8.9.視界不良
痛覚はないがすさまじい違和感が足に走った。
動けないことはないが、このまま足を引き抜くのは不可能だ。
上半身はまだ動くので、腰から上の筋肉の力を使って掴まれていた槍を強引に引きはがし、大きく振るって石突で忍び刀を弾き飛ばそうとする。
だがその前の引き抜かれ、危なげなく回避されて距離を取られてしまった。
西形もその場から飛びのき、違和感が常に残る足を庇う。
とんとん、と地面につま先を付けてみると、違和感は更に大きくなった。
これが痛みの代わりとなっているのだろう。
こういう傷は木幕に触れてもらって治してもらわなければならない。
それまでこれが続くと考えると、気分が悪くなりそうだ。
「さてと……。動ける事は分かった」
「……」
顔を上げた西形は、忍び刀を忍び構えで持ち直立している乾芭に視線を合わせる。
相変わらずいるのかいないのかよく分からないが、そこにいることは確かだ。
しかし自分の魔法が使い物にならない。
一度ならともかく、二度までも槍を握られてしまえば自身も失くしてしまうというもの。
とはいえ光の速度で突きを繰り出す西形の攻撃を、ああも簡単に受け止められる筈がない。
何かカラクリがあるはずだ、と考えてはみるが……。
今のところ解決の糸口は見つかりそうになかった。
このまま逃げるのも一つの手ではあったが、馬を逃がす時間くらいは稼ぎたい。
自分が逃げたとしても馬を回収しなければならないので、乾芭があの馬に目を付けてしまえば待ち伏せに合う可能性が非常に高かった。
半刻もあれば追うことが困難になると思うので、それまでは乾芭の魔法と戦い方を確認しようと考えた。
突きを止めた技こそが魔法かもしれないが、どういったものなのか見当もつかない。
なのでもう少し探りを入れる必要がありそうだ。
辻間と西行から聞いていた話では、様々な忍具を用いるらしい。
一通りとまではいかないが、少しくらいは確認して情報を持ち帰りたい。
その段階まで行けるか、今のところ分からないが……なんにせよもう少しだけ戦わなければならない。
槍を取り回し、切っ先を乾芭に向けて狙いを定める。
これからは魔法を使わずに戦った方がよさそうだと感じたので、できるだけ自分の素の実力のみで戦うことにする。
魔法を使うとしてもは、これは回避時に使うのがいいだろう。
「逃げんのか」
「逃げたいのはやまやまなんだけどね」
「では」
でろり、と乾芭が溶けた。
「は!?」
じゅうぅう、と音を立てて地面を溶かす。
あれが幻術だったと気付いて咄嗟に後ろを振り向いた。
忍びであれば真後ろを取るのが定石。
だがそんな西形の甘い考え通りにいくはずがなく、首に鋭い違和感を覚える。
手を当ててみると、何かが刺さっていた。
抜いてみれば小さな針であり、血液ではない液体が塗りたくられているということが分かる。
生身の人間がこれを受ければ、恐らくすぐに死んでしまう代物だろう。
生憎、魂だけの存在には効かないが。
針が飛んできた方角を見据える。
だがそこには気配も何もなく、一本の木がぽつんと立っているだけだった。
完全に見失ってしまった。
これでは相手からの攻撃を常に許しているようなものだ。
さすがに不利すぎると悟った西形は、その場を離脱するため馬とは反対の方向に向かって魔法を使用する。
一瞬で数百メートルを移動し、安全そうな場所へと向かう。
しかし……その移動先は奇妙な煙に包まれていた。
「なっ……」
黒に近い紫色。
明らかに吸い込むと死に直結するような色合いだったため、服を口元に当ててできる限り煙を吸うのを阻止する。
息のし辛さを覚えながら周囲を見渡すが、どこを見ても煙によって視界が遮られている。
これでは……魔法が使えない。
西形の魔法は意外と危険だ。
使用中どこかにぶつかってしまえばそれだけで死んでしまう。
速すぎる移動に耐えられる体ではあるが、移動中木にぶつかってでもしまえば大怪我だけでは済まなくなる。
あまりの勢いに体が潰されてしまうことだろう。
なので西形がこの魔法を使用するときは、移動する場所をあらかじめ決めておくのだ。
だが周囲を確認できない場合、何処かにぶつかって事故を起こしてしまう可能性が高い。
視界不良の中、この魔法を使用するのにはリスクが大きすぎるのだ。
「ていうか、なぜ移動先に……?」
まるでここに来るのを予見していたかのような配置。
だが西形が目視でこの場所を確認した時は、このような煙は出現していなかった。
これも幻術なのだろうか。
なにかこれを破す術はないのかと思案している最中……背中に強烈な違和感を覚えた。
バザッという服を着られる音と同時に、刃が体の中に入ってくる感覚がある。
思わず背をのけぞってしまったが、すぐに体勢を立て直して後ろへと槍を突く。
だが煙が少しはける程度で何の意味もなさなかった。
「くくくく……」
「こいつ……!」
ボトトトッ。
西形の足元に黒い物体が落ちてくる。
これも何かの攻撃かと警戒したが、びびびっと痙攣していた。
生き物を武器にするとは考えにくかったので、武器を構えたままそれに目を落とす。
すると、黒い鳥が六羽……。
苦しそうにもがいており、既に三羽はピクリとも動かなくなっていた。
残りの三羽も数秒後には動かなくなる。
「……毒か!! ということは、これこそが奇術……!」
これだけ分かれば十分だ。
一か八か、魔法を発動させてこの毒煙の中を脱出する。
一番確実なのは、先ほどいた場所に戻ることだ。
すぐに振り向きいて魔法を発動させる。
すると視界が開け、煙は後方に溜まっていた。
ずいぶん広い範囲に毒煙を広げられるようだ。
「はっ!」
もう一度魔法を発動し、今度こそ帰路に着く。
これは馬を回収するより先に、木幕たちの所へと戻った方がいいだろう。
だが自分を追尾されては意味がない。
自分の速度には流石について来れないだろうから意味はないかもしれないが、今回は大回りをして帰ることにする。
念には念を、というやつだ。
消えてしまった西形を見送った乾芭は、毒煙を霧散させた。
そして手の中に毒の塊を作り出す。
すると、面白いことにそれは手の上でにゅにゅ、と動こうとするのだ。
まるで、離れ離れになった仲間を追いかけるようにして。
「くくくく……。便利だな、この毒は……」




