じたよ。だってそうだろ? いつだって、贔屓にされるのはできる妹だ。特に、俺たちは兄妹だから、何かと比較された。妹にできて、なんで兄であるお前は何もできない、ってな。親からの威圧がバンバン来てたね」
できる妹を持つと、何かと辛い。何かにつけて、妹と比較されるのだから。
「天才は、無意識のうちに周りの人間を破壊する。だから、結祈には何の非もないんだ。でも、ムカつくものはムカつくよな。俺の方が経験してる期間は長いのに、どうしてちょっとやり方を教えてもらったくらいで、あっさりと俺を追い抜けるんだよって」
でも、たとえ結祈がムカつく奴だったとしても、せこい嫌がらせで結祈に復讐をするのは間違っている。
「でも、三枝。お前のやり方は間違っているよ」
「……」
「お前も薄々勘付いてはいたんじゃないか? こんなことをしても、何も満たされないって」
「……他に方法がないんです」
と、元気のない声で三枝が言う。
「わたしは、結祈には勝てない。あの子は天才です。凡才のわたしが天才のあの子に勝てるはずがないんです。だから、呪いなんてわけの分からない嫌がらせをしたんです。むしゃくしゃして、それで」
「どうして、人は無駄だと分かっていて努力をするか分かるか?」
「え?」
「それは、あるかもしれない潜在的な才能を開花させるためなんだ。努力だけじゃ才能には勝てない。これは確かだ。それじゃあ、どうやったら才能に勝てると思う? そんなの分かっていることだ。才能を努力で磨くんだ。才能人に勝つには、才能と努力を組み合わせるしかない」
「でも……わたしに才能なんて……」
「才能がないと決めつけられるほど、お前は努力をしたのか?」
「ぇ」
「努力して努力して、それでも才能が開花しなければ、そこで諦めればいい。でも、まだ努力のしようがあるのなら、目いっぱい努力をしろ。凡才で留まるか、その先へ行けるかは努力次第だ。……お前、小学校のときから卓球をやってたんだろ? そのときはどうだった? レギュラーだったか?」
「……はい。一応、何度か賞を貰ったこともあります」
「そうか。そういうことなら、もしかするとまだ開拓の余地はありそうだな。……結局、俺には野球の才能も卓球の才能もなかった。努力して努力して、努力することに疲れてしまった。だから、俺は諦めた。さぁ、お前はどうだろうか? 努力して努力して、才能を開花させることができるかな?」
正しい復讐の仕方を教えてやる、三枝咲絵。
「もし、結祈に復讐したいのなら、才能を開花させるために努力をしろ。俺は、お前を応援するぜ。なんたって、俺は結祈に復讐できなかった出来損ないの兄貴だからな」
俺は結祈には敵わない。そんな出来損ない兄貴だ。結祈を見返してやりたいと思い、努力をしたが、あいつは俺のその努力を軽々と上回った。俺の中には、未だに結祈に対する復讐心が心の中で小さな下火のように蠕動している。もうほとんど気にならない復讐心だが、それでも復讐心であることには変わりない。心の奥底のどこかで、結祈を見返してやりたいと思っていることには変わりない。とはいえ、俺は結祈には敵わない。なので、俺が結祈を見返すことはできない。
だから、
「俺の結祈に対する復讐心、お前に託すよ。俺の分の復讐もしっかりと頼むぜ」
俺は、この復讐心を三枝に託す。俺にできなかったことを、三枝にしてもらう。彼女ならできるだろう。
「……はい」
と、三枝が言った。
「わたし、頑張ります。お兄さんの分も、ちゃんと、頑張ります! 結祈を、見返してやります!」
いい目だ。情念に燃えるいい目をしている。
俺は笑みを浮かべ、こう言った。
「ああ、頼んだぞ」




