恥知らずの恋心
西園寺静流視点――
七里ヶ浜スミレの笑顔が脳裏から離れない。学校であいつを探そうとする自分がいることに気がついた。これはなんだ? あいつの事を考えるとふわっとする気持ちが湧き上がり、妙に鼓動が速くなる。
七里ヶ浜スミレは落ちこぼれの方だ。
家の者からそう言われている。由緒正しき跡取り息子の俺は婚約者が決められていた。
俺の婚約者は七里ヶ浜家の娘、という事だけを聞かされていた。
品行方正で優秀な花純は俺の婚約者となった。だが、俺はまだ愛というものを知らない。もちろん花純の事は好きだ。顔も綺麗だし、気立てもいい。だが、それだけだ。愛情というものは一欠片も感じられない。
ここ最近、姉のスミレの姿が脳裏にちらつく。いままで存在さえも気にしていなかったのに。
顔は花純と一緒だが、髪はぼさぼさで、着ている服も決して綺麗ではない。
だが、何か目が離せない要素があった。温かい気持ちが芽生えた。
それが何かわからない。
「……笑っていた、あの子は。前髪あげていて、凄くきれいだった」
花純と共に台場の街を歩いていたあの日の夕方、知らない男と一緒に走るスミレを見かけた。
かきあげた前髪から見えた瞳は強い意思を感じられ、強烈な異質な力が俺の背筋を凍らせた。美しい、と俺は思った。
と、同時に一緒にいる男に強い嫉妬を覚えた。
だが、俺は今までスミレの事をどうでもいい存在、というよりも、花純の足を引っ張る無能な姉だと思っていた。
教室にいるスミレのイメージとはかけ離れていた。スミレの姿が頭から離れない。
昨日、花純が火遁術を使おうとした時、止めなければと思ってしまった。
本当に、自分の心がよくわからなくなっていた。
学園が終わり、放課後になった。スミレの教室へと向かった。
スミレはみんなが帰るまで待っていた。
誰かが命令したからみたいだ。落ちこぼれの無能は一番最後まで教室にいろ、と。
馬鹿げたルールだ。これだからガキは嫌いなんだ。だが、俺はついこの前までは気にしていなかった。
なあ、これってとても寂しいんじゃないか? と俺は思った。
「……俺が守ってやらないと」
クラスメイトたちはどんどんと教室を出ていく。スミレに嫌がらせをするように、残っている女子や男子もいる。いや、本人たちはルール付けを忘れているのかもしれないな。
俺は立ち上がってスミレに近づこうとした、その時――
「静流様! 一緒に帰りましょ!」
「花純か……、ちょっとまってくれ」
俺は家のしがらみを思い出す。俺の婚約者は花純であってスミレではない。スミレ関わると面倒な事になる。それでも、これくらいは――
「おい、今日はみんな帰れ。鬼がざわつく夜みたいだからな」
俺がそう言うと、みんな大人しく帰った。が、スミレだけは窓の外を見ていた。
***
七里ヶ浜スミレ
教室の生徒たちがいなくなる。私にとって一番心が穏やかになる時間。でも、何故か静流様と花純だけが教室に残っている。……早く帰って欲しい……。
「静流様、帰りましょうよ……。なんで、姉様を見ているんですか?」
「いや、少し気になる事があるんだ。本当に彼女は無能なのか?」
「……えっと、無能以外ありえますか?」
「そうだな……。確かに異能は使えない。俺を含めてみんなが彼女を見下しているのは知っている。少し彼女と話してみたい」
「やめま――」
私は窓をずっと見ていた。この茶番がいつ終わるのか気になった。でも、それどころじゃない状態に私は思わず素になってしまった。
空の色が異様だった。虹色に輝いている。強烈な異能のちからががこんな所まで感じる。
ううん、これ、異能の力じゃない……? なにこれ? おかしいよ?
――背筋が凍りついた。身体が震えるほどの膨大な力に当てられた。
視界の先には何が蠢いていた。目を凝らして見ると、それは――あやかし――だった。しかもあれは上級あやかしの『鬼』の群れ。
二人も異変に気がついたのか、窓の外を見て真っ青な顔に変化する。
「な、なにこれ! 静流様、どうしよう!?」
「ま、待つんだ。異能術師が討伐隊を編成しているはずだ。鬼程度なら――」
名家の異能術師部隊が出陣しているのが見えた。そもそもあやかしがこの街を闊歩しているのが想像できない。なぜならあやかしが出る場所は、異界の亀裂という、台場から少しだけ離れた『夢の島』という場所に限定されているからだ。
鬼のあやかしは子どもたちの恐怖の対象だおとぎ話に出てくる化け物。
「に、逃げるって、どこに?」
「くっ、花純、地下に防御層があるはずだ。そこに――え……?」
「あ、あぁ……」
乱雑な音が聞こえた。振り返る。入口に立っていた一匹のひときわ大きな鬼。醜悪な匂いと見た目。
明らかに普通の鬼とは違う。特殊個体だ。
人は圧倒的な存在を前にすると身体が動かなくなる。声も出せなくなる。
「ひ、ひぃ……、わ、私、にげ……」
「動け花純! 向こうの扉から逃げて――」
と、その時、私は強く背中を押された――
倒れる時、一瞬だけ花純と視線があった。花純が私を押した。あの鬼に生贄を捧げるように――
「あんたは落ちこぼれだからこんな時くらい役にたちなさい!」
「か、花純!?」
「静流様は次期当主になるお方です! 最小の犠牲で逃げないと!」
「あ、ああ」
そういいながら逃げ出そうとする二人。
鬼の瞳がギロリと動いた。倒れた私ではなく、花純と静流様に狙いを定めていた。
鬼が咆哮をあげて術を放った。時間が止まったように感じた。私を犠牲にして逃げようとした二人。それでも、それでも――
私の身体が勝手に動いていた。
身体の奥から湧き上がる不可思議な力。蓮夜は龍の巫女の力って言っていた。使うなって言っていた。
カスミは私の妹。大切とか大切じゃないなんて関係ない、たとえ私を生贄にしようとしても――
私の力により、鬼の術が掻き消えた。これで二人は逃げられる、そう思ったのに。
「だ、駄目だ、こっちから鬼の大群が――」
「窓から逃げましょう! 鬼がスミレを相手しているうちに! 静流様!!」
鬼の大群が教室を埋め尽くさんとする。
教室が壊れる音、私が発動した力がひび割れる音、光の濁流、二人の悲鳴。血だらけになって吹き飛ぶ静流様、棍棒で殴られる花純――
私の最後ってこんな感じなんだね。短い人生だったな……。もっと楽しい事、経験したかったな……。
脳裏に蓮夜様の顔が浮かんだ。
必ずまた会う。
だから、だから!
