26:予言魔術師の死3
セオドアはそれから一晩中、書斎に籠もりきりだった。そして翌朝、目の下にうっすらと隈を作って出てくると、私の前に一枚のグラフを差し出した。
そこにはレオニダスの過去数年間の予言とその的中率が、冷徹なまでに客観的な数値で示されていた。
「見ろ、アリアーナ。彼の力は明らかに衰えていた。特に個人の未来に関する詳細な予言は、ここ一年ほぼ外れている。彼の権威は過去の栄光と、曖昧な表現でどうとでも取れる予言によって、かろうじて保たれていたに過ぎない」
そのグラフが示す事実は、あまりに雄弁だった。
稀代の大予言者の伝説は、すでに崩壊していたのだ。
「まさか……では、あの最後の予言も」
「ああ。あれは、未来を視た神託などではない。彼自身が書き上げた、最後の脚本だったのだ」
私たちは再び、三人の弟子を占星術の塔に集めた。アレクシスも、固唾を飲んで私たちの隣に立っている。
セオドアは静かに話し始めた。その場にいる全員の魂を貫くような声だった。
「この事件は殺人事件ではない。そして、予言の成就でもない。これは一人の老人が自らの権威の失墜を恐れて、伝説を守るために仕組んだもの。壮大な自作自演の末に起きた、あまりに悲しい事故だ」
セオドアは的中率の記録という動かぬ証拠を突きつけながら、レオニダスが描いた狂気の脚本を暴いていく。
権威の失墜を恐れた彼が、自らの死を「完璧な予言の成就」として演出し、永遠の伝説として歴史に名を刻もうとしたこと。
そのための哀れな生贄として、最も精神的に脆く彼に心酔していた弟子、カシウスを選んだこと。
「先生は……僕に、『お前が私を殺すのだ』と、何度も、何度も……夢の中にまで現れて……」
カシウスが泣きながら、精神的に弱っていた様を告白する。師として重圧を掛ける以外にも、魔術を使って精神に干渉していたのだろう。
レオニダスは予言の夜、追い詰められたカシウスが、恐怖と混乱から自分に攻撃してくるように仕向けていたのだ。
「馬鹿な! では師は、一体どうやって死んだというのだ! カシウスは何もしていない!」
ゼノンが、信じられないというように叫んだ。
その時だった。
「……私が、殺したのです」
震える声で呟いたのは、ずっと黙って涙を流していたエリアーラだった。
「私が、先生の部屋を訪れなければ……先生は、死なずに済んだ……!」
彼女はすべてを告白した。
エリアーラは師の計画と狂気に、ただ一人気づいていた。師が自らの名誉のために、自ら死を選ぼうとしていること。そして同じ弟子であるカシウスを、人殺しに仕立て上げようとしていることに。
彼女は事件の夜、他の二人の弟子が集まる前に、密かにレオニダスの部屋を訪れた。計画をやめるよう、涙ながらに説得したのだという。
「先生、おやめください! そんなことをしても、誰も幸せになりません!」
「私の伝説を汚すな! 邪魔をするな、エリアーラ!」
計画を邪魔され、激昂したレオニダス。彼を止めようともみ合う中で、悲劇は起きた。
レオニダスは誤って、カシウスが攻撃してきた際の「保険」として自らが椅子に仕掛けていた、微弱な心臓衝撃の魔術罠に自ら触れてしまったのだ。
彼の死に顔が「驚愕」に染まっていたのは、自らが描いた脚本とは、全く違う結末を迎えてしまったから。
レオニダスの死は、予言の成就でもなければ殺人でもない。ただの哀れで滑稽な、偶発的な事故死だったのだ。
ゼノンとカシウスが師の部屋の前にやってきた時には、既に扉の向こうのレオニダスは死んでいた。
エレオノーラはその事実を伏せて、あたかも予言が成就したかのように見せかけた。密室内の謎の死であれば、師の威厳が保たれると考えて。
エリアーラの涙の告白に、ゼノンとカシウスはただ言葉を失っていた。
アレクシスは重々しく頷くと、「国王陛下には、私から報告しよう。マスター・レオニダスの死は、予言の成就による原因不明の謎の死として、公式には処理されることになるだろう」と告げた。エリアーラが、罪に問われることはない。
だが彼女は言った。静かな口調だった。
「いいえ。この罪は、私が一生背負ってまいります。先生の過ちも、先生をお救いできなかった、私の弱さも」
その瞳には、もはや単なる崇拝の色はない。一人の魔術師として、強く悲しい覚悟が宿っていた。
その覚悟は残された二人の弟子たちの心をも、変えたようだった。
ゼノンは自らの野心の小ささを恥じるように、深く頭を垂れた。
「エリアーラ、カシウス……すまなかった。俺が、師が汚した宮廷魔術師団の名誉を、必ず取り戻す。それが、俺の贖罪だ」
カシウスは涙を拭うと、震えながらもエリアーラのそばに寄り添った。
「これからは僕が、あなたを守ります。僕たちの未来はもう、先生の予言の中にはないのだから」
師の死と罪は、皮肉にも残された三人の弟子に、本物の絆を与えたのだった。
賢者の塔に戻った私たちは、書斎の窓から霧雨が上がった後の美しい月を眺めていた。
一つの事件は終わった。だが私の心には、あの不吉な予言が小さな棘のようにずっと引っかかってた。
「偽りの救世主……調律の乙女……。セオドア。あの予言は、力が衰えた彼の最後の悪あがきが見せた、ただの戯言だったのでしょうか」
セオドアは、月の光に照らされた私の顔をじっと見つめながら、静かに答えた。
「戯言かどうかは……いずれ我々の目の前で、この世界が証明することになるだろうな」
その声は、あまりに静か。雨上がりの月と相まって、どこか非現実的な雰囲気を漂わせる。
それがかえって、これから訪れるであろう避けられぬ嵐の気配を、孕んでいるかのようだった。
セオドアが私の方を優しく抱き寄せた。
私たちの平穏な日常の裏側で未来の嵐が、静かに胎動を始めている。
そんな確かな予感が、私の胸を冷たく締め付けていた。




