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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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37:盗まれた首飾り2

「どうした、アリアーナ?」


 私の怪訝な表情に、セオドアが気づいて声をかける。


「犯人は、一人ではなかったのかもしれないわ」


 私はゆっくりと目を開けると、天井を見上げた。隅に装飾が施されている。よく見ればそれはカモフラージュされた通風口だった。

 微かな魔力はそこにこびりついている。


「いいえ、これは……人の感情じゃない」


 私の呟きに、セオドアとアレクシスが訝しげな顔で同じ場所を見上げる。雨上がりの薄曇りの空のように、事件の真相はまだ厚い謎の雲に覆われていた。







「人の感情じゃない?」


 私の呟きに、アレクシスは訝しげな顔になる。私と天井の通気口を交互に見た。


「おいアリアーナ、まさかネズミか何かが犯人だなんて言うんじゃないだろうな」


「いいえ。たとえネズミであっても、この細い鉄格子をすり抜けるのは無理でしょう」


 鉄格子はごく細かい網目状になていて、通れるとしたら羽虫くらいのものだろう。虫を使い魔にする魔術師もいなくはないが、小さな虫では首飾りを盗めない。


 ただ、よく見れば鉄格子は下端が少し崩れていた。このくらいのスペースがあれば、ネズミくらいなら通れるかもしれない。

 しかし盗みに入る時に、都合よく崩れるものだろうか? ここは王宮の宝物庫。たとえ通気口であっても、メンテナンスが放置されるとは思えない。ごく最近崩れたものと見て間違いないだろう。


「魔術師の使い魔であれば、この魔力の残滓は矛盾しないわ。鉄格子が崩れているのが気にかかるの」


 私の言葉を、セオドアは真剣な顔で受け止めていた。彼は通気口の真下に立つと、片眼鏡型の魔道具でその構造を精密に分析し始める。


「なるほど、面白い。アリアーナの言う通りだとしたら、全ての辻褄が合う」


 彼は片眼鏡を外すと、自信に満ちた声で言った。


「犯人はこの通気口を使ったんだ。人間には到底通れないが、猫やネズミくらいの大きさの生き物なら話は別だ。その生き物に何らかの手段で鉄格子を通させて、結界を解除する魔道具を運ばせたのだろう」


 完璧な密室に穿たれた、唯一の抜け穴。それは、常識に囚われた人間の目には、ただの装飾にしか見えない死角だった。







 賢者の塔に戻った私たちは、応接室で作戦を練っていた。


「問題は、どうやってその通気口を調べるかだ。鉄格子はもちろんだが、通気口も人間が入れる大きさじゃないからな」


「使い魔が鉄格子を通り抜けた手段も謎よ。あの通風口に入れるような小動物は、力が弱い。力ずくで壊したりするのは不可能です」


「むう……」


 アレクシスが腕を組んで唸る。

 その時私の足元で、話が分かっているのかいないのか、黒猫の精霊ファントムが「にゃあ」と鳴いた。彼は先ほどから、私が現場から持ち帰ったハンカチ(証拠として空気の標本を採取していた)の匂いを、しきりに気にしている。

 その姿を見て、私とセオドアは同時に顔を見合わせた。


「適任者が、一匹いるじゃないか」


 翌日、私たちはファントムを連れて再び王城の宝物庫を訪れた。もちろん許可を得てのことだ。


「本当に、猫一匹で何とかなるのか? 使い魔というわけじゃないんだろう?」


 不安げなアレクシスを尻目に、ファントムはまるで自分の庭を散歩するかのように、軽やかに通気口の下まで歩いていく。私が見上げる先を指さすと、彼は全てを理解したように一度鳴いた。

 小さな体がふわりと宙に浮く。ファントムの体が半透明に揺らめいた。固いはずの金属格子をすり抜けて、狭い通気口の中へと消えていく。人間には不可能な、猫の精霊ならではの離れ業だった。


(ファントムがいれば、盗みに入れるわね)


 つい考えて、苦笑してしまう。精霊化した動物霊は相当に珍しい存在だ。他に一匹もいないとは言い切れないが、今回は違うだろう。

 何より残された魔力は生きている動物のもの。ファントムのような精霊のものではない。


 待つこと数分。ひょっこりと通気口から顔を出したファントムは、何事もなかったかのように私の腕の中へと飛び降りてきた。


「どう、何かあった?」


 ファントムは返事の代わりに、私の頬にすり寄る。その際、彼の毛並みから漂うごく僅かな特殊な匂いに気づいた。薬品のような、金属のような……。


「セオドア、この匂い……」


 ファントムを夫に差し出すと、彼はその匂いを慎重に嗅ぎ、すぐに答えを導き出した。


「間違いない。これは『錆びゆく涙』と呼ばれる錬金薬だ。金属を一時的に腐食させる効果がある。港の商人ギルドでのみ、特殊な用途のために扱われている代物だ」


 密室のトリックが、音を立てて崩れていく。犯人はこの薬で通気口の格子を脆くし、相棒の小動物を侵入させたのだ。


 アレクシスの情報網は早かった。彼が騎士団に指示を出すと、すぐに容疑者が浮かび上がった。王城の魔術師であるハンス。彼は多額のギャンブルの借金を抱えており、その債権者が、港で悪徳な商売をしていることで有名な商人バルガスだった。

 魔術師ハンスが内部情報を提供し、バルガスが錬金薬を用意したのだろう。そしてハンスは使い魔を使って首飾りを盗み出した。首飾りは、間違いなくバルガスの屋敷にあるはずだ。


 だが、話はそこで行き詰まった。


「……証拠がない」


 アレクシスが悔しそうにテーブルを叩く。


「バルガスは用心深い男だ。令状もなしに、あのからくり仕掛けの屋敷を捜索することはできん」


 侍女長の涙が、私の脳裏をよぎる。あと一歩のところまで来ているのに、このままでは王妃の心を救えない。

 万策尽きたかのような重い沈黙が、部屋を支配した。


「いいや、諦めるのは早い。私に策がある」


 彼のその一言は手詰まりの状況を打ち破る、確かな響きを持っていた。


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