7.34.動くうちは負けに非ず
無表情のまま、刃を引きずってこちらに歩いてくるバネップ。
腕が失われたというのになぜか攻撃力が増してしまっている。
これも魔法なのかと眉を顰めて思案した柳ではあったが、魔法の理解が浅い彼はどう対処するのが正しいのか迷っているようだった。
メルは柳よりも魔法の知識が豊富ではあるが、体の一部を失って攻撃力が増す魔法など聞いたことがない。
とにかく今分かっていることは、攻撃を受けてはいけないということ。
剣を振るう速度は遅く、体の動きも単調になってしまっている為、回避することは容易だろう。
だが問題はその破壊力だ。
地面が爆ぜるほどの火力。
それで近くにいたメルは簡単に吹き飛ばされた。
今のバネップの攻撃は、近くにいるだけでも怪我をする可能性がある。
運よくメルは少しの欠けた石に傷を付けられただけで済んだが、次も同じだとは限らない。
そもそも攻撃をさせてしまうことが敗因に繋がる状況だ。
「柳さん、どうしますか……?」
欠けた石が掠って血が垂れていた箇所を、無造作に拭いながら問う。
メルに問われて少しの間思案した柳は、目線を一切バネップから外すことなく呟くように答えた。
「首を刎ねる」
「ま、また簡単言いますね……」
「こちらは二人。されど奴は奇術を纏っておる。メル、お主は何か奇術が使えぬのか」
「奇術って魔法の事ですよね……? 私は……残念ながら……」
メルのスキルは接近戦闘に特化したものばかりだ。
キュリアル王国でパーティーを一緒に組んでいたコレイアのような魔法は、さすがに使えない。
もし使えたとしても、詠唱に長い時間を要してしまうだろう。
柳はある程度魔法を使うことができないと察していたのか、落胆した様子は一切見せずにバネップを睨み続ける。
こうして話している間にも、ゆっくりとした動きでこちらに近づいてきていた。
あと二十秒もあれば彼の間合いに入るだろう。
「拙者も、今は奇術を使えぬ。さてさて、どうしたものか」
「挟んで攻撃します?」
「それも良いが、今何より厄介なのはバネップが己の力を理解したことだ。戦い方が、変わるぞ」
「ですよね……」
そこで、あと十歩ほどの間合いにいたバネップが歯を食いしばり、剣を持ち上げた。
動作は遅い。
しかしその後の攻撃は恐ろしいほどに強力だ。
二人は咄嗟にその場の地面を蹴って駆け出した。
ズガギャンッ!!!!
強烈な打撃音と斬撃音が混じり合い、地面が爆ぜる。
大小様々の岩の欠片が飛び散り、二人を襲うが警戒していたのでそれを回避、もしくは叩き落すことで難を逃れた。
先ほど二人が立っていた場所まで地面に亀裂が入る。
左右に展開したメルと柳は、同じ速度でバネップに接近する。
攻撃した後の硬直が長いことを先ほどの攻撃で知っていたので、仕掛けるならここしかない。
同時に自らの間合いに入った二人は同じタイミングで足を踏み込み、バネップの首を狙って刃を振るう。
ヒョアッ。
思っていた手応えはなく、ただ空を切る音のみが聞こえた。
だがバネップの持っていた長剣は未だに地面に突き刺さったままだ。
では……本体は?
「ぬっ!?」
「ぉぉぉぉおおおお!!」
「ぐっ!」
長剣の柄から口を離して二人の攻撃を回避したバネップは、不安定な体勢で足を曲げ、一気に伸ばして柳を蹴り飛ばす。
口で剣を咥えてあの攻撃を繰り出せるバネップは、やはり蹴りの威力も大きく上昇していた。
蹴り飛ばされた柳は辛うじて腕で防いだようだったが、腕は妙な角度に曲がった。
大きく吹き飛んで地面を転がっていく。
両腕を失っているとは思えない程の素早く的確な動きは、骨の可動域を完全に無視しているようだった。
ボギャギャッという鈍い音が体の中から聞こえたかと思えば、骨が飛び出す。
そのまま、再びしっかりと地面に足を付けた。
「柳さん!」
「ぉぉ」
「いっ!?」
ギョロリと向けられた眼光が、メルの身を強制的に委縮させる。
膝を折って体勢が低くなったかと思えば、ズダンと踏み込んでメルに接近した。
その道中で長剣を咥え、走っている勢いを殺さずに刃を地面から引っこ抜くと同時に刃を振るう。
流れるような攻撃。
これが全盛期の彼の動きなのではないだろうか。
危険を察知したメルは即座に地面を蹴ってその場を飛びのく。
一歩でとにかく遠くへ移動しなければ、地面が爆ぜるほどの衝撃が襲ってくる。
予想していた通り後ろで岩が砕かれる音がした瞬間、爆風が背中を襲って細かい岩がメルを襲った。
防具のお陰でなんともなかったが、吹き飛ばされて転がってしまう。
すぐに立ち上がってバネップを見ると、今まさに剣を地面から引っこ抜いた後だった。
「いや……これは……無理……」
あんなのとどう戦えばいいのだろう。
魔物とは勝手が違う。
クオーラクラブ以上の大きな魔物と戦ったことはあるが、それは魔法や罠を使った仕留め方が基本だ。
剣一本で正々堂々と戦った事など、あまりないのではないだろうか。
すでに何度も切り付けらているが死なず、腕を失っても戦意は死なず、剣をどうにかして振るえるのであれば、まだ負けではないと敗北を拒絶し続ける。
そうまでして戦わなければならない理由が彼にあるのだろうか。
これも呪いだと言ってしまえばそれまでだが、死んでも尚戦おうとする彼の姿は、別の覚悟があるのではないか。
──そう、覚悟が違う。
死んでも尚勝ちに固執し続けるバネップと、死なないように立ち回る自分とでは雲泥の差があるということに思い至った。
手が震えていることに気付く。
自分は今、あの強敵を前に恐れをなしているようだ。
それもそうだろう。
姿だけでも恐ろしいのに、その強さを目の前にして勝てる自信など、とうに消え去った。
柳も今はいない。
自分一人でどう戦えばいいのか、思いつきそうにない。
……覚悟?
…………バネップの死んでも勝つという覚悟は、過去の自分にもあったはずだ。
つい最近。
リヴァスプロ王国で木幕たちと初めて会い、西形と対峙した時の事……。
「やば、忘れるところだった……」
今ここに自分が立っている理由は何か。
強敵を前に逃げ出すためにここにいるわけではない。
西形が言った『自分より強い相手と本気で戦ったことがないでしょ』という言葉が頭の中で再生される。
槙田が言った『俺を見とけ』という言葉が、彼と里川の戦いを思い出させてくれた。
今こそが、槙田が背中で教えてくれたことを試す時。
そして西形が教えてくれた、死んでも勝つ意地を見せる時だった。
メルは一度大きく素振りをする。
一つ一つ丁寧に確かめるようにして振った両刃剣・ナテイラは、心なしかやれやれ、と呆れている様に見えた。
「っし!」
「ぉぉぉぉ……」
目の色が変わったメルを見て、バネップ・ロメイタスは低く唸った。




