騒めく世界
11月1日・夜明け前 首都郊外 リチアンドブルク赤十字病院
電気の明かりが光る待合スペースの窓から、外を伺う2人の男がいる。何かを恐れているような彼らに、病院の奥から1人の女性が近づく。
「皇女殿下の御身は2階の個室に。体と心の疲れが祟ったのか、今はぐっすりと眠られてます」
看護師の1人である五反田彗は、窓と壁にもたれ掛かっている2人の医師に報告をする。その内容に2人は一先ず安堵するも、すぐに視線を窓の外に移した。
「本当なのか? この国の皇族が全員暗殺されたというのは」
麻酔科医の荒川は、事の真偽を問いかける。
「・・・詳しいことは分からない。ただ皇女殿下を害そうとしていた集団が、御所の中にいたのは確かだ」
柴田は今の段階で確かであることを伝える。必死の思いで病院に逃げ帰った彼らは、追跡者の存在を恐れて夜も眠らず外の様子を伺っていた。
「もうすぐ夜が明ける。朝になったら全てが分かるだろう」
明るくなっていた東の空を眺めながら、柴田はつぶやく。彼ら、そして世界にとって、長い日々の幕が上がろうとしていた。
・・・
同日・朝 帝都リチアンドブルク中心部 皇宮・御所
「きゃあああ!!」
この日の朝、皇宮は侍女たちの悲鳴で1日が始まった。この日もいつも通り、皇族たちを起こしに行った彼女たちが目にしたもの、それは寝床に横たわったまま息絶えている8人の変死体だったのだ。騒ぎを知らされた皇太弟アルフォンと近衛隊長チーリは、騒ぎの拡大を防ぐ為、近衛兵を動かして一時的に屋敷を閉鎖し、文官や侍女の立ち入りを制限した。
その数時間後、状況を確認した彼らより、政府内の関係各所へ事態の詳細が届けられた。その内容に皇帝領政府は大きな混乱に陥る。直ちに閣僚や議員たちが招集され、緊急の“中央議会”が開催された。同時に騒ぎを察知し、首都中心部の宮前広場に集まっていた市民たちにも、事の詳細が明らかにされた。程なくして、国内各地方を治める“18人の長たち”にも同様の内容が伝えられる。
また、皇帝領政府からの発表はリチアンドブルクに居を構える各国の大使館、及び“世界魔法逓信社”によって世界中に拡散され、世界最大版図を誇る帝国の一大事は、世界を騒がせるに至っていた。
・・・
同市内 日本国大使館
クロスネルヤード帝国駐箚特命全権大使である時田雪路は、突然の事態に狼狽する。大使館は日本政府への緊急報告の為に慌てふためいていた。
「一体どうなっているの、これは!?」
「分かりません。今朝、突然に発表されたのです!」
大使館職員が答える。クロスネルヤード政府から発せられた突然の凶報、その内容は以下の通りであった。
“ファスタ=エド=アングレム3世皇帝陛下並びに皇妃2名、またジェティス=メイ=アングレム皇太子殿下夫妻、並びにそれ以下の皇子2名、及び皇女2名の計9名の逝去を確認した”
突然の皇族一斉逝去、巷では、暗殺かクーデタかと様々な憶測と噂が飛び交っており、何が真実で何が虚構なのかも分からない。時田は、日本とクロスネルヤード帝国との外交関係を揺るがしかねないこの大事件に、只々頭を抱えているのだった。
・・・
宮前広場
「一体どういうことだ!? 皇帝陛下と皇太子殿下の御一家が亡くなられた? 何の冗談だ!」
「敵対国による暗殺か!? 兵士たちは一体何をやっていたのだ!」
「同一の屋敷の中で無事だったという、皇太弟が絡んだクーデタという噂もあるぞ!」
中心街に暮らす貴族や平民たちは、突然の凶報に戸惑い悲しみ、そして怒っていた。広場中央に設置された掲示板に張り出された紙には、発表された内容がそのまま記されている。人々は掲示板の横に立っている近衛兵と役人に詰め寄り、詳細の説明を求めた。しかし、彼らは何も答えない。
そんな人混みの中で、彼らとは別の理由で驚愕している男がいた。ローブを被り、人目に素顔を晒さないような格好をしているその男は、発表内容が書かれた紙を何度も読み返す。
(何故・・・テオファ殿下の死亡が確認されたことになっている!?)
首都の様子を探る為、宮前広場に潜り込んでいた看護師の小波は、発表内容に驚きを隠せない。何故なら第四皇女の身は今、自分たちの手元にあるからだ。行方不明扱いならともかく、死亡が“確認”されたというのはどう考えてもおかしい。
(とにかく、連絡だ!)
