42:古代遺跡の罠
隣国の夜は私たちの国の夜よりも、深く冷たく感じられた。
私とセオドアは入手した地図を頼りに、夜陰に紛れて目的の古代遺跡へと向かっていた。月明かりの下、巨大な獣がうずくまっているかのように静まり返ったその遺跡は、濃密で淀んだ魔力の気配を発している。周囲の空間そのものを歪めているようだった。
「……気配が強い。見張りが複数いるな」
セオドアの囁きに、私は頷く。
私たちは、姿を消す魔法具『幻影のマント』を深くかぶり、息を殺した。まるで夜風そのものになったかのように、篝火の光が作る影から影へと渡り、見張りの兵士たちの間をすり抜けて、遺跡の入り口へとたどり着く。
ひんやりとした湿った空気が、私たちの肌を撫でた。どこかから滴る水の音が、洞窟のような通路に不気味に反響している。
(まるで、巨大な生き物の体内にでも入ったみたいだわ)
地図を頼りに進む。が、すぐにこれが単なる迷路ではないことを思い知らされた。
「待て、アリアーナ」
セオドアが、私の腕を掴んで制止する。
「この床の文様……古代の重力反転術式だ。一歩でも踏み込めば、我々は押しつぶされて天井の染みになるぞ」
彼の指差す先には、何の変哲もない石畳が続いているだけに見える。だが彼の目には、そこに隠された死の罠がはっきりと見えているのだ。
「セオドア、あちらの通路ですが」
今度は私の番だ。私は目を閉じ、「調律」の力で魔力の流れを探る。
「魔力の流れが、壁の前で不自然に途切れています。おそらく、物理的な壁ではなく、強力な幻術障壁かと」
「なるほどな。ご苦労様、私の『羅針盤』」
彼は私の髪を軽く撫でると、幻術障壁の核となっている部分にあたりをつけ、最小限の魔力で解呪式を放った。すると目の前の壁が、陽炎のように揺らいで消えて、新たな通路が現れる。
セオドアが「理論」で罠の構造を見抜き、私が「感覚」で魔力の淀みや偽りを見つける。私たちは言葉を交わさずとも、互いが何をすべきかを理解していた。
(まったく、こんな危険な場所で、この人との連携は完璧だなんて、皮肉なものね)
だがその完璧な信頼関係が、今は何よりも心強かった。
いくつもの悪趣味な罠を突破し、私たちはついに、地図に記された最深部――『聖域』へと続く、巨大な黒曜石の扉の前にたどり着いた。
扉は禍々しい紫色の光を放っている。見たこともないほど複雑な封印術式が、まるで生きているかのように蠢いていた。
「これは……単なる封印ではないな」
セオドアが険しい顔で呟いた。
「扉に触れた者の魔力を吸収し、それを動力源として自己強化する、悪趣味な自己完結型の術式だ。並の魔法使いでは、触れた瞬間に魔力を吸い尽くされてミイラになるのが関の山だろう」
解呪の方法を模索しようと、彼が一歩前に出た、その時だった。
扉の術式が、ゴウ――と唸りを上げた。そこから溢れ出した魔力が扉の前で渦を巻く。みるみるうちに一体の巨大なゴーレムを形成していく。感情のない、純粋な破壊のためだけの魔術的な守護者だ。
「ちっ……!」
セオドアの舌打ちと共に、彼の指先から放たれたいくつもの光の矢が、ゴーレムに突き刺さる。だが、ゴーレムの身体に空いた穴は、扉から魔力が供給され、瞬く間に再生してしまった。
絶体絶命。
セオドアの攻撃魔法が効かない。その間にも、ゴーレムは容赦なく襲いかかってくる。このままでは彼の魔力が尽きるのが先だ。
激しい攻防の最中、私はあることに気づいた。
「セオドア! あのゴーレム、扉と魔力が直結しています!」
私は叫んだ。
「いわば、へその緒で繋がった赤子のようなもの! 私が扉の魔力の流れを一時的に『調律』し、供給を断ちます! その隙を突いてください!」
「アリアーナ、しかし、それは君に多大な負担が……!」
「あなたを信じています!」
私は彼の制止を振り切り、全神経を集中させた。胸のペンダントが温かくも美しい光を放つ。
私の「調律」の力を、扉の封印術式そのものにぶつける。荒れ狂う魔力の奔流を無理やり中和して、その流れを堰き止める!
「ぐっ……!」
凄まじい抵抗に、意識が遠のきそうになる。けれどその瞬間、確かにゴーレムの動きが鈍った。
その千載一遇の好機を、私の夫が見逃すはずがなかった。
「――砕け散れ!」
セオドアの手から放たれたのは、もはや単なる攻撃魔法ではない。対象の魔力構造そのものを崩壊させる、神業のような高等解呪式。 その光の槍は、動きの鈍ったゴーレムの核を的確に貫いた。
断末魔の叫びもなく、巨大な守護者は光の粒子となって霧散する。
ぜえぜえと息を切らす私の肩を、セオドアが力強く支えてくれた。
ゴーレムを倒したことで、扉の封印も一時的に弱まっている。扉は禍々しい光を失い、今ならば触れても魔力を吸われることはないだろう。
扉の隙間からは、ぞっとするほど邪悪で強大な魔力の気配が、まるで瘴気のように漏れ出してきていた。
私たちは顔を見合わせる。
ついにたどり着いたのだ。この国の苦しみの根源に。
「行きましょう、セオドア」
「ああ」
私たちは覚悟を決めると、重い黒曜石の扉に二人で手をかけた。
この先にどんな絶望が待っていようとも、二人一緒ならきっと乗り越えられる。
そう信じて。




