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3 異世界迷子の日常

「ノゾミ、耳を噛まれているが、その、痛くはないのか?」


 私の耳をハムハムと噛んでいるラースを見て、ライドさんが目を丸くしたまま聞いてきた。


「甘噛みされてるので、痛くはないですね。ちょっとくすぐったいですし、そろそろやめてほしいなとは思っていますけど」

「やめてほしいなら何か食べ物をよこせ。俺は腹が減っている」

「ご飯ならノルンさんに作ってもらえばいいでしょう」


 私がそう言うと、ラースはうんざりした顔ではあ、と大きくため息をついた。聞いたことのない新しい名前に、ライドさんは不思議そうな顔をしている。


「ああ、ノルンさんていうのは、聖女なんですけど……」

「ラース様ぁ、ラース様ぁ……?」


 どこからかか細い声がして、ぱたぱたと可愛らしい足音がしてくる。そして、薄紫色の髪の毛をさらりとなびかせながら可愛らしい女性が息を切らしてやって来た。


「あ、ちょうどいい所にきた。ライドさん、こちら聖女で迷子のノルンさん。ノルンさん、こちら、新しくここの住人になったライドさんです。仲良くしてね」

「は、はじめ、まして……」


 ノルンさんはか細い声でラースの後ろに隠れながら小さくお辞儀をする。


「初めまして。ライドと申します。あの、初対面でぶしつけなことをお聞きしますが、聖女様は魔王などと一緒にいて大丈夫なのですか?」

「魔王などとは失礼な。お前、消すぞ」

「ラース!物騒なこと言わないで。ライドさんに変な事したらおじいちゃんに言いつけてるよ」


 私がめっ!と叱ると、ラースはふん、と顔を背けた。そして、ノルンちゃんの手にあるものに気づいてうっと顔を顰める。あっ、ノルンちゃん、それは一体……。


「ラース、あの、お好み焼きを作ってみたんだけど、どう、かな?」


 ノルンちゃんの手にあるお皿の上には、得体の知れない焦げた塊がある。お好み焼き……それ、お好み焼きなの?驚いて見つめていると、ラースはその塊をひょいっと掴んで口に入れて飲み込んだ。うわっ、食べるの?てか、食べられるのそれ!?


「とてもじゃないが食べられたものじゃないな。おい、部屋に戻って作り直すぞ。お前はいつになったらまともなものを作れるようになるんだ」

「うう、ごめんなさい……」


 なにあれ、すごいモラハラ夫みたいな発言。うわぁって顔でラースを見ると、ラースは私の視線に気づいてバツの悪そうな顔をした。


「お前に任せているといつまでもまともなものにありつけない。黙って俺が作るものを食べていればいいんだ」

「でも、私だってラース様に手料理作ってあげたい……ラース様、いつも美味しいもの作ってくれるから……」

「いいから、戻るぞ」


 ああ、なるほど、そういうことか。私がニヤニヤしながらラースとノルンちゃんの背中を見ていると、ライドさんが唖然とした顔で口を開いた。


「あの、二人は一体?」

「びっくりしました?あの二人、一緒の部屋に住んでるんです。付き合い始めてかれこれどのくらいたったかな?」

「えっ?魔王と聖女が付き合ってるんですか!?」


 ライドさんは口をあんぐり開けて目を見開いている。まあ、そういう反応になるんだろうな。異世界のことはそこまで詳しくないけど、やっぱり魔王と聖女って相性悪そうだもの。


「二人とも違う世界から来たんだけど、ラースがノルンちゃんに一目ぼれしちゃったみたい。ここで一緒に過ごすうちに、ノルンちゃんもラースの勢いに押されて、いつのまにかほだされちゃったんだろうね。世界が違うのをノルンちゃんは気にしてたけど、ラースにとってはそんなことどうでもいいみたい」


 そもそも魔王は規格外だ。思考だって私たち人間が考えることよりもはるかに壮大なのだろう。


「そこまでいくと、なんだか驚きを通り越してすがすがしさまでありますね」

「ふふっ、そう思います?それならよかった。あ、これでここの住人全員の紹介ができましたね」

「これで全員か……知り合いは、いなかったな」


 少し寂しそうな顔でつぶやくライドさんに、どう声をかけるべきなんだろう。同郷の人が一人でもいれば心細さも和らぐんだろうけど、ここには誰もいない。


「……ここでの生活は不安だらけかもしれませんが、私も全力でサポートしますので、なんなりと頼ってくださいね」

「……ああ、ありがとう。俺をこの世界で拾ってくれたのがノゾミでよかった」


 ライドさんはそう言って優しく微笑む。そう言ってもらえて、本当に嬉しい。私ができることなんてきっと限られているけれど、それでも頑張りたいな。


「なーんで二人してそんな甘ったるい空気出してんだよ」


 ふと、機嫌の悪そうなドスの効いた声が聞こえてくる。この声は……。


「あれ、レオンお帰り!」

 

 私がそう言って笑顔を向けると、バイト帰りのレオンはチッと不機嫌そうに舌打ちをした。

 