小波は手元のトランシーバーを口へと近づける。
・・・
リチアンドブルク赤十字病院 会議室
「やはり・・・皇帝陛下を含む他の皇族はすでに亡くなられていたのか・・・。しかし、皇太弟とその一家は無事だったとはどういうことだ?」
院長の長岡は、トランシーバーの向こうにいる小波に疑問をぶつける。
『分かりません。彼らだけが何故無事だったのかは、説明が全く無い故・・・。巷では皇太弟によるクーデタ説も流布しています』
小波は今の状況をそのまま伝える。
『・・・それともう1つ、どうしても気になることが』
小波はそう言うと今回の一件における、ある不可解な点を伝える。その内容に会議室にいたスタッフたちは驚きを露わした。
「テオファ殿下が死亡扱い!? 行方不明とかではなく? そんな馬鹿な!」
荒川は声を荒げる。彼は小波が抱いたものと同じ疑問を口にしていた。
「で、では・・・殿下のご生存を皇宮に伝えた方が良いのでは・・・」
「・・・!?」
皮膚科医の猪沢が口にした提案に対して、柴田は驚愕と憤怒の形相を浮かべる。
「駄目に決まっているだろう! 所在の知れぬ皇女が公式の発表で死亡確認扱いになっているということは、すなわち“国の中枢”に、殿下が死亡していた方が都合が良いと考えている集団がいるということだ」
「!」
猪沢は先輩医師の反論に対してはっとした表情を浮かべた。
「しかし、日本国大使館には伝えた方が良いのでは? 最悪の場合、日本政府に対してテオファ殿下の保護を求めなくてはならなくなるかもしれませんし・・・、私たちだけで抱えるには、明らかに大きすぎる問題だ」
病理医である堂本の提案に、会議室にいるほとんどのスタッフたちが頷く。
「しかし、大使館側が殿下の生存を皇宮に漏らしてしまう可能性が・・・」
放射線技師の黎が、不安を口にする。
「いや、流石に大使館はそこまで愚かではないでしょう。状況を説明すれば、今がどういう状況なのかは誰でもすぐ分かる。念の為、状況を詳細に説明し、その上で全てを日本政府へ伝えてもらいましょう」
荒川の言葉に皆が頷く。程なくして会議は解散し、スタッフたちは得も言われぬ不安を抱えながら、普段通りの業務に戻って行った。
柴田、長岡、田原、黎の4人は、テオファの病室へと向かい、今回の入院の目的である“日和見感染症の治癒の確認”と、血液検査や体質の鑑定に依る“抗AIDS薬の選定”の作業に入るのだった。
尚、大使館ヘの報告については、荒川が通信機にて行い、死亡したと発表されている皇女の身柄を病院が掴んでいること、皇女を含めた皇族全員の暗殺を企んだ集団が、事件の発覚する前の日の深夜に御所内にいたこと、状況証拠から、その集団はクロスネルヤード政府内に存在する機関である可能性が高いことを、大使である時田雪路へと伝えた。
時田たち大使館側は、これらの報告を衝撃と共に受け取り、その内容を日本政府へ直ちに伝達した。
〜〜〜〜〜
ほぼ同刻 日本国 東京 首相官邸
会社や学校帰りの人波が、街の中に溢れている。時差の関係上、リチアンドブルクで日が昇る頃には、東京を照らす太陽はすでに西陽となっていた。そしてこの時、日本国の事実上の最高責任者である内閣総理大臣の社に、数人の閣僚と官僚たちが集まっていた。その理由はもちろん、遠き国クロスネルヤード帝国で起こったあの事件のことだ。
「一夜にして、情勢がひっくり返ってしまいましたなあ・・・」
そう語るのは、外務大臣の峰岸だ。
「不測の事態に備え、ミケート・ティリスに停泊している『こじま』には、そのまま現地にとどまる様に指示を出しています」
防衛大臣の安中が述べる。その後、首相の泉川が1つの疑問を提示した。
「現地の日本人に何か影響はあるのでしょうか?」
首相の質問に、外務大臣政務官の洛奥咲佐が答える。
「皇帝とその皇子が全員死亡した今、次代の皇帝に就くのは、皇位継承順位から言えばおそらく皇太弟です。しかし彼は前皇帝とは違い、教皇に忠義を尽くす敬虔なイルラ信徒との情報があります」
洛奥の説明に、その場にいた全員が眉をひそめる。それは日本とクロスネルヤード帝国との外交関係が、大きな変貌を遂げてしまう可能性を示唆しているに違いなかった。
「国のトップの思想が180度変わる訳か・・・、これは現地の赤十字病院は閉院ですかな」
峰岸がつぶやく。“リチアンドブルクでの病院開設”は、君主としては異例の開明さを持っていたファスタ3世だからこそ、国交樹立の条件として提示して来たものである。しかし、次代の皇帝がガチガチのイルラ信徒となれば、元々彼らの宗教観に反している現代医療は、たちまちクロスネルヤードから追放の憂き目に遭うだろう。彼はそう考えていた。
