05:友の来訪
嵐の夜から数日後、塔に珍しい客人が訪れた。
「よう、セオドア! ちゃんと生きてるか、友よ!」
現れたのは太陽をそのまま人にしたような、快活な青年だった。金の髪を無造作にかき上げ、王宮騎士団の豪奢な制服を少し着崩している。
セオドアの数少ない友人、第二騎士団長のアレクシス・ヴァーミリオンである。書庫官に過ぎない私でも、彼の名前と顔くらいは知っている。
「うるさいぞ、アレク。お前の大声は塔に響く」
「はっはっは! 相変わらず可愛げのない奴だ。で、そちらの御婦人が噂の奥方か?」
値踏みするような視線に、私は軽く会釈を返した。どうせ「公爵をたぶらかす平民の女」くらいに思っているのだろう。面倒なので、特に反論もしない。
だがアレクシスは意外にも、私とセオドアが真剣に研究に取り組む様子を見ると、すぐに警戒を解いたようだった。
「なるほどな。お前が選んだ女だ。ただ者じゃないとは思っていたが」
彼はセオドアの肩を軽く叩き(もちろん魔力遮断の手袋越しだ)、にやりと笑った。
「ちょっとこいつと話したい。奥方は悪いが外してくれ」
+++
アリアーナが部屋から出ていくと、アレクシスは表情を改めた。
「お前の叔父上の調査を進めている。正直、ほぼ黒だ」
「……そうか」
セオドアは目を伏せる。
「ただ、最後の証拠がまだ上がっていない。お前のお抱え研究者、エリアス・グレンジャーだったか。彼に魔力暴走を意図的に引き起こした手段が不明だ」
「叔父は狡猾な男だ。そう簡単に尻尾は出すまい」
言いながら、セオドアは部屋の扉を見る。かつては閉じられたままだった、アリアーナが開いてくれた扉を。
「私が結婚したことで、叔父は焦っているだろう。何かしらの動きを見せるはずだ。それを待つ」
「囮になるつもりか?」
「まあな。そのくらいしか、役に立てそうにない」
寂しそうに笑ったセオドアに、アレクシスは意外そうな表情を返した。
「お前、変わったな。奥方のおかげかよ?」
「変わったと思うのなら、そうなのだろう。私は彼女の兄に報いるつもりで、この結婚を持ちかけた。だが……」
彼はそっと首を振った。
「報われたのは、私だったよ。望めるはずのない温かさを、彼女は与えてくれた。これ以上はもう、返せそうにない」
「……任せろ。必ず捕まえてみせる」
アレクシスは友の肩を叩く。
たとえ手袋をしていたとて、こうして彼に恐れず触れるのはアレクシスだけだ。かけがえのない友だった。
「ああ。頼んだ」
+++
アレクシスはセオドアと二人きりで、何やら話をしていた。私は席を外したが、書斎から戻ってきたセオドアの表情が、いつもより険しくなっていたことには気づいていた。
その夜、私はセバスチャンに、騎士団長の来訪について尋ねてみた。
「アレクシス様は、旦那様の数少ないご友人でして。旦那様の叔父君、ヴァルデマール公爵の動向をいつも気にかけてくださっているのです」
「ヴァルデマール公爵……」
「はい。最近、宮廷ではアリアーナ様の良くない噂が流れているとか。すべて、ヴァルデマール公爵の差し金でしょう」
面倒なことになった。どうやら、敵は悠長に待ってはくれないらしい。
その予感は、最悪の形で的中することになる。
数日後の午後。
「セオドア、甥の顔を見に来てやったぞ」
蛇のようにぬるりとした声と共に、その男は現れた。
柔和な笑みを浮かべた、初老の紳士。しかしその目の奥には、獲物を前にした爬虫類のような冷酷な光が宿っている。
セオドアの叔父、ヴァルデマール公爵。
「これは叔父上。わざわざこのような埃っぽい塔へようこそ」
「新しい奥方を迎えたと聞いてな。これはご挨拶せねばと思ったまでだ。……あなたが、アリアーナ嬢か。噂に違わぬ、愛らしい方だ」
値踏みする視線が、私の全身を舐めるように這う。背筋に氷を押し付けられたような悪寒が走った。私は平静を装い、彼にお茶を淹れた。表面上は穏やかな会話が続くが、水面下では火花が散っているのがわかる。
「ありがとう。君の淹れた茶は格別だね」
ヴァルデマールはそう言うと、カップを口に運んだ。その一瞬、彼の指先で何か銀色のものが光った――ような気がした。けれどそれはあまりに一瞬で、気のせいかと見過ごしてしまった。
やがてヴァルデマールは満足したように腰を上げ、紳士的に挨拶をして去っていった。部屋の外、塔の階段を下っていく足音が聞こえる。
危機が過ぎ去ったような安堵感に、私はセオドア様を見るが。
「……とんだ置き土産を置いていってくれた。だが、これで証拠が上がる」
彼が皮肉っぽく呟いた、その時だった。
ガシャン!
彼の手から、ティーカップが滑り落ちて砕け散る。
セオドア様は胸を押さえ、その場に膝から崩れ落ちた。その顔は見たこともないほど苦悶に歪み、白い喉から押し殺したような呻き声が漏れる。
「セオドア様!?」
私の悲鳴が、静寂の塔に木霊した。
穏やかだったはずの午後は、一瞬にして悪夢へと姿を変えたのだった。