「……帰ってきてたのか」

「あ?ずいぶんと不服そうだな、俺が帰ってきて何か文句があるのか」

「いや、別に。ただノゾミとの二人の時間が減ってしまったなと思っただけだ」


 ライドさんの言葉にレオンは眉間に盛大にシワを寄せている。ああ、なんでこの二人はこう仲良くなれないのかなぁ。


「お疲れ様。さっきまでラースとノルンさんがいたんだ。二人のこともライドさんに紹介できたよ」


 ラースという名前を聞いてレオンはさらに眉間にシワを寄せる。あぁ、せっかくのイケメンが台無し……にならないのがすごいんだよね。びっくり。


「あっ、そろそろ私もバイト行かなきゃ」

「ノゾミもバイトをしているのか」

「週に数回だけですけど、カフェでバイトしてるんです。おばあちゃんたちはここの仕事だけしてればいいって言うんだけど、私も少しでいいからちゃんと社会と繋がっていたいと思って」


 ライドさんの質問にそう答えると、ライドさんは優しく微笑みながらそうか、と一言つぶやいた。


「今日は何時あがりだ?迎えに行く」

「今日は遅番だから閉店までいるよ。毎回迎えに来てくれなくても良いのに。大変でしょ?」

「大変じゃない。俺が迎えに行きたいだけだし、ノゾミにもし何かあったら俺がじいさんに殺される」


 レオンは過保護だなぁ。でも、確かに最近物騒だし、夜は迎えに来てくれてありがたい。


「それじゃライドさん、何か気になることとかあればレオンに何なりと聞いてください。レオンもライドさんと仲良くね」

「なんで俺がこいつと仲良くしなきゃならないんだよ」

「同じ部屋なんだし新人さんのお世話は古株の仕事だもん。それじゃ、行ってきます!」


 私が笑顔でそう言うと、ライドさんは笑顔で手を振ってくれて、レオンははぁ、とため息をつきながら手をひらひらさせた。



 *

 


「うーっ、疲れた」


 閉店時間になりお客さんがいなくなって、私は大きくのびをした。近くで店長がクスクスと小さく笑っている。


「今日もありがとうね。ノゾミちゃんが来てくれるおかげで助かってるわ。締めは私がやるからもう帰って大丈夫よ。お疲れ様」

「わ、本当ですか?ありがとうごさまいます!それじゃ、お先に失礼しますね。お疲れ様でした」


 帰り支度をして裏口から出る。レオンはまだ来ていないようだ。ショートメールでも送っておこうかと思ったその時。


「あれ、お姉さん一人?」


 突然声をかけられて驚くと、暗がりから数人の男性の姿が出てきた。バイト先のお店は繁華街から少し離れているが、裏口は繁華街から流れてきた人が頻繁に歩く道沿いでもある。


「あー、よく見ると結構俺タイプかも。ねぇ、一人ならちょっと一緒に遊ばない?」

「は?もう帰りますから」

「えーっ、怒ったの?こわぁーい!けど強がっちゃって、可愛いねぇ」


 距離が近くなってわかるけど、すっごいお酒臭い!やだな、酔っぱらいだ。


「ね、俺たちと遊ぼうよ」

「ちょっ、離してください」


 急に腕を掴まれてびっくりする。どうしよう、どうやってこの手を振り払って逃げようか。レオンに護身術は一通り習ってる。今こそ習った成果を発揮するべきかもしれない。でもこんな複数人相手にできるかな?とにかく、逃げなきゃ。


「おい、何汚い手でノゾミの腕に触ってんだよ」

「あいでででででで!!!」


 レオンから習った護身術で腕を振り払おうとしたその時、突然レオンの声がする。そして同時に男性から悲痛な叫び声が出ている。よく見ると、レオンが男性の手を掴んでひねりあげていた。


 ドンッ


 レオンが地面に手を掴んだ男性を突き飛ばした。


「おいっ!てめぇ何してんだよ」

「あぁ?」


 レオンに突っかかろうとした一人に、レオンがドスの効いた声を出しながら睨みつける。その鬼のような形相に、その場の誰もが金縛りにあったように動けなくなっていた。


 じりじりとレオンが男性の一人に近づいていくと、男性は後ずさって行き壁に背中がつく。


 ダンッ!と大きな音がして、男性の横の壁にレオンの足がめり込む。パラ……とコンクリートが崩れる音がした。レオンの足壁ドン、やばい。


「なにか文句があるのか?あるなら特別に聞いてやらなくもないが?」


 レオンがそう言うと、壁ドンされた男性は怯えたように首をふるふると振った。


「ふぅん、あっそ」


 レオンガつまらなそうに言って少し離れると、男性は慌てて仲間の元へ駆け寄る。仲間の男性たちはハッとしてから青ざめた顔でレオンを見つめ、よろよろとよろめきながら慌てて逃げ出して行った。


 よ、よかった。いなくなった。ホッとしてレオンを見上げると、レオンはものすごく怒っている。確実に怒っている。


「あ、あの、レオン……」


 私がレオンにありがとうと言おうとしたその時、ふわっと何かが私の体を包み込んだ。えっ?


 気づいたら、私はレオンに抱きしめられていた。って、え?抱きしめられてる?



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