それはどきどきのクリスマスイブだった? 前編
すみません、たぶん前後編です
クリスマス前に実家に電話をかけた。時刻は午前十時。朝が早いおじさんがそろそろ昼食にしようかというところだ。おそらく今ならきっと素面だから話をしても大丈夫なはず。
呼び出し音が何度か響き、「……もしもし?」と尻上がりのやや甲高い声。それはなぜか。……おじさんは外面が非常によろしいからだ。身内には気むずかしいところや厄介なところを散々見せているけれど、外では愛想がよく、実態を知らない人には「面白いおじさんだね!」なんて言われる。そんなこともないよ。怒ると恐いし、おじさんが猫撫で声になったときは身震いがする。
おじさんはおじさんなりの道理で生きているのはわかるのだけれども……やっぱり今も苦手なことに変わりなし。電話一本かけるのにも躊躇する。
「おじさん? 梢です」
『おぉー、梢か。なんや元気か?』
うん、まあ、と答えつつ、おじさんの声に耳を澄ませる。……酔っ払いの兆候が現れていないだろうか。うん、今のところ無しかな。
『今年の正月は帰ってくるやろ。いつからこっち来る?』
「えーと……三十日ぐらいに」
『もっと早くてもいいんやぞ。遠慮するもんでもなし。去年は帰ってこなかったんやでなあ』
「バイトは二十九日までだからそれはちょっと」
『……そんなもんか。ならまあええわ』
用件の前の世間話はこんなものにして、私は本題を切り出した。
「おじさん、あの、進路のことだけれど。決めたことがあるから実家に帰った時に話でも、と思って」
束の間、電話向こうが無音になった。
『一応、心づもりだけは聞いておいてもええか』
ひやっと背筋に寒気が走った。私の口調で、何かおじさんの想定外のことを話そうとしていると察したのかも。いや、頑張れ自分。
「……できれば進学したいと考えて、ます」
『そうか』
おじさんの返答は端的なものだった。
『とりあえずこっちに帰ってから聞くわ』
「うん。じゃあ、そういうことだから。電話切ります」
『おう』
ポチッとな。通話終了。大きく息を吐いて、すり切れたメンタルを自覚する。緊張強いられるなあ。
……まあ、いい。前向きにとらえよう。今このことでやれることは何もないのだから、次だ次。
私は座っていたベッドから立ち上がり、自室をぐるっと見回した。大掃除は夏以来。ちょこちょこ気がついた時には掃除しているとは言え、やはり一日一日細々したところの埃はたまっている印象だ。物も少し散らかってしまっている。
現在の優先順位一位は、掃除だ。この二三日のうちに年末の大掃除をしてしまうのだ。ありとあらゆるところ、三百六十度回っても汚れ一つ見えないぴかぴかの部屋にしなければならない。早急に。
優先順位二位は、料理だ。少しずつ自炊はしているとはいえ、一度も作ったことのない料理をレシピを見ただけで完成させる技量は私にはない。土壇場であたふたするのはよろしくないし、人に食べてもらうのだから一定以上の味に仕上げておきたい。
「よし、やるぞ」
部屋で一人、声に出して気持ちを切り替える。
二十四日。この部屋に来た菱川さんが少しでも快適に過ごせるように全力をつくすのだ。
「おはようございます」
「おはよう」
朝十時に私のアパートの前で待ち合わせだ。私は、菱川さんの朝十時から夜十時の十二時間をもらった。今年のクリスマスは菱川さんとまったり過ごしたかったというのが私の第一希望でもあったし、いつも菱川さんに色々助けてもらっている代わりにお礼をするという意味合いも強い。
ちなみになぜ一日でなく、十二時間なのかというと……単純に、菱川さんは明日お仕事だから。ちゃんと睡眠時間は必要だろうから、そこは省く。今まで私は徹夜したこともないし、ずっと起きていられる自信もないのだ。それに夜は……まだなんとなく避けておくべきだと思った。現在菱川さんに「自分からキス」という課題をもらっている今、問題にすらならないという……。
「今日はよろしくね」
今日もさわやかな菱川さんは、ネイビーのジャケット、カーキのVネックのニットに黒いズボン。流行を押さえつつ、シンプルにまとめたファッションで素敵です。私も努力はしているのだけれども、なかなかここまでは到達できないんだよなぁ……。さりげなさってどうやったら演出できるんだ?
