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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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34:書庫の幽霊2

「盗まれた本は? まさか、危険な……」


「古代魔術書だ」


 父は、苦々しい表情でその名を告げた。


「『魂魄転写の謬見こんぱくてんしゃのびゅうけん』。その危険性ゆえに、厳重に封印されていた代物だ」


 騎士団に届け出れば、書庫の威信は地に落ちる。かといって危険な禁書が野に放たれたままでは、何が起こるかわからない。父の苦悩が痛いほど伝わってきた。

 彼は最後に、絞り出すような声で言った。


「公爵閣下の魔法の知識と、アリアーナ、お前の書庫に関する知識が必要だ。どうか、この事件を内密に解決してはくれまいか」


 それはこの厳格な父が、娘とその夫に差し伸べた紛れもないSOSだった。

 セオドアは迷いなく頷いた。


「承知いたしました、書庫長。アリアーナと共に、必ずや解決してみせましょう」


 私は父の目を見て、力強く頷いた。こうして、私たちの奇妙な調査が始まることになったのだ。







 書庫長室を後にし、私たちは早速調査を開始した。夫と二人で事件を捜査するなんて、まるで探偵ごっこだと頭の片隅で思う。しかしもう何度もやったことだし、何よりも私の古巣が危機に瀕しているのだ。感傷に浸っている暇はない。


「では、役割分担と行きましょうか」


 私が言うと、セオドアは「それが合理的だ」と頷いた。


「私は『亡霊』の聞き込みと、現場の魔力調査を。あなたは専門分野である『禁書庫』の物理的、魔術的な調査をお願いできるかしら」


「承知した。君の『調律』なら、そこに残る微かな魔力の揺らぎも見逃さないだろう」


 夫はこういう謎解きとなると、本当に嬉々として取り組む。その瞳は、極上のパズルを与えられた子供のように輝いていた。少し呆れつつも、私はインクと本の匂いが混じる書庫のメインホールへと向かった。


 元同僚や後輩たちは、私の姿を認めると安堵したような、それでいて何かを恐れるような複雑な表情で会釈をしてくる。「亡霊」の噂は、彼らが思う以上に精神を蝕んでいるらしい。


「アリアーナ先輩!」


 声をかけてきたのは、私の後輩にあたるレオ・ラングドンという青年だった。そばかすの残る人の良さそうな顔を、今は不安の色が覆っている。


「亡霊のこと、聞きに来たんでしょう? 僕、見ちゃったんです……」


 彼は声を潜めて、私を人気の少ない書架の影へと誘った。彼の話では数日前の夜、閉館作業をしていると、歴史書の書架の向こうを青白い人影がすっと通り過ぎたのだという。他の目撃者たちの証言とも一致する。


「本当に、呪いなんでしょうか……」


「さあ、どうかしら。でも、もしそうなら私が何とかするわ。心配しないで」


 私が言うと、レオは少しだけ表情を和らげた。


 レオと別れて、私は彼が示した歴史書の書架へと向かった。深呼吸をして意識を集中させ、私の能力――「調律」を発動させる。

 世界から音が消えた。代わりに魔力の色や匂い、感情の響きが流れ込んでくる。


(……これは)


 現場に渦巻いているのは、職員たちが噂話と共に撒き散らした「恐怖」の感情ばかり。本物の怨念が放つ、冷たく重い魔力はどこにもない。だが、その恐怖の残響のさらに奥、床や書架の隅に、ごく微かな魔力の残滓が付着していた。意図的に編まれた、「幻影魔法」の残り香だ。


(実に稚拙な術式。でも、明確な意図を持って作られた幻)


 幻。つまり幽霊の正体はこれだ。

 誰かが、ここで亡霊騒ぎを起こす必要があったのだ。一体何のために?


 疑問を胸に、私はセオドアを追った。禁書庫へと足を運ぶ。重々しい鉄の扉の前で、夫は虫眼鏡型の魔道具を片手に、鍵穴を覗き込んでいた。


「どう、何か分かった?」


「ああ、面白いことが」


 セオドアは立ち上がると、こともなげに言った。


「この扉にはピッキングの痕跡も、強制破壊の痕跡も一切ない。犯人は正規の鍵を持つ者か、あるいはそれを寸分違わず複製できる、内部の人間だ」


 やはり、という結論だった。書庫の構造と鍵の管理体制を考えれば、外部からの侵入はほぼ不可能だったから。


「それで、盗まれた本について、もっと詳しく教えてもらえる?」


 私の問いに、セオドアは少し考えるそぶりを見せた後、分かりやすい言葉を選んで解説を始めた。


「『魂魄転写の謬見こんぱくてんしゃのびゅうけん』。名前だけ聞くと大層な魔術に聞こえるが、実態は違う。これは死者の魂を呼び出すような高等な術ではない。生物の思考や知識を、特殊な魔力インクを介して不完全に『複写』するための古代技術だ」


「複写……ですか?」


「そうだ。かつて、自身の知識を後世に残したいと願った古代の賢者が、その思考そのものを本に移し取ろうとして開発した。もしもこの技術が成功すれば、賢者の知識どころか思考そのものが世に開示されることとなる。だが莫大な魔力と術者自身の深い理解がなければ、写し取れるのは情報の断片だけ。効率の悪さから、この技術は歴史の闇に消えた」


 セオドアはそこで一度言葉を切り、静かな口調で付け加えた。


「いわば、これは才能に恵まれなかった者が、賢者の知識を渇望して生み出した、ある意味で非常に人間くさい、悲しい魔術だよ」


 彼の言葉が、私の頭の中でパズルのピースを繋ぎ合わせた。

 書庫長室に戻り、私たちは互いの調査結果を突き合わせる。


「亡霊は偽物。幻影魔法による陽動工作ね。特定の場所に職員の注意を引きつけるための」


「そして禁書庫への侵入は内部犯行。この二つの事実を繋げると、答えは一つだ」


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