つかの間の休息
12月6日 エルムスタシア帝国 ルシニア市海岸
海岸を固めるエルムスタシア海軍の1隻の元に、第13護衛隊の1隻である「さわぎり」に状況報告の為に派遣させていた武官から、信念貝を通じて報告が届いていた。
『クロスルヤード艦隊は敗走。ニホン軍が勝利しました』
貝の向こうから届けられたその一報に、兵士たちは胸をなで下ろす。
「やはりか・・・。ご苦労! お前はそのままニホンの艦に乗って戻って来い。世話を掛けたな」
エルムスタシア海軍の将官である猫の獣人イリノー=ダーミスは、連絡をしてきた武官に労いの言葉をかけると、そのまま音信を切った。
日本軍勝利の報告は避難していたルシニアの市民の耳にも届けられ、彼らは歓喜の声で日本の勝利を称えることとなる。
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12月8日 クロスネルヤード帝国 首都リチアンドブルク
グレンキア半島沖海戦から2日後、執務室にて執政を行う第27代皇帝アルフォン1世の元に1つの報告が届けられていた。
「我が艦隊が敗走した・・・? たった4隻相手に!?」
「は・・・。その様に連絡が入っております」
帝国皇帝領軍の総督であるアルブレフ=フリーブランデンは、驚愕の表情を浮かべている皇帝に萎縮しながら答える。アルフォンは少し間を空けて、詳細な状況を問い糾す。
「全滅したのか・・・!?」
「い、いえ! しかし、艦は3分の1程が沈められ、龍は全て撃ち落とされたとのことです。また敵の追撃は無かったと」
アルブレフは首を横に振って答えた。彼の言葉にアルフォンは眉間にしわを寄せ、怒りを深めて行く。その様相にアルブレフは思わず生唾を飲み込んだ。
「腰抜けめ・・・」
低い声でアルフォンはつぶやく。
将来的に大規模な艦隊を組織して、日本国本土へ侵攻することを掲げている彼らにとって、ルシニア基地は落としておかねばならない潜在的脅威である。遠く離れた極東の島国に大兵力からなる大艦隊を派遣するとなれば、一時的とは言え、国内が軍事的空白地帯になるからだ。
「他国に何か動きは・・・?」
アルフォンが問いかける。現在、聖戦への参戦を表明した各国の港からは、ミケート・ティリスに向けて艦隊が派遣されており、それらの目的は、日本本土侵攻戦に参加することである。
彼は聖戦の主体であるクロスネルヤード軍が、前哨戦であるルシニア基地攻略に失敗したことで、各国に戦争から離脱する様な動きが出ないか不安を抱いていた。
「いえ、今の所は何も・・・」
アルブレフは答える。その数時間後、逓信社の報道によりクロスネルヤード艦隊の敗走は世界の知る所となる。
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同日 リザーニア王国 首都ホッフェノム 王城 王の執務室
「リザーニア王国」・・・この国をはじめとするジュペリア大陸西南部に存在するイルラ教国家は、約400年前より神聖ロバンス教皇国によって行われてきた「失地回復運動」の参加者、すなわち「教化軍」の指導者たちによって建てられた国の1つである。これらの国々を通称して「教化軍国家」と呼んでおり、主要な国家としては他に「ヒルセア伯国」「リーファント公国」「ジャヌーヤイ伯国」などが並ぶ。
言わば教皇国の子飼いの国々であり、教皇の後ろ盾の元にアラバンヌ帝国文化圏を脅かし、版図を伸ばし続ける事を国是としている。そんな彼らの権威の大元は、やはり世界最大の帝国であるクロスネルヤード帝国がバックに付いているということだった。
故に先代皇帝と教皇国の関係悪化は、教化軍国家の元首たちにとっても憂慮すべき事態であった。彼らの戦費の半分はクロスネルヤードから教皇国への布施で成り立っていたからだ。しかし、一夜にして前皇帝とその一家は変死し、代わりに敬虔な皇太弟が皇帝となった。元首たちは前皇帝の死に涙を流しながら、心の中で狂喜の雄叫びを上げていた。
リザーニア王国の国王であるボードアン=イェルシャロー3世も、その中の1人だ。そんな彼は今、「逓信社」からの報道によってルシニア沖での海戦の結果を知り、驚きを隠せないでいた。
「クロスネルヤード艦隊の敗走・・・。ということは、ルシニアは落とせなかったのか・・・!?」
ボードアンは外務長のアモリー=キューボイドが持ってきた日刊紙を眺めながら驚愕していた。そこには490隻のクロスネルヤード艦隊が4隻の日本艦隊に敗れたと記されてあった。
