41:見えざる敵
隣国との国境を越えた先にある宿場街は、驚くほど活気に満ちていた。
石畳の道を陽気な人々が行き交い、露店からは香ばしい焼き菓子の匂いが漂ってくる。建物の壁は綺麗に塗り直され、窓辺には色とりどりの花が飾られている。
私たちの国境沿いの村が、まるで色褪せた絵画のようだったのとは対照的すぎる光景だ。
「……まるで、作り物の春のようですね」
「新婚旅行中の貴族夫婦」として宿の一室を取った私は、窓の外を眺めながら、思わずそう呟いた。
街は豊かな魔力で満たされている。だがその豊かさはどこか不自然で、地に足が着いていないような薄っぺらいものに感じられた。あるいは、床板を一枚めくったら地獄に繋がっているような不安定さに。
「ああ。この繁栄は、我々の国から吸い上げた魔力の上に成り立っている、虚構のものだ」
セオドアは、街で仕入れてきたらしい安物の麦酒を飲みながら、冷静に分析する。
彼は私と違って、街の酒場で聞き込みをしたり、市場で情報収集をしたりと、意外なほど手際よく動いていた。呪いで塔に引きこもっていたとは思えない適応力だ。まあ、彼の頭脳にかかれば、人の心を読み解くことも魔術の理論を解き明かすことも、大差ないのかもしれない。
その夜。私は宿の一室で、意識を集中させた。
胸にかけたペンダントが、セオドアの魔力で温かい。これが私を守ってくれる。
私は慎重に「調律」の力を広げていった。先日感じた、鋭い妨害の魔力波を刺激しないように。そっと水面に広がる波紋のように、静かに、深く。
(……見つけた)
やはり、そうだ。
この街の不自然なほど豊かな魔力は、国境の向こう側……私たちの国から吸い上げたもの。それが一旦、街の中心にそびえる領主の館に集められている。そして、そこから一本の太い流れとなって、あの古代遺跡へと注ぎ込まれているのだ。
この街の領主が陰謀の中心的役割を担っていることは、ほぼ間違いない。
「セオドア、突き止めました。すべての魔力は、領主の館を経由しています」
「そうか。私が集めた情報とも一致するな。あの領主は、この一年で急激に財を成し、のし上がったらしい。おそらく、我が国から吸い上げた魔力を『売った』見返りだろう」
「だとしたら、館に遺跡に関する手がかりがあるかもしれません」
「ああ。……今夜、行くぞ」
青灰色の瞳に、かつてないほど冷たい光が宿っていた。
真夜中。私たちは、セオドアお手製の『幻影のマント』を羽織り、領主の館の庭に降り立った。まるで夜の闇に溶け込んだように、私たちの姿は誰にも認識できない。さらに腰に下げた『沈黙の護符』が、私たちの魔力の気配を完全に遮断していた。
(まったく。こんな危険な代物が、役に立つ日が来るなんて皮肉なものだわ)
私たちは、難なく書斎に忍び込んだ。目的は遺跡に関する詳細な地図や資料の入手だ。
本棚を探し始めようとした時、書斎の扉が開かれる。二人の人物が入ってきた。
一人目は領主と思われる人物。もう一人はフードを目深にかぶった、ローブ姿の謎の人影。私たちは息を殺し、本棚の影に身を潜めた。
「魔力の吸収は順調だ。計画の最終段階も近い」
謎の人物が抑揚のない声で言う。
「しかし領主殿。最近こちらの探知術式に、微弱な干渉があった。おそらく、王国の『ネズミ』が嗅ぎつけたのだろう。警備を一層強化しろ。特に遺跡の『中枢』には、何人たりとも近づけるな」
「は、ははあ! もちろんでございます!」
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
敵は私たちの動きに気づいている。そしてこれは単独犯ではない。明確な指示系統を持つ、組織的な犯行なのだ。
仮にも領主の立場にある人間が、あそこまで平身低頭している。フードの人物の影響の大きさが伺えた。
やがて領主たちが部屋を出ていくと、私たちはすぐさま書斎の探索を開始した。
「アリアーナ、あそこだ」
セオドアが指差したのは、壁にかけられた古いタペストリー。タペストリーをめくってみると、その先の壁に巧妙に隠された金庫が埋め込まれている。こんなもの、普通の人間なら絶対に見つけられない。一瞬で見抜いた彼の洞察力には、本当に舌を巻く。
金庫の中には案の定、一冊の古い地図が収められていた。それはこの土地の公式な地図には記されていない、古代遺跡の内部構造を示す、詳細な見取り図。
その中央には、『聖域』と記された、通常では知られていない隠された区画があった。
(ここが、奴らの言う『中枢』……!)
私たちは無事に館を脱出し、宿へと戻った。
入手したばかりの地図を、テーブルの上に広げる。複雑な迷路のような通路、無数の罠を示す印、そして、最深部に位置する『聖域』。
「敵は我々の存在を認識した。もはや、時間との勝負だ」
セオドアの言葉に、私は胸のペンダントを強く握りしめた。
「ええ。行きましょう、セオドア。私たちの国を蝕む、諸悪の根源へ」
私たちの視線の先には、地図に記された古代遺跡。
次なる潜入への覚悟と、肌を刺すような緊張感が、部屋の空気を満たしていた。
これはもう、人助けなどという生易しいものではない。
私たちの国と隣国の見えざる敵との、水面下の戦争なのだ。
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