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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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31:騎士鎧の記憶2

「アリアーナ、君は下がっていろ」


 セオドアが護身用の剣を抜く。彼はただの魔道学者ではない。高位の魔術師でもある。剣に込められた魔力は高く、練り上げられた魔術は一撃必殺の威力を持つのだ。

 騎士の兜の奥に鈍い光が灯った。それまでの戸惑うような佇まいをかなぐり捨てて、素晴らしい速度で抜刀をする。


「――チッ!」


 騎士の剣の腕前は、騎士団長であるアレクシスや上級騎士にも匹敵しそうだ。セオドアはあっという間に防戦一方に追い込まれている。


 夫の背に庇われながら、私は目を閉じ、意識を集中させる。私の特殊な能力――「調律」。

 世界から音が消え、代わりに魔力の感情が流れ込んでくる。


(……これは)


 鎧から放たれているのは、敵意ではなかった。渦巻いていたのは、深い**「戸惑い」と、胸が締め付けられるような「寂しさ」**。

 私がその感情に触れた瞬間、騎士はびくりと動きを止める。今まさに剣を振りかぶってセオドアに切りつけようとしていたのに、ゼンマイ人形のゼンマイが切れたように停止してしまった。

 騎士はやがて踵を返すと、まるで幻のように闇の中へと溶けていった。


「今の……」


「ああ」


 とセオドアが頷く。短くも激しい剣の打ち合いで、すっかり息が上がってしまっている。

 もう少し体を鍛えたほうがいいんじゃない? とは、今は言わないでおこう。


「魔力の残滓は追える。だが、奇妙だな」


 私も同感だった。あの鎧は誰かを傷つけたいわけではない。むしろ何かを探し、何かに迷っているように感じられた。

 これはただの魔物や亡霊ではない。一体、何に戸惑っているのだろうか……?

 深まる謎を胸に、私たちは魔力の痕跡が示す、闇の先へと足を踏み入れた。






 闇に消えた騎士が残したのは、掴みどころのない謎と、ごく微かな魔力の残滓だけだった。


「追える、セオドア?」


「ああ、問題ない」


 夫は懐から取り出した方位磁針のような魔道具をかざす。ガラス盤の上で、水晶の針が震えながらゆっくりと一つの方向を指し示した。


「魔力の霧散が早い。まるで、自らの存在をこの世に留めておく意思が弱いかのようだ。通常の生き物や魔物であれば、ありえない数値だ」


「ええ、私も感じるわ」


 私は「調律」で、その魔力の流れに残る感情の揺らぎを追う。


「あちこちへ向かおうとしては、やめて……まるで帰り道がわからなくなってしまった子供みたいに、迷っている」


 私たちはその頼りない光を追って、港湾地区の裏路地を迷路のように進んでいった。


 道中、セオドアが興味深い仮説を口にした。


「ならず者を撃退し、か弱き女性を助ける。一方で、無関係な市民の前に立ちはだかる。行動に一貫性がないように見えるが、もし、あれが『夜警の騎士』の役割を記憶だけで再現しているとしたら?」


「記憶だけで?」


「そうだ。主人の命令もなく、ただ『街を守る』という過去の記憶に従っているなら、誰が悪人で誰が市民か、その判断基準が曖昧になっているのかもしれない。だから、全ての夜歩く者に『何者だ』と問いかけるように立ちはだかる。そして、明らかな悪意に遭遇した時だけ、かつての主人のようにそれを撃退する……」


 彼の言葉は腑に落ちた。あの鎧は、悪意で人を襲っているのではない。ただ与えられた役割を、必死に不器用に果たそうとしているだけなのかもしれない。


 やがてセオドアの魔道具の針が激しく震えた。一つの場所を指して止まる。それは、蔦の絡まる古びたレンガ造りの倉庫だった。今はもう使われていない廃墟のようで、潮風に晒された木の扉が、ボロボロに朽ちて重々しく閉ざされている。


「ここだわ。この中から、とても強い寂しさを感じる」


 私たちは軋む扉を押し開けて、中へと足を踏み入れた。中は埃っぽく、時が止まったような空気が澱んでいる。打ち捨てられた木箱や、破れた帆布が散乱する薄暗い空間。その壁際に、それはあった。


 一体の全身鎧。

 月明かりが壁の隙間から差し込み、その姿をぼんやりと照らし出している。

 壁を背に立つ騎士の姿。しかし、あれが生きているもののはずがない。

 というのも、彼は兜を外して小脇に抱えている。


 兜の下は――何もなかった。ただぼんやりとした闇のようなものが漂っているばかりだった。


 そこにいたのは騎士ではなかった。ただの一揃いの中身が空っぽの鎧。

 恐らく長い時間を経たのであろう、間近で見る鎧はあちこちが錆びつき、凹み、手入れされている様子はなかった。


「やはりな」


 セオドアが静かに呟き、鎧に近づいていく。


「これは、付喪神つくもがみという東方の概念に近い。物に込められた強い想い――この場合はおそらく『忠誠心』だろう――が、長い年月を経て意思を宿らせた結果だ。極めて稀な、純粋なリビングアーマーだよ」


 通常のリビングアーマーは、鎧に悪霊が宿って動き回るようになったり、あるいは魔道具として鎧を運用しているものを指す。

 けれどこのリビングアーマーは、主を失った鎧が主の帰りを待ち続け、主の役割を果たそうとした結果、自ら動き出したというのだろうか。健気さと悲しさに、私は胸が締め付けられる思いがした。


「彼の心を、もっと詳しく知りたい」


 私は意を決し、鎧へと歩み寄った。


「アリアーナ、危険かもしれん。永い年月蓄積された感情は、時に術者の精神を蝕む」


 セオドアが心配そうに制止するが、私は首を横に振った。


「大丈夫よ。彼が危険な存在ではないことくらい、もうわかっているわ」

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