6.5.研ぎを学ぶ
沖田川が教えてくれた通りのやり方で、手に持っている刀身を丁寧に研いでいく。
今使っている砥石は中砥石だ。
刃こぼれはほとんどなく、あとはこれからどこまで磨き上げられるかを試されている。
刀身を動かすごとに、傷が入っていく。
砥石は石だ。
それに綺麗な刃物を当てれば、とても細かい傷がつく。
光を反射していた刀身は細かい傷で真っ白になり、すべての面に砥石が当たったということを教えてくれた。
隣で見ていた沖田川が、刃を指さす。
どうやらそこを研いでみろ、と言っているようだ。
許可が出たのであれば話は早い。
即座に刃を同じ砥石に当て、ゆっくりと、丁寧に研ぐ。
──刃に一切の丸みがない。
研ぎが未熟な者が刃物を研ぐと、鎬から刃先に掛けて若干の丸みを帯びる。
その理由は、手首が動いてしまうからだ。
押す時、引く時、止める時。
この三点で手首が動き、砥石から刃が浮いてしまって丸くなってしまう。
しかし、わざとこうして研ぐ場合もある。
その理由としては“切れ味が長持ちする”からだ。
刃が丸くなれば切っ先に厚みが生まれ、刃こぼれがしにくくなる。
逆に丸みを無くして機械で作られたような綺麗な平面を出した刃であれば、切れ味は本来その刃物が有する実力を顕現させてくれる。
どちらのやりかたも、間違いではない。
だがこの刀身の場合は……切れ味を最優先として研がれ、金づちで打たれた代物だ。
であればテールがやることはただ一つ。
綺麗な面を出した砥石に、寸分の狂いなく刃を当て、手首を一切動かすことなく研ぐ。
言っていることは至極単純だ。
しかし、言うは易く行うは難しという言葉がある。
この作業は熟練の技術と経験、そして刃物とのやり取りがなければ成立しない。
それ程に高難易度な作業なのだ。
テールが短刀を研ぐ様子を、沖田川は静かに見つめる。
一つ満足そうな表情を浮かべたが、途中から眉を顰めた。
葛篭は感心したようにうんうん、と頷いている。
だが彼も途中で何かに気付いたらしく、首を傾げてテールの様子を伺った。
「「……悩みがあるのか?」」
「えっ?」
その問いを聞いて、ぴたりと作業を止めてしまった。
神経を集中させて研いでいたので、彼らの声に少し驚いたがそれで指を切るということはしない。
とりあえず水気を拭き取り、丁寧に布で包んで二人に向きなおる。
「どういうことですか?」
「そのまんまの意味じゃ。お主、なにか心の内にわだかまりを背負っておるな?」
「わてもそう思った。途中から刃が嫌がったからな。少し丸くなっているはずだ」
「え」
葛篭の言葉を聞いて、先ほど布に包んだ刀身を取り出して刃を触る。
鎬から切っ先を撫でる様に刃を触ってみるが、特に丸くなっている様には感じない。
首をかしげると、葛篭がその刀身を手に取った。
そして同じ様に刃を触る。
目を瞑り、指先に神経を集中させた。
ごつごつした手で分かるのだろうかとも思ったが、長年刃を触ってきた手がその感覚を忘れるはずがない。
「……ああ、やっぱりくるってるな」
「分かりませんでした……」
「すまんすまん、叱っているわけでもないし仕事が下手だと言うつもりもない。まぁ少し教えるならば、まっすぐな刃ってのは指が本当に吸い付く感じがするんだ。だがこれはそれがない」
葛篭に手渡された短刀を、もう一度確認してみる。
手に吸い付く様な刃というのを触ったことがないので、テールはやはりその感覚がよく分からなかった。
なので研いでいない反対側の刃を触ってみる。
すると、指が少し引っ張られたような感覚がした。
「わっ」
「綺麗な面は様々な物を吸いつかせる。砥石然り、指然り、紙然り……。砥石を直していて、下の砥石がくっついてくるとはなかったかえ?」
「あ、それは経験あります」
「面が真っすぐでなければ起こりえぬ現象じゃ。さて、この話はこの辺でいいじゃろう。お主の悩みを解決せねばな」
沖田川はそう言って、テールの頭を軽くつついた。
悩みと言えるものは……確かにある。
だがそれを彼らに言うのはなんだか違う気がした。
そこで葛篭が立ち上がる。
一つ咳払いをした後、テールの肩を持って言い聞かせる。
「テール、研ぎってのは素直なんだ。『澄んだ心で在らねば刃への無礼に当たる』……わての師がよく言っていた言葉だ。だからあの親父は怒鳴りもしねぇし、人を馬鹿にもしなかった。邪な気持ちや苛立ち、呆れみたいな邪念はどれだけすげぇ研ぎ師でも腕を鈍らせる。悩みもその一つだ。一つの感情が大きく技術を腐らせる。だから教えろ、何を悩んでいるか」
「ふむ、儂が感じ取ったのは悩みというには粗大だったやもしれぬな。どちらかといえば迷っているように感じた。どうすればいいのか分からない、というな」
沖田川はぴしゃりとテールが今まで考えていたことを言い当てた。
研ぎを数秒見ただけでそんなことができるのかと驚いたが、であればどうしてクナイを研いだ時に気付かなかったのだろうかという疑問も生まれた。
だがそれを聞く雰囲気ではなかったので、とりあえず心の中に押し込んだ。
彼らの言っていることは理解できる。
悩みがあるから、研ぎに集中しきれていないと言いたいのだ。
そう言われれば、そういう自覚はある。
テールの師匠であるカルロが今どうしているか、あれからどうなったかを考えるだけでも胸が締め付けられる思いだ。
これが足枷になっているのは間違いない。
だが……。
「う、ううん……」
「思い当たる節はある様じゃな。言いにくいか?」
「あ、やばいわては女心は分からん! 木幕! 津之江出してくれ津之江! それか水瀬!」
「いやそんなんじゃないです!」
「「違うのか?」」
「違います!」
盛大にツッコんだ後、冷静になった息を吐く。
これは説明しなければ誤解を生みそうだ。
それに話さなければ次の工程に進めないということも分かったので、ここは諦めて自分の過去を説明することにした。
「……僕の師匠が、冤罪で捕まっているんです」
この言葉には二人だけではなく、少し離れたところで瞑想していた木幕も目を開けてこちらを見た。




