星座占いって気になりません?
映画は期待通りに面白かった。
主人公に降りかかった難題は、封建的な時代の女性のあり方と、時間というものへの向き合い方。女性は家にいるもので、外には出ない。時間は不可逆、失ったものは取り戻せない。
——世の中の理不尽にどう立ち向かえというの。
そんな思いを抱えたまま、主人公は鏡を通って、不思議の世界へと再び誘われていく。その先で、難題の答えを見つけていくのだ。
話の筋は原作とはまったく違うけれど、ところどころ原作を踏まえた箇所もあって、それがストーリーにも絡んでいくから上手いなあと思う。
たまにくすっと笑える小ネタもコメディチックで描かれるけれど、元ネタを知っている人はさらに面白く感じるところだ。
例えば、新キャラのコスチュームはヘンリー八世ごろの服飾を参考にしているのかも? とか、野菜人間の元ネタがアルチンボルドの奇っ怪な絵画からなのだとか。
それにしてもジェットコースターのように目まぐるしい映画だった。一時はどうなるかとヒヤヒヤしてしまったよ。
筋金入りの原作ファンや映画通の人は文句をつけるのかもしれないけれど、私は概ね満足だった。たまには映画もいいよね。
エンディングロールが流れるのを眺め、あぁ、終わっちゃったなぁ、としばし余韻に浸る。
もちろん、映画の間にもポップコーンをつまんでいたので、カップはすっかり空になっていた。そこまで頻繁に手を伸ばしていたわけではないから、菱川さんが食べていたのだろう。
「よかったね、映画」
「はい、面白かったです!」
菱川さんはにこりと笑う。
「梢さんは夢中で観ていたよね。口を少し開けながら百面相しているのが可愛かった」
え、いつの間に私の顔を観ていたんですか。全然気づかなかった。
思わずぺたぺたと頬に触ってみる。あ、知らぬ間に口元がゆるんでる……。
指摘した上で、可愛いって。……私はどうしたらいいですか。
恥ずかしいのは確かだったから、意識してむっと口を閉じ、そっと視線を逸らした。
「も、もう、行きませんか」
「そうだね。行こうか」
菱川さんは優しい顔で私の頭を軽く一撫ですると、片手で軽食のプレートを持って立ち上がる。もちろん、もう一方の手は私の手と繋がれた。しかもそれを見せつけるように少し上げる。
「ほら、繋いでおかないと、なかなかこっちに来てくれないから」
「そ、そんなことはありません……! たぶん」
自信を持っては言えないけれども。
「それだけ意識してもらえるんだから、男としては嬉しいよ? それだけ意識されるのが僕だけというなら、もっと嬉しいな」
「そ、それは、えーと……」
薄暗く狭い通路の中、菱川さんのななめ後ろを歩いていた私は、自分の顔が菱川さんに見えないのをいいことに、ぼそりと呟く。
「今のところ、菱川さんだけですよ……?」
瞬間、私の手を握る菱川さんの手に、ぎゅっと力が入った。ちょうど暗い所から出て、菱川さんは私の手を放した。プレートの上のゴミを片付けるためだったが、非常に手早かった。ごみ箱にまるごと突っ込む勢いだった。待っていた私のところに来た菱川さんは片手で顔の片側を隠している。明るいところで見たからわかったのだけれど……菱川さんの、目元と耳は赤く染まっていた。
「ほんとうに、困るな……」
菱川さんはそう零した。……私を見ながら。
これはどういう意味で受け取ればいいのでしょうか……。
どんな反応をすればいいのかわかっていない私に、菱川さんはふと柔らかな微笑みを浮かべた。
「気にしないで。さすがに僕だって公共のマナーは守るし、無理強いはしないよ」
それって、つまりだよ? 公共に憚られて、私が戸惑うようなごにょごにょを考えていたという……?
どうしよう! 私はどういう心構えでいればいいの! 経験がないからわかんない! 誰か教えてプリーズ!
私、おろおろ、パニック。逆に菱川さんは落ち着いたように私を促した。
「動揺させちゃったかな? でもとりあえず行こう? ……こっちを気にしてる人もちらほらいるみたいだし」
最後に囁かれて、びくっとした。耳元に菱川さんの息がかかりましたよ……。
脊髄反射で、はい、と答えていた。
頬が燃えるように熱いのを感じながら、どこかぎこちない足取りで映画館を出る。
辺りを満たす人の喧騒は、現実感を取り戻させるのに十分すぎるほどだった。今も動揺していないわけじゃないけれど、普通に話せそうだ。
「さすがに一時近くになったし、目当ての店に行こうか。わりとこの近辺にあるんだ」
「あっ、いいですね。行きましょう!」
菱川さんからその店のおすすめメニューの話を聞いていると、ふと気になる一角を見つけた。通路の中に仕切られたパーテーションには、「占」の文字が。……ああいうのって、怪しさ満載だけど、なんだか見てしまうんだよね。雑誌の星座占いとか、手相占いとか毎回チェックしちゃう。それって私だけじゃないよね?
