7.12.乾芭道丹
その名前を聞いて、木幕が立ち止まる。
沖田川もその名前に反応したようで、後ろからの足音が聞こえなくなった。
「乾芭道丹だと? 藤雪から聞いたのか」
「あ、はい……。忍……だとかなんとか」
「なぜ早く言わなんだ」
「あの、えーっと……柳さんと出会って吹き飛んじゃって……」
この事を藤雪から聞いた時から、伝えようとは思っていたのだ。
だが急に知らない人が現れ、木幕の元主だと言われたり、自分の師匠に決定された……など急すぎる話を一気に聞かされたため、乾芭道丹のことをすっかり忘れてしまっていた。
テールは申し訳なさそうに頭を掻く。
木幕はそれ以上責めることはせず、ただ腕を組んで静かに唸った。
新たな敵の名前。
乾芭道丹は藤雪が倒した一人の侍であり、辻間と同じ忍である。
次の敵が分かった所までは良かったのだが、そうなってくると二手に分かれてしまったことが悔やまれた。
いつどこで襲撃してくるか分からないのだ。
もしかしたら乱馬の様にレミたちの方が先に接触するかもしれないし、こちらが対峙することになるかもしれない。
なんにせよ、相手が忍である以上分断は避けるべきだった。
懸念点を沖田川から聞いたあと、テールは一気に周囲への警戒を強める。
それを制して沖田川は木幕に向きなおった。
「どうする木幕や」
「今、辻間と西行に話を聞いている。暫し待て」
「そういえば……忍びって暗殺集団って聞いたんですけど……」
「その通りじゃ。だがな、奴らは“道具”なのじゃよ」
「道具?」
その言葉を聞いた木幕は、少しだけ眉を顰める。
片目を開けて沖田川を睨む。
すべてがそうではないと言いたげな目線を受け流すが、沖田川はそれに気付くことなく腕を組んだ。
それは、一体どういう意味を含んでいるのだろうか。
小首を傾げて意味を考えているテールを見た沖田川が、小さく笑ったあと簡単に説明をしてくれた。
「そうじゃの。テールの想像する暗殺者とはなんじゃ?」
「えーと……実際に見たわけじゃないですけど、標的を確実に殺す……? ことを目的としている、ですかね?」
「まぁ間違いではないの。じゃが儂の知っておる忍びは……死ぬことを躊躇わなんだ」
遠くを見据えながら昔の事を思い出すようにして呟く。
暗殺者とて、死んでしまえば任務の継続はできなし、なによりそこですべてが終わってしまう。
彼らもそれが仕事ではあるのだろうが、死んでまでやろうと思う人物はそうそう居ないはずだ。
だが沖田川は知っている。
死を躊躇わずに自分に立ち向かってくる忍びを。
「沖田川」
「なんじゃ?」
「余計なことを教えるでない。……それと、分かったぞ」
沖田川を軽く叱ったあと、木幕は二人に向きなおる。
どうやら彼の中にいる二人の忍びの話を聞いてきたらしい。
──乾芭道丹という人物が、分かった。
「抜け忍だ」
抜け人とは、忍者集団を許可なく脱退した忍びの事だ。
秘密主義の塊である集団から勝手に抜け出すというのは、彼ら組織の存続にかかわるとして、発覚したら命を狙われることがほとんどである。
そんな彼は、昔……辻間と西行がいた忍者集団の所にいた人物だったという。
彼らがまだ幼い頃、抜け忍となったらしく、関わり合いもほとんどなかったためどういう人物なのかはよく知らないらしいのだが、当時の里長と同等の力量を持った凄腕の忍びだったらしい。
なので抜け忍となった後、なんどか刺客を派遣したが誰一人として帰ってくる者はいなかったようだ。
結局行方知れずとなり、どこへ行ったのか、何をしているのかもまったく分からなくなった。
だが、彼が得意としていた戦い方は、里の誰もが知っていたらしい。
抜け忍となったため、里長がその戦い方を仲間に教えて注意を促したのだ。
とはいえ、これが厄介極まりないものだった。
「毒を使う」
「毒……か」
武器に毒を塗る、吹き矢で毒針を刺す、食事に混ぜて毒殺を図る。
毒を持っている植物や魚などをよく知っている乾芭道丹は、現地で調達しながら毒を作り、任務に使用していたとのことらしい。
戦闘中でもその毒は使われ、掠り傷を負ったら負けだと思った方がいいとの事。
そして何より厄介なのが、その戦闘力だ。
彼が使う武器は忍刀。
刀身が普通の日本刀よりも短く拵えてあり、大体四十~五十センチほどの長さで、反りが一切ない。
鍔は大きな正方形をしているのが特徴だ。
素早く振れるように重心が柄付近にあるのだが、これを扱うのには相当な技術が必要となる。
言うなれば短刀で日本刀と対峙することになるのだ。
だが、乾芭道丹はこれを完全に使いこなし、様々な忍具を併用して強引に勝利をもぎ取る。
彼は……そんな忍びらしい。
「そ、そういえば……藤雪さんが乾芭道丹は勝ち方にこだわりを持たないって……言ってました」
「だろうなぁ。さてどうする木幕や。いつ来るか、分からんぞ?」
「何が来ても、某らがやることは変わらぬ。まずはお主の刀だ」
「ふむ、分かった。では参ろう、テールや」
「だ、大丈夫なんですかぁ……?」
そんな話を聞いた後では、不安が残るのが普通だ。
暗殺者がこれから来るというのであれば、もっと警戒しておいた方がいいのではないだろうか。
急に吹き矢で殺されてもおかしくはないのだから。
「案ずるな」
不安を和らげるように、木幕がテールを見た。
彼の目は年老いても力強く、突き刺さるような鋭さを有しているのでそんな目で見られてもまったく安心はできなかったが、彼の強さは信用できる。
木幕がそういうのだから、大丈夫な気さえしてくるほどに。
「お主は某が死なせぬ」
「……あ、ありがとうございます?」
適切な返答ができなかったな、と思いつつ、さっさと歩いていく木幕の背を追ったのだった。




