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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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21:公爵様の特別講義

『魔力相談室』の活動は驚くほど順調だった。

 私が相談者の魔力を「診て」、その状態を感覚的な言葉で表現する。すると隣にいる私の天才的な夫が、その現象を明晰な理論で分析し、的確な解決策を導き出す。私が「心」、セオドアが「知」。この役割分担は、面白いように上手くいっていた。


 人には必ず魔力が備わる以上、体の医者と同じかそれ以上に需要があるのだ。

 それなのに魔力を診られる人はほとんどいない。魔力は肉体の臓器とは異なり、肉眼では見えない魔力回路に流れている。この流れを掴むのは困難で、不可能とされていた。私が調律の能力に目覚めるまでは。


「アリアーナ、先日の『魔力が霧散する』と訴えていた方の記録だが、おそらく初期の魔力過敏症と、精神的疲労による魔力密度の低下が複合的に作用したものだろう。このパターン、症例として分類できるかもしれない」


「まあ、さすがです。私はただ、霧のように感じるとしか……」


「その『霧のように感じる』という君の直感が、私の理論の裏付けになる。我々は、やはり最高のパートナーだな」


 こんな風に当たり前のように口説き文句を混ぜてくるのだから、本当に油断ならない。

 ソファの隅では黒猫のファントムが、私たちのやり取りに耳をぴくぴくと動かしている。


 しかし私たちの穏やかな研究時間は、またしてもやかましい、もとい快活な足音によって中断された。


「よう、最強の夫婦! またお前たちの力を借りに来たぞ!」


「アレク、君は依頼を持ってくることしかできないのか? たまには手土産を持って遊びに来たらどうだ?」


 セオドアの皮肉(?)を受け流し、騎士団長のアレクシスは満面の笑みを浮かべていた。

 彼の依頼は、意外なものだった。


「騎士団の若手に向けて、特別講義をやってくれないか?」


 聞けば私たちが助けた騎士見習いノアや、魔力過敏症を克服した魔術師の評判が広まり、ぜひアシュベリー公爵夫妻の知識と技術を学びたい、という声が騎士団内で高まっているらしい。


「特に、お前の理論魔法学は、そこらの宮廷魔術師よりよほど実践的だからな!」


 とアレクシスは豪快に笑う。


 これは良い機会だ。私たちの知識が誰かの役に立つのなら。

 私が乗り気になったのとは対照的に、セオドアは珍しくはっきりと難色を示した。


「……人に、教える? 私がか?」


「ああ、そうだとも!」


「無理だ」


 即答だった。

 私は思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえた。


(出たわね、天才の弱点……!)


 この人は天才すぎるのだ。凡人が「なぜ、それが分からないのか」が、根本的に理解できない。人に合わせて物事を説明するという経験が、彼の人生には皆無だった。そのために恐ろしいほどに教えるのが下手だった。

 私は古代語に関してはそんじょそこらの学者に負けない自信がある。それでもセオドアと議論していると、理解が追いつかない時がある。

 完璧に見えて、こういうところが致命的にポンコツなのだ。


「あらあら、天才の悩みは大変ですこと」


 私がからかうと、セオドアはむっとしたように眉を寄せる。


「大丈夫ですよ。私が補佐しますから。あなたという最高の理論家には、私という最高の『通訳』が必要ですもの」







 騎士団の広大な訓練場には、若手騎士たちが緊張した面持ちで整列していた。伝説の「呪われ公爵」が直々に講義をするのだ。無理もない。

 やがて始まった講義は、私の予想を寸分違わずなぞる展開となった。


「……すなわち、魔力子は特定の条件下において、スピン角運動量を保存しつつ相転移を起こす。これにより、剣に付与された魔力は指向性を持ち、斬撃として具現化される。これは自明の理だ」


 きょとん。

 訓練場にいる全員が謎の言語でも聞いているかのような顔で固まっている。セオドアはなぜ彼らが理解できないのかが理解できず、首を傾げている。

 訓練場全体が「???」で埋め尽くされている。ここまで来るともうコントだ。


「――えー、皆さん!」


 私はすっと前に出て、にこやかに補足する。


「つまりですね、コップの水をこぼさないように、そーっと運ぶのと同じです。魔力も優しく丁寧に、そして『こう動け』と念じながら扱ってあげないと、すぐに拗ねてしまうんですよ。ね?」


 私の言葉に、騎士たちの顔に「なるほど!」という表情が浮かぶ。

 セオドアが「理論」という名の難解な設計図を広げ、私が「実践と感覚」という名の親切な解説書を添える。そのヘンテコな二人三脚の講義は、次第に訓練場の空気を熱を帯びたものへと変えていった。

 講義の最後、一人の真面目そうな騎士がおずおずと手を挙げた。


「公爵様にとって、魔法とは何ですか?」


 その問いに、セオドアは少しだけ考え込むように視線を彷徨わせる。そして私の顔をちらりと見て、静かだがはっきりとした声で答えた。


「かつては、私を世界から切り離す『壁』だった」


 訓練場が息を呑む気配で満たされる。

 呪いが彼を蝕んでいた頃を思い出す。人に触れれば魔力暴走を起こす呪いだ。セオドアは他人を遠ざけ、塔に籠もった。ほとんど誰とも会おうとせず、孤独のうちに過ごしていた。


「……だが、今は違う。誰かと繋がり、誰かを守るための『架け橋』だ」


 その言葉は誰よりも、私の胸に深く温かく響いた。この人は本当に変わったのだ。長い孤独の夜を越え、今は光の中に立っている。

 特別講義は大成功に終わり、アレクシスから「ぜひ定例化を!」と固い握手を求められたのは言うまでもない。


 塔への帰り道、夕日に照らされながら、セオドアがぽつりと呟いた。


「……人に教えるというのも、悪くないものだな」


「ええ」


「君という、最高の通訳がいれば、だが」


 その不器用な賛辞に、私は笑みを返す。


「私たち、最強のコンビですから。いっそ、私たちの知識をまとめた教科書でも作りますか? 未来の騎士たちのために」


「教科書か……。それも、いいかもしれん」


 彼の青灰色の瞳が、新しい目標を見つけた子供のようにきらきらと輝いていた。

 賢者の塔の新たな役割が、また一つ増えた瞬間だった。


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