「……行ってみる?」
菱川さんは目敏く私に聞いてくる。本当によく私を見ているんだなぁ。
「行ってみたい、とは思いますけど……」
大きく「占」と書いてあるところには小さな文字も羅列されている。……恋占いも。
当たるかどうかわからないにしても、私はこの「先」を気にせずにはいられない。だって、今隣にいる人が必ずずっと隣にいてくれるかなんて、誰にもわからないから。たとえわからないのが当然としても、すがってしまう。星座占いで乙女座が一位だったら、なんか嬉しい。そんな感じ。
「でも……」
「僕もさ、本物の占い師には興味があるんだよ。だから、入ってみたいんだよ。だめかな」
「え、あ。はい……」
明らかに気を遣われてしまった……。ありがとうございます、菱川さん……。
「こんにちは、やってますか?」
「はーい、どうぞぉー」
私と菱川さんを出迎えてくれたのは、三十代ぐらいの女性だった。別段黒いドレスを着ているわけでもなく、普通の主婦みたいな恰好をして、パイプ椅子に座っている。ミステリアスさは欠片もなく、朗らかな営業スマイルを浮かべている。スーパーにいてもちっともわからないだろうなぁ……。
「あ、そこの椅子に座ってねー。カップルで鑑定でよろしかったですかー?」
「ええ、それで。……よかったよね、梢さん?」
「はい」
二人そろって椅子に座るが、またも落ち着かなさがぶり返してきた。カップル……。私と菱川さんはカップルに見えるって……ふふふ。
人生で初めて対面することになった占い師は、胸に名札をつけていた。
「ではよろしくお願いしますねー。私はブリリアン佐藤ですー」
ブリリアン……。佐藤……。占いの人ってなんだか日本人でも横文字の名前を使うことが多い気がする。
「普段は主婦で、こっちは趣味でやってるんですよぉ。あ、占いの腕の方はご心配なく。これでも占いで今の旦那を捕まえましたから、そこそこの的中率はあると思いますよー」
「は、はあ」
何も言わなくても、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、しゃべるしゃべる。私はあっという間に、目の前の占い師さんが小1と幼稚園のお子さんがいることと、その息子二人がどれだけ可愛い盛りかを聞くことになった。この様子ではここの占いコーナーは流行らないだろうな、と思った。
「相性占いでいいですよね?」
「ええ、それで」
「はい。では、まず……」
ひとしきり満足したらしいブリリアン佐藤は、ようやく私と菱川さんの生年月日を聞いてきた。そこに至るまではわりと長い道のりだったことを付け加えておく。
「あと、手相も参考にするから見せてもらえますかー?」
両手も見せる。それからあれこれと手元の計算機をいじったり、難しい表が載っている分厚いファイルやらをめくった彼女は、もう一度、二人分の手相を確かめながら、こう言った。
「相性に関しては特に何も問題はないでしょう。ささいなすれ違いがあったとしても、互いが互いに歩み寄ろうとする限り、修復不可能ということはありません。今でも十分じゃないですかね。そもそも好みなども似通ったところが多いと思います。そのうち共通の趣味でも見つかるかもしれませんね」
「そうなんですか……」
なんだ、あんまり心配することなかったな。
「ただし、波がないわけではないようですね。ちょっとした火種があちらこちらに……」
「え、困ります!」
大きな声を上げてしまい、恥ずかしくなった。そうだ、これはただの占い……。「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言うじゃないか。
「なるほど。それを回避する手段ってあるんですか?」
菱川さんが冷静にそう尋ねている。占い師は頷いた。
「このペンダントを買えばー……っていうのは冗談ですけどね。ないことはないでしょうが、特に気にすることでもありませんねー。気持ちが繋がっていれば、それで。そもそも、あんまり相性がいいからこそ、周囲の無意識の嫉妬がトラブルという形で舞い込んでいるところもありそうですし……。まぁ、幸福税と思って、対処するのがよろしいでしょう」
「自然でいるのが一番だということですね?」
「そうですよぉ。彼女さんを大事にしてあげてくださいねー。今どき珍しいほど古風な感じの子っぽいし……。逃すのはもったいないですよぉ」
「しっかり捕まえておくことにしますよ」
菱川さんは言葉通り私の手を握って、立ち上がる。ありがとうございました、と占いの代金を置いて、占いコーナーを後にする。ブリリアン佐藤は最後まで笑顔でこちらを見送っていた。若いっていいわねぇ、なんて言いながら。
今度こそ目当ての店を目指して、駐車場に向かう。その前に、これだけは言っておかないと。