「現在、我らがリザーニア艦隊は、ウィッケト半島・アテリカ帝国の南東の海上に展開しております。海戦が行われたのはそこから約2800リーグ離れた海上です」
アモリーは海戦の詳細について伝える。490対4という、数の上では圧倒的に差があるはずのグレンキア半島沖海戦の結果は、約4年前のイロア海戦と並んで、再度日本の軍事力の高さを世界に知らしめていた。
「全滅したのか・・・?」
恐る恐ると言った様子でボードアン3世はアモリーに尋ねる。しかし、その答えは彼の予想とは大きくことなるものであった。
「いいえ。竜騎は全滅した様ですが、艦隊そのものは6割程が残存しており、イロア海戦とは違い、ニホン軍による追撃も無かったようです。そもそも今回クロスネルヤード艦隊が戦ったのは、ニホン軍の遠隔地派遣部隊に過ぎず、敵も弾薬等が限界だったのでしょう」
アモリーは、ルシニア基地の第13護衛隊が追撃を行わなかったことから、1つの推論を建てる。日本側の事情について考察した彼の推論は、事実、当たらずとも遠からずといった具合である。
「・・・!」
アモリーの言葉を聞いたボードアン3世は顔色を変える。彼は1つの発想に思い至っていた。
いくら連戦連勝の日本軍とはいえ、当然その武器弾薬には限りがあるはずである。その中でもクロスネルヤード艦隊と戦った直後であり、戦力が削がれた一派遣部隊程度なら、現在ミケート・ティリスへ向かっているリザーニア艦隊315隻で、もしかしたら・・・。
王が思案していたその時、アモリーに続いてもう1人の外務局員が、息を切らしながら入室してきた。
「し、失礼致します! 我々より2日程早く出航したリーファント公国艦隊が針路を変え、ルシニアへの進軍を開始したとの報告が、リチアンドブルクより入っております!」
その一報を耳にしたボードアン3世の腹が決まった。どうやらリーファントの大公であるボヘモンド=アンテオケ2世も、彼と同じことを思い浮かべていた様だ。
「・・・進路変更だ! 今、ミケート・ティリスに向かっている我が艦隊にルシニアに向かう様に伝えるのだ! 教皇様、そして皇帝陛下への手土産として、ルシニア基地を攻め落とせ! 遅れをとるな!」
「は、はい!」
王の命令を受けた外務長のアモリーは、一礼すると急いで部屋を退出した。リーファント公国艦隊の針路変更を伝えた外務局員も、彼に続けて部屋を出て行く。
リーファント艦隊を追う様にして、リザーニア艦隊が急遽南へ針路を切ったのは、それから5時間ほど経った後のことである。
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同日 ルシニア基地 司令室
「では・・・失礼しますね」
状況報告の為、部屋に来ていた2人の自衛官が基地の司令に一礼して退室して行く。静かになった司令室には、大浦慶子一佐が残された。彼女はため息をつきながら頬杖をつく。その顔は浮かない表情をしていた。その時・・・
プルルル
「!」
机の上の電話が鳴り出したのだ。静寂の空間で突如かかってきた電話に少し驚きながら、大浦は受話器を取る。
「はい、こちら基地司令室」
大浦は受話器の向こうへと話しかける。その直後、彼女にとっては聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。
『やあ、大浦一佐。俺が誰だか分かるかい?』
「・・・! その声は・・・鈴木海将補ですね」
やや抜けた様な緊張感の無いしゃべり口調、電話の話相手は、将官の中でも変人として有名な第1護衛隊群司令の鈴木実海将補/少将の声だった。
彼は第1護衛隊群8隻と航空母艦1隻、そしてトミノ王国滞在中に合流した補給艦2隻、強襲揚陸艦2隻と輸送艦2隻の計15隻の海上自衛隊所属艦を引き連れて、このルシニアへ向かっている途中だった。しかしサイクロンの発生により、ウラン産地であるトミノ王国の貿易港にて、停泊を余儀なくされていた。
『ピンポーン。ハハ、さすが女性初の隊司令。キレ者だ』
少し乾いた笑い声を出しながら、鈴木は答える。その後、彼は電話を掛けた理由について伝えた。
『我々が遅れている間に敵さんの艦隊がルシニアに来たと聞いてね、君なら心配は要らないとは思ったが、ちょっと気になって電話したのさ。私たちもあと9日後にはそちらへ着く。何か変わりないかい?』
「・・・」
鈴木が投じた何気ない問いかけに、大浦は思わず口を紡いでしまった。
