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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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30:騎士鎧の記憶1

 夜の闇が深くなる頃、王都の港湾地区は昼間の喧騒を忘れ、潮の香りと静寂に包まれる。だがその静寂は、全ての人間にとって安らぎを意味するわけではなかった。


「おい、姉ちゃん。こんな夜更けに一人かい? 俺たちといいところで飲もうぜ」


 魔力灯の光も届かない薄暗い路地裏で、一人の女性が壁際に追い詰められていた。目の前には、酒と悪意に顔を歪ませた二人のならず者。逃げ場はなく、女性の顔が恐怖に引きつる。

 男の一人が、下品な笑みを浮かべて彼女の腕を掴もうとした、その時だった。


 カシャン……。


 不意に背後から、金属の擦れる音が響いた。ならず者たちが訝しげに振り返る。路地の入り口に月光を鈍く反射させながら、一体の全身鎧の騎士が立っていた。その手には剣もなく、徒手。ただ静かに佇んでいる。


「なんだテメェ、騎士団の夜回りか?」


 ならず者の片割れが、やや腰が引けた調子で答えた。じりじりと後ずさる。

 しかしもう片方の男が、暗闇の中で目を細めた。


「でも、紋章が見当たらねえな。正規兵じゃないのかよ?」


 男たちが凄んでみせるが、騎士は何も答えない。ただ、カシャン、と一歩だけ前に進んだ。その無言の威圧感に、ならず者たちの顔から余裕が消える。


「……やっちまえ!」


 しびれを切らした一人が、ナイフを抜いて騎士に襲いかかる。しかし、その刃が鎧に届くことはなかった。騎士は最小限の動きでナイフを持つ腕を掴むと、いともたやすく捻り上げる。骨が軋む鈍い音と、男の悲鳴が路地に響いた。もう一人が殴りかかろうとするが、騎士は振り向きもせず、鉄の籠手を軽く振るう。それだけで、巨漢の男がまるで子供のように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられて気を失った。

 あっという間の出来事だった。


 騎士は倒したならず者たちに一瞥もくれず、助けられた女性の方を向く。

 女性は恐怖と混乱でその場にへたり込んでいた。騎士はゆっくりと彼女に近づいた。だが、その動きにはどこか躊躇いが見えた。まるで、何をすべきか分からずに戸惑っているかのように。


「いやあぁぁ! 来ないで――!」


 女性は悲鳴を上げると、必死に立ち上がり、路地を駆け抜けて逃げていった。

 一人残された騎士は、その場にしばらく佇んでいた。路地に月光の影が揺れる。何かを探すように、あるいは自分のしたことが正しかったのかを問うように。

 やがて彼は再び重い足取りで、カシャン、カシャン、と音を立てながら闇の中へと消えていった。



 ◇



「――というわけで、昨夜も一件起きた。例の『彷徨う鎧』の仕業で間違いない」


 賢者の塔の書斎で、騎士団長アレクシスは苦々しい表情で報告書をテーブルに放り投げた。彼の話を聞きながら、私は淹れたばかりの紅茶のカップを静かに置く。


「その話だけ聞くと、まるで正義の味方ね。ならず者を懲らしめて、女性を助けたのでしょう?」


「結果的にはな。だが、騎士団の許可なく市中で武力を行使するのは大問題だ。それに、被害者はならず者だけじゃない。ただ夜道を歩いていただけの善良な市民が行く手を阻まれ、突き飛ばされる事件も起きている。行動に一貫性がないんだ」


 隣に座る私の夫、セオドアが静かに口を開いた。


「襲われた人間に、共通点や法則性はあるのか?」


「いや、それがまったくない。場所も港湾地区という以外はバラバラ、時間も深夜としか。何より奇妙なのは、誰も鎧に悪意や殺意を感じなかったと証言していることだ。せいぜいが威圧感だな」


 悪意なき襲撃、そして義賊のような振る舞い。しかしながら、無辜の市民に危害を加えることもある。相反する側面が、この事件を不気味なものにしていた。


「騎士団で捕縛は?」


「それが幽霊のように消えるんだ。まるで、最初からそこにいなかったかのように」


 アレクシスの言葉に、私はセオドアと顔を見合わせた。私は思わず、ソファの上で丸くなっている幽霊猫のファントムを見る。

 これは、単なる暴漢の事件ではない。魔法的な何かが関わっていることは明らかだった。








 調査を引き受けた私たちは、その夜、事件が多発している港湾地区へと赴いた。石畳が月明かりに濡れ、ひっそりと静まり返っている。

 夜霧が出始めていて、辺りを覆う。視界はあまり良くなかった。


「さて、お出ましになるかしら」


 私が呟いた、ちょうどその時だった。

 前方の通りの角から、カシャン、カシャン、と金属音が聞こえてくる。現れたのは、報告書通りの全身鎧の騎士。闇の中で、その巨体は異様な存在感を放っていた。


 騎士は私たちの前に立ちはだかると、ただ無言でこちらを見つめている。

 セオドアが魔術的な分析を始めようと懐に手を入れた、その瞬間。騎士がゆっくりと腕を上げた。一触即発の空気が流れるが、その動きにはやはり、戸惑いのようなものが感じられた。


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