2.1.五年後
第二章開幕です
まだ日が顔を出したばかりでほとんどの人が寝ている中、テールは小さな金属を一つ握りしめてカルロの部屋に入っていた。
十七歳になった彼はすっかり背も高くなり、父親と同じ銀色の髪の毛を長く伸ばしてポニーテールにしている。
優し気な顔立ちをしている青年へと成長し、青い瞳は見る者に安心感を与えてくれそうな綺麗なものだ。
五年に及ぶ研ぎ師生活で技術も知識も増えて、今ではどんな仕事でも一人でこなせるようになっている。
だがそんな彼でも唯一苦手としていることがあった。
それは今握りしめている小さな金属で引き起こすことのできる現象だ。
それを何とか克服するため、毎朝決まった時間にカルロの部屋に侵入する。
叩き起こすために。
小さな金属を軽く放り投げる。
緩い放物線を描きながら落ちていくそれを見て、テールはきゅっと目をつぶって衝撃に備えた。
この小さな金属は甲高い音が鳴る。
聞く人によっては綺麗な音色だと感嘆するかもしれないが、研ぎ師である彼らにとっては悪魔の音色だった。
カシャーンッ。
「「ぎゃああああああああああ!!!!」」
寝ていたカルロはすぐさま耳を抑えて転がり、ベッドから落下した。
身構えていたはずのテールも同じように耳を抑えてその音に耐え、膝から崩れ落ちて地面に倒れる。
傍から見れば何をしているんだこいつらはとツッコミを入れられそうではあったが、彼らの持つ研ぎ師スキルを長年使い続けていると、とある症状を発症してしまうのだ。
それは、金属が地面に落ちる音に過剰に反応してしまう。
研ぎとは数時間をかけて完璧に仕上げ、切れ味をその武器が持つ最高の練度にまで鍛え上げる技だ。
だがもし、手が滑ってそれを地面に落としてしまったら?
その数時間の努力が完全に無意味なものとなるのは避けられない。
完璧に仕上げた刃物を落とし、刃こぼれができた瞬間、“やり直し”という絶望の言葉が体を貫くのだ。
彼らにとってこれ以上恐ろしいことはない。
だが剣を打ち合わせるなどといった音は特に問題はない。
しっかりとした使われ方をしているのであれば、何も感じないのだ。
「て、テール君……? それ、本当にやめてくれないか……」
「しゅ、修行……です……」
「それは必要ないんだよ!?」
一瞬で目が覚めてしまったカルロは、まだ耳の奥に残っているような気がする音を気持ち悪く思いながら立ち上がった。
早く起きることは良いことだが、できれば自力で起きたいものだ。
しかしここ数年同じ起こされ方をしているが、こればかりはどうにも慣れない。
職業病みたいだなと思いながら、テールの手を取って起こした。
いつもの仕事場に降りてくると、そこには様々な剣やナイフなどが鏡の様に輝いて置かれていた。
これらすべてはテールとカルロが鏡面仕上げにし、更に武器の切れ味を最高にまで鍛え上げた物だ。
布は簡単に切れ、木の枝くらいならド素人が持ったとしても凄まじい切れ味を披露してくれる。
これが二人の五年間の修行の成果。
だがしかし、未だにこの技術を認めてくれる人物はいない。
磨き屋の仕事は見てくれをよくするだけのもの。
実際に武器を使ってくれなければ、その真価は発揮されないのだ。
鍛冶師からの強い非難と嫌悪を未だに受け続けているのが現状ではあるが、いつか見返すことができる事が分かっているので大した苦にはならない。
とはいえ不遇職という必要とされていないスキルを持っているというだけで、冒険者にも嫌悪された。
それが一番辛かったが、とある人物のお陰で今は暴力沙汰にまで持ち込まれることはない。
部屋に整列するように並べられた刃を眺めながら、テールは一つ息をついた。
「これだけやっても、まだ見てくれないんですもんね」
「興味がないからね。仕方ない事だけど、君の幼馴染のお陰で、少しは目立ってきたんじゃないかい?」
「それはまぁ……そうなんですけど……。物を投げられたりすることはなくなりましたが、昔より視線が……」
「うぅーん、それは分かるが仕方ない事だと思うよ」
「なんでですか」
「なんでだろうねぇ」
テールの真面目な問いに、カルロはニヤニヤしながらはぐらかして朝食を作りにキッチンへと足を運んだ。
またはぐらかされたと心の中で愚痴った後、飾られていた剣を一本手に取った。
剣を構えて綺麗に整えられているかを確認する。
刃に手を添え、手首をひねって剣に当たっている光を見た。
光は刃が綺麗に研がれているかを教えてくれる。
少しでも歪みがあれば、光はまっすぐ伸びてはくれないのだ。
「……」
真剣に剣の刃に光を当て、今度は裏返してまた光を当てる。
鋭く真剣な表情は優しげな顔をしているテールには似合わない。
だがこれは職人の顔。
仕事をしている時だけはどうしても鋭い表情になってしまうのだ。
もちろん本人は気付いていないようだが。
しばらく剣を確かめた後、テールは満足げににこりと笑った。
軽く剣を回して今度はしっかりと構えてみる。
「……んー、まだ研ぎは極めていないのかなぁ……。神様のお手紙まだだしなー」
この五年間ひたすらに研ぎ師スキルを磨いてきたのだが、スキルの神様であるナイア様からの手紙は一度も来ていない。
それはまだ伸びしろがあると言ってくれているということにもなる。
なので悪い気はしなかったが、まだこれ以上研ぎ師スキルを極めるというのはどれだけの努力をしなければならないのだろうか。
期待させてくれる半面、少しこの先を不安にさせる要因でもあった。
だが神様が約束を違えるはずがない。
もっと努力しないと剣術スキルは貰えないのだ。
手にしていた剣をそっと壁に掛け、自分も朝食を作りにカルロの後を追ったのだった。