私は、ここで負けないんだから!
私に迫りくる大きな特殊鬼――
左手を突き出して全身全霊最後の力を振り絞った。
そして、教室は――不思議な光に包まれた。
***
目を開けると、ベッドの上だった。学園から少し離れた住宅地にある七里ヶ浜家のお屋敷の一室。
ゆっくりと起き上がって自分の身体を確認する。不思議だった、自分の身体に異常は何もなかった。どこにも怪我はなかった。
反対側のベッドではカスミが寝息を立てて眠っていた。全身包帯だらけだった。それでも静かに寝息を立てていた。少し胸を撫でおろした。何がどうなったか分からないけど、とにかく私たちは生き残ったんだ。
と、その時、両親が部屋に飛び込んで来た。私の顔を見るなり、落胆の色を浮かべる。
そう、起き上がったのが花純じゃなくて、私スミレだから。
「……鬼の呪い、と石神がいいましたよね、あなた」
「ああ、そうだ。石神家当主が呪いの解き方を調べてくれている」
花純の全身の肌には謎の文様が浮かび上がっていた。私は自分の身体を探ってみた。文様は一つも無かった。
両親は花純の身体の文様を見て再びため息を吐く。
「何年かかるって言ってましたか?」
「最低2年だ。もちろん急がせる」
「当たり前です。花純は私が真心込めて育てた最優の令嬢なんです。こんな所で……、せっかく西園寺家との婚約にこぎつけたのに……」
「まあまあ麗華、スミレと婚約者様が無事だっただけでも良かっただろ」
「あなたは黙らっしゃい! だから使えないって言われるのよ。こんな異能も使えない無能が生き残っても仕方ないでしょ! いい、あなたは私の言う事を聞けばいいの。わかった? ……返事は?」
「は、はい、分かってる。君の言う事は絶対だ」
私は呆然と両親を見ていた。こんな風な力関係だったんだ。
私は全然知らなかった。同じ屋敷に住んでいるのに、一年に一回会うかどうかだから。
だって、私は離れの納屋に住んでいるから……。
母様が私を見た。こんな風にまじまじと見られたのは生まれてから初めてかもしれない。私の髪を乱暴に掴み上げる。痛いけど何も言えない。
「……顔は花純そっくりですね。……異能がうまく使えない落ちこぼれ。でも、それはあの事故のせいにできるわ。絶対に西園寺家と婚約をして、序列一位に……死ぬ物狂いでやらせたら……ええ、あるいは――使い道、道具としての――」
母様が再び花純のベッドに近寄り、花純の手を握りしめた。
「花純、あなたは私の可愛い可愛い娘よ。ねえ、ちょっとだけ休んでいてね。――その間、スミレがあなたの代わりを務めるわ。花純が中等部に上がったら正式に西園寺家と婚約の義をする予定だったのよ。だから……代わりが必要なの」
「麗華!? そ、それは……」
母様が立ち上がる。そして、私を見てこういった。
「あなたは今日から『花純』よ。ここに寝ている子は『スミレ』よ。本物が起きるまで、あなたに夢を見させてあげるわ――私の可愛い花純。西園寺家との婚約、絶対に繋ぎ止めなさい」
母様は私に向かって笑みを浮かべた。その笑顔は普段花純に向けていた笑顔をなんら遜色もない。ただ、感情が伴っていないだけ。
「お、おう、そうだな。スミレは花純、スミレは花純。……花純、無事で良かった! それにしたって、スミレはあやかしの呪いに負けやがって。よし、今日はお祝いだ」
母様は父様の様子を見てコクリを頷く。
私には選択肢がない。母様に逆らう事自体、この家で自殺行為。全国に数人しかいない超高位異能術者、七里ヶ浜麗華。異能協会の理事長兼、異能学園の理事長を務める、強さと美貌の象徴的な存在。
私は「はい、母様」と頷くしかなかった。
それでも、大丈夫、私にはあの日の思い出があるから。強く、強く生きるんだ――