『おや、何かあった様だね』
鈴木は彼女の声が途絶えた様子から、電話の向こうの部下の様子を正確に察知する。本国へはすでに戦闘内容とその詳細については報告済みだが、増援部隊の司令へは、その内容が細かくは知らされていないようだ。
「実は・・・」
大浦はゆっくりと口を開いた。彼女の心の中に引っかかっていたこと、それは「しまかぜ」の艦橋に龍の火炎を被弾させてしまったことである。運が悪ければ死者を出してもおかしくはなかった。
4隻の護衛艦と艦砲と対空ミサイルで構築した弾幕は、残った龍を全て撃ち落とすのに十分な防空網だったはずだ。だが1騎を撃ち漏らし、結果として被害を出してしまった。彼女はその事を悔やんでいた。
「『しまかぜ』の艦橋に被弾してしまったのは私の失態です・・・。申し訳ありませんでした」
『・・・』
2人の負傷者を出し、「しまかぜ」を破損させてしまったことに対して、司令として大きな責任を感じていた大浦の言葉に、鈴木は少し間を空けて、返す言葉を選びながら答える。
『演習や訓練じゃないんだ、戦争は。戦死者が出なかったらこれ以上ない程上出来さ』
「!」
海将補が述べた言葉の内容に、大浦は目を見開いて驚くも、少し気が楽になるのを感じていた。程なくして通話は終わり、2人は普段通りへの業務へと戻って行く。
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ジュペリア大陸南部 クロスネルヤード属国群の一・フマ王国の港
315隻の艦隊が沿岸で停泊している。哨戒の為に艦隊の上空を数騎の龍が飛び回っていた。そんな龍の様子を1人の男が甲板から眺めている。彼、ゴドフロウ=コクリアーはリザーニア王国の軍人であり、艦隊の総指揮官である。
(全く・・・針路を反対方向へ変えろとは、国王陛下も中々無理を仰る・・・)
ゴドフロウは、本国から届けられた王からの勅命に少し辟易としていた。元々彼が率いているリザーニア艦隊は、日本本土へ侵攻する予定の大艦隊へと参加する為にミケート・ティリスへと向かっていたが、突如の針路変更命令により、ルシニアへ行き先を変えることになったのだ。彼らの前には、リーファント公国の艦隊が同じく針路を変えたという。このまま進めば恐らく、ルシニアへの航路上で合流を果たすことになるだろう。
「聖戦」という付加価値が教皇直々に与えられた今回の戦争に参加することは、教化軍国家にとって半ば義務の様なものである。経典や教皇に仇成す罪人たちを倒さなくてはならないのは勿論のこと、この戦いで手柄を立てれば、教皇国からの歓心を得て、その後の出資も大きく増加するはずだからだ。
(クロスネルとの戦いを終えたばかりで、それなりに疲弊しているだろうニホン軍のアナン派遣部隊を潰し、手柄を立てたいというのは分かるが・・・)
ゴドフロウは一抹の不安と不満を感じながら、小さなため息をついた。
この世界の船旅は長大だ。故に遠洋航海の場合は、途中途中で寄港することによる水と食糧の補給が欠かせない。本来ならばここフマ王国では、ミケート・ティリスに行くまでに必要な分だけの物資を購入する予定だったが、アナン大陸のルシニアという遠大な寄り道をすることになった今、最低でもここからルシニアまでの航路を往復するだけの物資を運びこまないといけなくなってしまった。
「・・・」
彼は側に立っていた部下の方を向き、今後の予定を伝える。
「・・・各艦に伝えろ、明日の朝には出発する。アラバンヌの敗残兵共の飯は最低限で良い。とにかく、ニホン軍の方にも援軍が到着してしまう前に急いでルシニアへ向かうんだ」
「はっ!」
指示伝達を命じられたその士官は、その場をあとにする。“貝”を用いることで、総指揮官の命令は直ちに全艦へと伝えられた。
ゴドフロウが述べた“アラバンヌの敗残兵”とは、アラバンヌ帝国とその文化圏に属する兵士の捕虜、及び被征服民のことである。これまでの教化軍によって故郷となる国を征服され、教化軍国家の元に下った彼らは、今回の艦隊派遣に当たって強制的に徴兵されていた。停泊しているリザーニア艦隊を見渡せば、その半数以上がアラバンヌ文化圏のものであった。
(順調に進めば9日後には着くか・・・)
高く昇った日を見上げながら、ゴドフロウはルシニアまでかかる時間を大まかに計算していた。翌日、夜通しの作業で補給を済ませたリザーニア艦隊は、南へと針路を取り、ルシニアへと出発するのだった。