私は自分の服装を見下ろしてみる。今年買った赤いニットに膝下丈ぐらいのグレースカート。厚めの黒タイツ。上には緑っぽい普通のジャンパーだ。……地味。
「どうかした?」
「……いえ。あんまりたいしたことではないんですけれど」
さりげなく自分のファッションセンスに自信がないことを伝えてみた。すると菱川さんはにっこり笑い。
「梢さんはちゃんと可愛いよ。それに僕と好みが似ているのかな。ほら、今日はニット同士でかぶっているからね」
と、百二十点の答えをくれました。そ、そういうことなら……とおとなしく菱川さんに差し出された手を取る私。見事に菱川さんの手の上でころころされております。ここまではいつもの流れ。
しかし、今日はそれだけで終わるつもりはありません。
初っぱなから主導権を握られましたが、今日の三木梢はひと味違うと言われたい。
何せ二十四日は三木梢プロデュース。いつものお礼に菱川さんをおもてなしするのが本日の目標なのだから。
「最初はどこに連れて行ってくれるの?」
「こっちです」
今日は私が手を引っ張る番。さぁ、こっちですよ菱川さん。
やってきましたのは近所の喫茶店。
「ここのモーニングセットが好きでよく食べに来ているんです」
「ああ、ここか。懐かしいな、昔行ったことがあるよ」
ここのモーニングセットは400円のワンプレートで七種類ものメニューを楽しめる。ちなみに二百円追加するとハーフだったトーストが一枚になったりと、それぞれのメニューが増量される。おかずは日替わりで何パターンかあって、トーストの上の具もタマゴや野菜たっぷりのサンドイッチ風などとと色々だ。
そして今日は……店主のご厚意でたっぷりと載せられすぎてトーストが見えなくなってしまった、あずき。小倉トーストだった。ジーザス。
あずきは嫌いじゃないんだ、でも粒あんの舌触りとは相性が悪い私。
どうしよう、と思っていたら、察した菱川さんが「少し手伝おうか」と言ってくれたのであずき分を少し負担してもらった。一瞬大丈夫かな、と思ったけれど、生クリームとあずきがのせられた小倉トーストをぺろりと平らげつつ、店主に勧められるままにあずきを追加していたので問題はないんだろう。
菱川さんはあずき好きだと一つ学ぶ。ちょっと意外だったかも。
今まで自分が振る舞われてばかりだったからまじまじと菱川さんの食事風景を眺める機会が少なかったけれど、菱川さんは結構な量をとても美味しそうにきれいに食べるのだ。なんだか新鮮で見入ってしまった。
「……どうかした?」
菱川さんが汚れてしまった手先をおしぼりで拭きつつ、不思議そうな顔をするものだから、慌てて「いいえ」と取り繕った。みとれていました、なんて正直に言えない。
ブランチとしてのモーニングセットを食べ終えて、次に向かうはレンタルショップ。いろんなDVDの棚が並ぶ中、部屋で見るDVDをどれにしようかあれこれ物色する。
私がレンタルショップに立ち寄る時、まっさきに立ち寄るのは韓国ドラマと洋画だ。韓国ドラマはノーカット版でなかなか地上波で放送してくれないし、洋画も地上波だけじゃ限界がある。
「昼間少し時間があるので、DVDを借りたいと思います」
「うん。どういうものを借りる?」
「せっかくだから菱川さんのおすすめを知りたいです」
「おすすめ? そうだな……」
菱川さんがあれこれと棚を物色し、結構有名な美術ミステリーの洋画のパッケージを見せた。気になっていたけれどなんだかんだと見逃していたやつだから、「いいですね」と即効でレンタルを決め、ついでに色々と店内を歩き回りながら菱川さんの映画の好みなどを聞いていると……。
「おっ」
目立たないようにカーテンでしきられた成人コーナーの出入り口から山田が出てきた。とっさに持っていたブツ(おそらく成人指定のアレ)を後ろ手に隠し、気まずそうに、
「気にしないでくれよ。じゃっ!」
などと言い訳しつつ逃走していった。相変わらず間の悪い。一体どういう巡り合わせをしているんだか。
ぱさっと成人指定マークのカーテンが揺れている……。気まずい!
「……行こうか」
菱川さんの言葉をこれ幸いに、私も逃げさせてもらった。
DVDを二三本借りてから店の外に出る。
「あとスーパーで少しお菓子とか足りない食材を買って終わりですが……」
「じゃ、その前にケーキを買いにいこうか」
……今日、ケーキだけは菱川さんにお任せだ。それぐらいはさせて、と言われてしまった。菱川さんはここが地元というだけあって、色々店も知っている。美味しいケーキ屋などもリサーチ済みらしい。
やってきたケーキ屋は地下鉄で数駅行ったところにある。レンガに蔦が絡まっているような洋風の外観で内部までも高級感に溢れ、ショーケースに並べられたケーキは宝石や芸術品の類に見えた。
私一人じゃ入ろうとも思わなかったし、買おうと思わなかったに違いない。ガラス張りの作業室にいた真っ白なユニホームを着たパティシエさんが洗練されすぎていて、お貴族様御用達の匂いがした。
気後れしつつも若干の好奇心も働いて、私は店内をあちこち見て回った。ここはおしゃれの権化か。
「何かお好みのものがありましたか?」
マダムな感じの店員さんに親しげに話しかけられた。これはどう反応すれば……。
「あ、えと、まだ決められなくて……どれもきれいですし」
そうすると、季節のおすすめケーキを教えてもらい、ついでに試食のチョコレートもつまませてもらう。見た目に違わぬ上品な味だ。美食にお金を賭ける人間の飽くなき探究心をそこに見た。
そして菱川さんに店員さんは「いつもごひいきにしていただきありがとうございます」と言う。
「いえ。うちの母は本当にここのケーキが好きなんですよ」
……なるほど。菱川家御用達だったんだ、ここは。
ほほう、と納得していると、急に話がこちらに飛んできた。
「ただ今日は母ではなく、彼女のために買おうと思って」
い、いきなり何を言い出すんだ、菱川さん! さらっと言いつつ、とんでもなく甘い顔でほほえみかけられたら、もう……。ど、どうなんだ、「彼女」って私のことだよね、「私彼女です」と自己紹介すればいいの!? とりあえず笑みを浮かべて頭を下げておく。
燃えるように熱い頬を隠して、どうにかケーキを選び終えた。菱川さんが一つ、私は二つ。どっちにしようと迷っていたら、「どっちも、でもいいよ?」という悪魔の囁きに屈してしまったのだ。




