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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第3章 水面下の戦い

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39:王家の密命

 穏やかな午後の日差しが、賢者の塔の書斎に満ちる無数の埃をきらきらと照らし出していた。

 私たちは巨大なオーク材の机に向かい合い、教科書作りという新たな目標に没頭していた。私が「魔力相談室」の記録から症例を読み上げ、セオドアがその現象を理論的に解説し、羊皮紙に書き留めていく。


「次の症例は『魔力が身体に馴染まず、常に浮ついた感覚がする』という方です。私の感覚では、まるでサイズの合わない服を着ているような、ちぐはぐな印象でした」


「なるほど。それは、本人の魂の波長と、身体に宿る魔力の固有波長との間に生じた不協和が原因だろうな。後天的な魔力障害でよく見られる」


「まあ、さすがです。それを、どうすれば分かりやすく……」


 夫婦であり、最高の研究パートナー。

 阿吽の呼吸で進む作業は、本当に心地よい。こんな時間がずっと続けばいいと思う。


 しかし私の希望は叶わなかった。満ち足りた静寂を破ったのは、国王陛下の紋章が刻まれた、一通の正式な召喚状だった。


「……旦那様、奥様。これは、一体」


 セバスチャンさんが、緊張で強張った顔で封筒を受け取っている。無理もない。これまで私たちが二人揃って王に召喚されるなどという、異例の事態はなかったのだから。


(厄介事の匂いしかしないわね)


 私は内心で悪態をつきつつ、冷静に封蝋を解くセオドアを見つめた。


「これは、個人的な要件ではないな」


 その青灰色の瞳が一瞬だけ、かつての呪われ公爵が持っていた鋭い光を宿した。

 どうやら私たちの穏やかな日常は、ひとまずここまでらしい。






 王の執務室は、歴史の重みで空気が少し澱んでいるような、重厚な空間だった。

 大きな執務机の椅子に座る国王陛下は、壮年の年頃。目には深い心労の色が滲んでいた。彼は私たちの顔を見ると、わずかにその表情を和らげる。


「アシュベリー公爵、そして奥方よ。急な呼び出し、すまなかったな」


 その声には、労いと信頼が込められていた。


「これまでのそなたたちの働き、すべて聞き及んでおる。ヴァルデマールの一件、古代遺物の暴走阻止、王妃の首飾りの件……。そして、魔力に悩む者たちを救っているという『相談室』の噂もな」


 どうやら、私たちの活動はすっかり王の耳にまで届いていたらしい。まったく、アレクシスあたりがお面白おかしく話したに違いない。

 国王は本題に入った。その声は先ほどとは打って変わって、国家の主としての厳しい響きを帯びる。


「――隣国との国境地帯で、原因不明の『魔力の枯渇現象』が起きている」


「何ですって?」


 予想以上に重篤な事態を知らされて、私たちは息を呑んだ。


「土地は痩せ、作物は枯れ、そこに住まう民の魔力さえもが、日を追うごとに弱まっているのだ。このままでは大規模な飢饉と、国防の弱体化は避けられん」


 宮廷魔術師団の調査でも、原因は不明。下手に動けば隣国を刺激して、外交問題に発展しかねない。


「そこで、だ」


 と王は言った。


「この国家機密の調査と解決を、そなたたち二人に、極秘に一任したい。宮廷の常識では計れぬこの事態、常識の外に立つ者の力が必要なのだ」


 それは王からの最大限の信頼であり、同時に断ることのできない重い密命だった。






 数日後。私たちは身分を隠し、番人さんの護衛のもと、問題の辺境伯領の村に立っていた。

 村はまるで色を失った絵画のようだった。土は乾ききってひび割れ、畑には作物の枯れた残骸が虚しく風に揺れている。すれ違う村人たちの目には生気がなく、重苦しい空気が村全体を支配していた。


「……ひどいな。これは」


 セオドアは携帯用の魔力分析器を取り出し、土壌や大気のサンプルを採取していく。その手際は、研究室にいる時と何ら変わらない。


「やはり自然現象ではない。完璧に設計された、極めて悪質な術式だ。何者かがこの土地の生命線である地脈の魔力を、根こそぎ吸い上げている」


 彼の言葉に、私は目を閉じて意識を集中させた。「調律」の力を、大地へと広げていく。

 すると、感じた。まるで巨大な傷口から血が流れ出るように、この土地の生命力が細い一本の川となって、ある方向へ吸い出されているのを。その流れの先にあるのは――。


「セオドア、国境の向こうです。隣国の領内に、黒く澱んだ染みのような場所が……古代遺跡でしょうか」


 私がさらにその流れの根源を探ろうとした、その瞬間だった。


「――っ!」


 鋭い針で脳を直接刺されたような衝撃。


「アリアーナ!」


 短い悲鳴を上げた私を、セオドアが即座に抱きかかえてくれる。

 間違いない。敵はただ魔力を盗んでいるだけではない。私のような感知能力を持つ者の存在を警戒し、隠蔽工作まで施している。これは明確な悪意と意図を持った、国家規模の陰謀だ。





 王都に戻った私たちは、事の重大さを直ちに国王へ報告した。

 執務室の空気は張り詰めている。私たちの調査は、隣国との戦争の引き金にさえなりかねないのだ。


「……それでも余は、そなたたちに託す。いや……託さざるを得ない」


 王は静かに言った。口調こそ落ち着いていたが、苦悶の色がありありと見える。

 セオドアが一歩前へ進み出る。


「かつての私ならば、国の行く末など気にも留めなかったでしょう。ですが今は違う。私には守るべきものがある。この国も、我が賢者の塔も、そして私の妻も」


 彼の言葉に、私も覚悟を決めた。

 これまでは、目の前の誰かを助けるためだった。でも今度は違う。まだ見ぬ多くの人々の、未来を守るための戦いなのだ。


「私の力が、この国のために役立つというのなら」


 賢者の塔の書斎に戻ると、セオドアは壁に掛かった王国の大きな地図を広げた。

 その中央に引かれた、国境線。その向こう側にある、古代遺跡。私たちの新たな戦場だ。


「どうやら退屈している暇はなさそうだな、アリアーナ」


 地図を見つめる彼の横顔に、かつての冷徹さとは違う闘志の光が宿っている。

 私はその隣に立って、不敵に微笑んでみせた。


「ええ、望むところです、セオドア」


 私たちの平穏な日常は終わりを告げた。

 だが不思議と心は晴れやかだった。愛する夫と共に、共通の敵に立ち向かう。

 それもまた悪くない。

 私たちの物語は、新たな章の幕を開けたのだ。


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