43:聖域の真相
黒曜石の重い扉を、二人で押し開く。
その先に広がっていたのは、私たちの想像をあらゆる意味で裏切る光景だった。
そこは巨大なドーム状の空間だった。
まるで天空に浮かぶ教会の聖堂のように、神々しく荘厳な静寂に満たされている。天井からは、どこから差しているのかわからない柔らかな光が降り注いで、部屋全体を明るく照らしていた。
そして中央には、天を突くほどの巨大な水晶の柱――『マナ・クリスタル』が、無機質な心臓のようにゆっくりと脈動している。
「……美しい……」
壁一面に描かれた、古代の英雄譚を思わせる壮麗なフレスコ画。磨き上げられた床。あまりの神々しさと美しさに、ここが私たちの国を蝕む諸悪の根源だとは、にわかには信じがたかった。
だが私の魂は、この空間の真実を感じ取っていた。
「美しい……けれど、なんて悲しい魔力なのでしょう。故郷を失って、泣いているようです」
この空間を満たす膨大な魔力は、そのすべてが私たちの国から無理やり吸い上げられたもの。その一つ一つに、故郷を追われた悲しみと苦しみの叫びが染み付いている。
その時だった。
巨大なマナ・クリスタルの陰で、祈るように佇んでいた一人の人物が、ゆっくりとこちらに振り返った。領主の館で見た、あのフードの男だ。
彼が静かにフードを取る。
現れたのは、銀の髪と理知的な紫の瞳を持つ、聖職者のように美しい青年だった。その顔には、穏やかな笑みさえ浮かんでいる。
「ようこそ、アシュベリー公爵。そして、『調律』の乙女よ」
彼は私たちを歓迎するように、軽く両手を広げた。
「私はラザラス。あなた方がこの『聖域』にたどり着くことは、わかっていました」
その声は、一見すれば穏やかで好意に満ちている。それだけに不気味だった。
「貴様が、この事件の首謀者か」
セオドアが低い声で問う。
「首謀者、ですか。ええ、そうかもしれませんね。ですがあなた方は誤解している。これは世界のために必要な計画なのです」
そうしてラザラスは語り始めた。
彼の目的は単なる魔力強奪ではない。この大陸全体の魔力を、一度このマナ・クリスタルに集約し、不純物を取り除いて精製・純化。そして、より高次の魔力として再び世界に解放することで、人々を病や貧困、あらゆる争いから解放する。
いわば「世界の救済」こそが、彼の真の目的だというのだ。
「アシュベリー公爵閣下、アリアーナ様。あなたたちの力は存じております。新たな世界、新たな救済のためには、あなたがたのような強い力が必要だ。どうか力を貸してくださいませんか?」
「断る。その計画の過程で、我々の国が犠牲になることも厭わない、と? それは救済ではない。選民思想に凝り固まった、ただの傲慢な独善だ」
セオドアの冷徹な指摘に、ラザラスは悲しげに微笑んだ。
「大いなる目的のためには、小さな犠牲はつきもの。あなたのように強大な力を持ちながら、それを己がためだけに使い、世界から目を背けてきた孤独な研究者には、理解できないでしょうな」
その言葉は、明らかにセオドアの過去の傷を抉るものだった。彼の肩がわずかに強張るのがわかる。
私はたまらず一歩前に出た。
「あなたは間違っているわ!」
私の声が、神々しい聖堂に鋭く響き渡る。
「誰かの犠牲の上に成り立つ平和など、偽物にすぎない! セオドアは、孤独の力の苦しみを知っているからこそ、今、国を守るためにここにいるのだから!」
私の強い意志を宿した瞳を見て、ラザラスは初めてその穏やかな表情を硬くした。
「……残念です。あなたこそ、我々の救済の計画を理解できる、新たな聖女となり得たかもしれないというのに」
交渉は決裂した。
「もはや、言葉は不要のようですね」
ラザラスが、静かに片手を掲げる。
「この『聖域』は、我が教団の理想そのもの。あなたがたごときが、この歩みを止めることはできません」
その声に応えるかのように、聖堂全体が鳴動した。
壁に描かれていた、美しいフレスコ画。その絵の具がまるで生きているかのように流れ出し、光の粒子となって次々と人型を形成していく。古代の鎧をまとった、英雄たちの幻影兵だ。
その数はざっと見て三十体以上。一体一体が、並の騎士を凌駕するほどの魔力を宿している。
戦士たちは武器を構えて、じりじりと距離を詰めてくる。
だが、私の心に恐怖はなかった。
背中を守ってくれる、絶対的な信頼を寄せる夫の存在を感じていたからだ。
私たちは、自然と背中合わせになる。
セオドアの手のひらから、魔力の光が溢れ出す。
私の胸のペンダントが光を放ち、防御結界を展開する。
目の前には、無慈悲な幻影の軍勢。
そして背後に立つ、偽りの救世主。
私たちの戦いの火蓋が今、切られた。