「あの……ありがとうございました」
「ん? 何が?」
「私が気にしていたから、あそこに寄ってくれたのですよね」
「あぁ……。でも、あれぐらいは大したことじゃないよ。僕の方が年上で、しかも社会人なんだから、梢さんはもっと我儘言ってくれてもいいぐらいだ。本当のところ、フレンチの高級ディナーをねだられたらすぐに手配するし、指輪が欲しいならすぐに贈りたい。梢さんが喜んでくれるなら、財布の紐もだいぶゆるくなってしまうんだよ」
菱川さんは、でもね、と改まった調子で続ける。
「そういったことを実際にしてしまうと、今の梢さんは困ってしまうよね?」
「それは……そうかもしれません」
研究室にあるお土産に嬉々として手を伸ばすのとは話が違う。「私のためだけに」、「高い価値があるものや行為を与えられる」。躊躇いなく受け取ることなんて、できない。たとえ、菱川さんにとってたいしたことがないことでも、私には重みがあるように感じられるだろう。これだけのことをしてもらえるだけの好意を、私は返しているのかなって。今の私に、返せるものは何もない。
「だからせめてこれぐらいはさせて? 僕には梢さんが喜んでくれるのが一番のご褒美になるんだよ」
「それだけでいいんですか? 本当に?」
「うん。だからもっと遠慮なく僕に寄りかかってほしい。……僕はどうにも、好きな相手にはとことん甘やかしたくなる人種なんだよ。今も本当は、『もっと梢さんにこんなことやあんなことをしてあげたい』とかずっと考えてる。映画も半分そっちのけでね。これでもだいぶ浮かれているんだ」
聖母マリア様のような微笑みは絶えることがない。私にはその顔が普段通りにしか見えなかった。私が思うに、菱川さんは「あまり内心を表に出さない人」。たいていのことは受け流してしまえる「大人」なのだ。
以前、大学の授業で先生が言っていた。大人になることは、上手く嘘をつけるようになること。感情がすぐに表に出てくるのは子どものすることなんだって。「人間、嘘をついちゃいけない」とか子どもの時習うけれども、それこそ嘘だ。時には他人のために嘘をつくこともある。それができるのが大人なんだって。
そう聞いた時、私はしみじみと自分が子どものままなんだな、と納得したのだ。だって、十九歳だった私と、二十歳になった私。何も変わらない。高校時代から私は何一つ変わった気がしていない。だから今の私は、改めて大人になりたいな——そう思う。菱川さんは大人の男の人だから、私だって一人前の大人の女性にならなくちゃ。
「わかりました。ちょっとずつになっちゃうかもしれませんが……努力します。全力で甘えにいきます」
宣言するように言ってみて自分でも違和感が。「全力で甘える」。変な日本語だなぁ。
「そうだね、全力で甘えにきてよ。真向から受けて立つから……っ」
菱川さんは自分でいいながらウケていた。肩が小刻みに震えている。
「ごめん。……ちょっと面白くて」
お気になさらず。菱川さんが楽しんでくれるなら、私はピエロでもなんでもやり……あ、やっぱり無理。恥ずかしいものは恥ずかしい。つーん。
駐車場に停めていた車のところまで来ると、すかさず菱川さんが助手席のドアを開けてくれた。
「これから『デラックスハンバーガーランチセット』を食べに行くんだから、機嫌を直して……梢姫」
……へ。
思わず菱川さんをガン見すると、今度は菱川さんが苦笑していた。
「思っていたより恥ずかしいね、これ。忘れてくれたほうがいいかも」
そう言いながら、回り込んで運転席に座る。菱川さんとしても気まずいのか、エンジンをかけてもなお無言のままだった。けれどもそれは嫌な無言ではない。助手席の私は、心の中でそっと呟く。
梢姫の機嫌は一発で直りました、菱川王子。
『デラックスハンバーガーランチセット』はほっぺたが落ちるほど美味だった。菱川さんがなかなかの食のセンスがあるのだということがわかったところで、軽くドライブの後、本日は早めに終了。家の近くまで車で送ってもらった。実に健康的な初デートで、とても楽しめた。
と、いうことで夜、お礼を兼ねて、トークアプリでメッセージを送ってみた。
『今日は楽しかったです。ありがとうございました!』
既読がすぐにつき、返信がきた。
『よかった。この調子で、二人でもっと色々なところに出かけよう。次の機会を期待しててもいいかな?』
『ぜひ。こちらからもお願いしたいです!』
私と菱川さんのお付き合いはこれ以上もなく順調だと思う。
最近はいい日が多いなぁ、と感慨にふけりつつ、夜更かししないで眠った。占い師の人が言っていた「ちょっとした火種」のことなんか、まったく気にせずに……。
初デート編終了。
次回は再び日常に戻ります。




