7.33.失えど戦意は死なず
違和感のある右腕を上げてみる。
ついてあるはずの腕が肘から無くなっており、どれだけ動かそうとしても感覚が伝わってこない。
傷口から血が流れることはなく、ここまで傷つけられても痛みを感じないが、凄まじい違和感だけがそこに残っていた。
「……ぉぉ」
「全盛期なれば、拙者の太刀も尽く受け止め、メルへの警戒も怠らなかったであろうに」
遠くから地面に着地する小さな音が聞こえた。
ちらりと見やれば、メルが緊迫した表情のまま剣を握ってこちらを警戒している。
真横からは憐れむように柳が見つめていた。
柳の日本刀が作り出した体中の穴に、風が吹きこまれる。
傷口を撫でる風は感じることはできたが、やはり痛みいだけはいつまで立っても伝わってこなかった。
右腕は失われ、辛うじて握っていた剣を左手で強く握り込む。
──まだ、負けていない。
自分が立っている限り、負けという文字は存在しない。
この者たちを殺さなければならないという強い感情のみが彼を支配し、体の一部を失っても動き続ける。
バネップが左腕に力を入れ、近くにいた柳に長剣を振り下ろす。
急に動いて一瞬目を瞠ったが、冷静に対処してその攻撃を危なげなく受け止めた。
片腕のため威力は低い。
ということはまったくなく、先ほどよりも強い斬撃が柳を襲った。
想像とは違った一撃を貰ってしまった柳は体勢を大きく崩しながら後退し、無理やり足を踏み込んで上体を元に戻す。
だがその一瞬は隙が大きい。
即座に二撃目が柳に叩き込まれようとしていた。
バネップの体の使い方は、剣の自重と相まって一撃一撃が強烈だ。
脚を大きく踏み込み、腰、背、肩、肘、手首、指先に至るまでの全筋肉を総動員して、しなる鞭のような動きで剣を叩き込む。
そして彼は、身体強化系の魔法を常に体に纏っていた。
これはバネップが生前多用していた魔法であり、声を大きく出すことによって発動する。
咆哮のバネップと呼ばれるようになった所以は、この魔法の存在が大きかっただろう。
長剣が体勢を立て直したばかりの柳に接近する。
回避は不可能。
受けてばかりの攻防に嫌気がさす、と心の中で愚痴をこぼしてから、力の入れ方を一瞬変える。
次の斬撃の勢いをある程度予想して身構えた。
ズガァンッ!!
バネップの斬撃は、柳の真横を通り過ぎて地面に突き刺さる。
岩が砕け、切っ先が深々とめり込んでいた。
「っし!!」
「ぉぉぉぉおおおお……!!」
間一髪のところでメルが飛び込み、左手に両刃剣・ナテイラを叩き込んだ。
片手での大振りだったので少し叩けばすぐに軌道は変わる。
そこまでは良かったが、ここはバネップの間合いだ。
彼は即座に剣を地面から引き抜き、ガードでメルを叩く。
だが何度も同じ攻撃を喰らうメルではない。
地面に足を付けたあとすぐに移動してその攻撃を回避する。
その時、注意は完全にメルに向いていた。
「余裕だな」
「ぉぉおお!」
横からの殺気が強くなる。
飛びのいて距離を取ろうとしたが、その前に刃は振られてしまった。
ヒョパッ。
空を切る音が甲高く鳴り、洞窟の奥に吸われていく。
吹き飛んだ左腕が武器を持ったまま宙を舞う。
死なないのであれば、四肢を切り飛ばしていくしかない。
これで両腕は使い物にならなくなったはずだ。
再度くっつけられるのであればその限りではないが、それを許すほど二人は甘くはない。
メルは右腕が落ちた場所に立って警戒し、柳はバネップを睨みつけたまま左腕の成り行きを気配で見守る。
もうこれで、戦える術はなくなった。
剣も手元から消え、今あるのは両足とその肉体のみ。
それだけで何ができようかと、メルは若干の安心感と小さな勝利を感じ始めていた。
だが柳は……違った。
未だにこれで終わりなのかと訝しんでいるようだ。
死なないバネップ・ロメイタスが両腕を失っただけで死ぬとは思えない。
そう、まだ死んでいないのだ。
だからこそ警戒する必要があった。
「ぉぉぉぉおおおお!!!!」
「っ! こやつ!」
宙を舞っている左腕の存在を認識した瞬間、バネップはそちらに駆けだした。
左腕を切り飛ばしてから二秒にも満たない間での行動だったため、柳は一瞬出遅れしてしまった。
だが両腕がないのにどうするつもりなのか。
そんな疑問が生まれたが、次のバネップの行動に驚愕した。
ガリッ!!
口で長剣の柄を咥え、その状態でメルに突っ込んだ。
「え!?」
「予備動作は大きい! 見極めよ!」
「は、はい!」
柳に言われてメルはバネップの動きを注視する。
ダンダンと踏み鳴らして走ってくる彼の圧は強烈だが、確かにその動きは大きく分かりやすい。
体をひねって上段からの攻撃を繰り出してくるということも、すぐに理解できた。
振り下ろされる直前に地面を蹴って危なげなく回避する。
これくらいは簡単だ。
そう思って腕に力を入れ、今度こそ首を刎ねようと剣を振る直前。
ズガアアアンッ!!!!
バネップが繰り出した上段からの攻撃が地面に突き刺さった瞬間、爆発するような勢いで大地が抉れ、岩の破片が周囲に飛び散った。
その斬撃は大地を数メートル割り、様々な場所に亀裂を走らせている。
この余波にメルは当てられ、軽い体は簡単に飛ばされてしまった。
飛び散った岩の破片が、メルの肌を幾つか傷つける。
「くっ!」
「なん……」
空中で体勢を立て直して何とか着地し、柳の側まで後退する。
先ほどとは比べ物にならないほどに強力な一撃。
あれを喰らえば、防いだとしてもただでは済まないだろう。
バネップは咥えている柄をもう一度噛み、地面から刃を引っこ抜く。
のそりと動いてこちらに真っ白な瞳を向ける姿は、酷く不気味だった。