「あそこに病院を建てること自体、そこそこ大変だったのですがねえ」
厚生労働大臣の尾塩がつぶやく。その時、洛奥の携帯電話が突如鳴り響いた。
「ちょっと失礼・・・」
洛奥は少し慌てながら携帯を胸ポケットから取り出すと、部屋の隅に移動する。
「・・・何?」
電話の向こうからの報告に、洛奥は驚きの表情を浮かべる。直後、電話を切った彼の様子を伺いながら、峰岸がその内容を問いかける。
「一体どうした? 何かあったのか?」
上司の質問に、洛奥は冷や汗を垂らしながら答える。
「大変です! 先程再び現地の大使館から報告があったのですが!」
クロスネルヤードの日本国大使館から届けられた新たな報らせ、彼らはそれを驚嘆と困惑を以て受け止めることとなる。
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クロスネルヤード帝国 帝都リチアンドブルク 皇宮・沢の間 皇太弟の執務室
「第四皇女はまだ見つからんのか!」
部屋の中にアルフォンの剣幕が響き渡る。彼の怒りを受けているのは、密偵のオリスと近衛隊長のチーリだ。本来ならアルフォンは臨時の政府代表として、現在開かれている緊急の“中央会議”に出なくてはならないが、変死事件の捜査の為という名目のもと、一部の近衛隊と共に皇宮に留まっていた。オリスとチーリが叱責を受けている理由は昨日の深夜、暗殺の標的である皇族の一部を取り逃がしてしまっていたことである。
「申し訳ありませぬ! 目下近衛を動員し、皇宮の内外を全力で皇女の身を捜索しております」
チーリは頭を下げながら、謝罪と今の状況を述べる。すると、その隣に立っていたオリスが発言する。
「まだ社交の場に出たことがなく、顔も多くには知られていない末の皇女など、何処でどうしようが気に留めるべきものではありません。何処から名乗り出ようが、偽者だと断ずれば良いのです。それよりも、厄介なのは“彼”の方ですよ、殿下・・・」
オリスは、テオファと並んで取り逃がしてしまっていた“ある皇族”について言及する。
「それは分かっている。まさか、夫婦共々“影”だったとは・・・ジェティスめ!」
アルフォンが告げた名前、それはジェティス=メイ=アングレム・・・この国の皇太子の名である。昨日の深夜、“虹の間”に暮らす皇太子夫妻の暗殺を担当した近衛たちは、寝床の上に眠っていた男女に毒を含ませることに成功はしていたが、それは皇太子夫妻と体格が似ていただけの全くの別人だったのだ。
「“影”の遺体を発見してしまった侍女たちには、エルージュと同じく“殉死”という形で口を紡いで貰いましたので、情報が外に漏れることはありません。“影”の遺体は、今は皇帝一家の遺体諸共棺の中で、地下室に保管されております」
オリスは、取り敢えず情報の統制に成功している今の状況について説明する。
現在、臨時の霊安室として使用されている皇宮内部の地下の一室には、9つの棺が並んでおり、正宮中医のヘアルートが検死を行っているということになっている。9つの棺の内、実際に皇族の遺体が安置されているのは6つだけであり、残りの3つの内、2つには名も知れぬ男女の遺体が、1つには重さを誤魔化す為の土嚢が入っているのだ。
尚、事件当時に病院へと移されていた第四皇女テオファについては、“寝室より少し離れた手洗い場の中で、2人の近衛がご遺体を見つけた”という設定になっている。
「現在、帝都内には刺客を放っており、見つけ次第命を奪うように命令を出しております。状況を見て、他国に逃れようとする可能性も考え、各国の大使館にはそれぞれ偵察を付けていますが、まだそれらしき人物は確認されていません。また、世界魔法逓信社の支部に張り付けている密偵からも、特に目立った報告はありません」
オリスは自身が展開させている捜索網に、未だ皇太子夫妻が捕まっていない現状について報告する。
「しかし、多少計画に狂いがあろうが、もう後戻りは出来ませんぞ。皇帝一家が全員亡くなったという事実と、ヘアルート殿が提出する検死結果の2つが揃ってこそ、ニホンとの聖戦が幕を開けるのですから」
「・・・」
釘を刺すようなロバンスの使いの言葉に、アルフォンとチーリの2人は息を飲む。前皇帝の葬儀、そして新皇帝の即位式まであと4日、新たな戦火は刻一刻と迫っていた。




