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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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19/46

19:盗まれた夢1

 賢者の塔に『魔力相談室』の看板を掲げてからというもの、実に様々な依頼が舞い込むようになった。そのほとんどは私たちの知識と能力で解決できるものだったが、今日塔を訪れた依頼はどこか様子が違っていた。


 本日の訪問客は、憔悴しきった一組の夫婦。


「――公爵様、奥様。私たちのたった一人の娘、セレスティーナをお助けください」


 深々と頭を下げたのは、王都でも名高いラインフェルト侯爵とその夫人だった。彼らの顔には深い疲労の色が浮かび、華やかな衣装だけが虚しくその身分を示している。

 彼らの一人娘であるセレスティーナ嬢がもう一月以上もの間、奇妙な眠りに落ちているのだという。


「宮廷の侍医の方々は、身体に異常はない、と。王宮魔術師団の方々も、呪いの類いは一切感知できない、と。ただ、眠っているだけなのです。ですが決して、目覚めない……!」


 夫人の声はすすり泣きに変わる。

 生きている。しかし目覚めない。

 水や流動食を与えているから、今はまだ命は無事である。けれどそれもいつまで持つだろう。

 日に日にその頬から血の気が失せていく我が子を前に、なすすべもなく時間だけが過ぎていく絶望。いかばかりのものだろうか。


「……非常に稀な症例だ。我々の専門とは少し違うかもしれん」


 セオドアが慎重に言葉を選ぶ。彼の言う通り、これは私たちの『魔力相談室』で扱ってきた症例とは、明らかに毛色が違っていた。

 だが侯爵夫妻の藁にもすがるような眼差しを前にして、「できません」という言葉を、私はどうしても口にすることができなかった。


「行ってみましょう、セオドア。何か、私に感じ取れることがあるかもしれません」


 侯爵邸へと向かう馬車の中、セオドアは腕を組み、難しい顔で黙考していた。


「不可解だ。これほど長期間にわたる精神干渉系の術式ならば、どれだけ巧妙に隠蔽しようと、必ず魔力の残穢が残るはずだ。それを見つけられないとは、宮廷魔術師団も腑抜け揃いになったものだな」

「あるいは、その残穢があまりに微かで、特殊なものだった、とか?」

「かもしれん。……アリアーナ、君の『調律』の力だけが頼りだ」


 侯爵邸の一室は息が詰まるほどに甘い花の香りと、重い沈黙に満ちていた。

 過剰なほどに飾り立てられた天蓋付きのベッド。その中央でセレスティーナ嬢は、まるで精巧な砂糖菓子のように儚げな美しさで眠っていた。ゆるやかに波打つ金髪、人形めいて整った顔立ち。

 けれどその肌の色からは血の気が失せて、上質な蝋を思わせる無機質な白に染まっていた。


(……空気が、澱んでいる)


 部屋全体の雰囲気に違和感を覚えた。誰かを心から心配し、愛する者がいる空間特有の温かい「気」の流れが、どこにも感じられない。美しいだけの空虚な箱。そんな印象を受ける。

 侯爵夫妻は心から娘を案じている。それなのにこれはどうしたことだろう。両親の愛情を上回る何かがここにはある。

 私は彼女の手にそっと触れて意識を集中させた。私の調律の力が、彼女の内なる世界を探っていく。


(魔力は、正常。身体にも異常はない。けれど……)


 やはり、おかしい。

 彼女の魂はそこに在る。だがその魂が活動しているはずの精神の領域……夢を見ているはずの場所が、ぽっかりと口を開けた底なしの『空白』になっていた。

 眠っている時でも人の心身は活動している。こんなにも空っぽなのはありえない。


「セオドア様。これはまるで、彼女の中から夢というものが根こそぎ盗まれてしまったかのようです」

「夢を盗む、か。そんな術が存在するのか?」

「……分かりません。もっと探ってみます」


 さらに意識を研ぎ澄ませる。あった。彼女の魔力と魂の輪郭に、まるで蜘蛛の糸のように絡みついている、異質な魔力の残穢。それは持ち主の悪意を隠すかのように、巧妙にその痕跡を消されていた。けれど私の「調律」の力は、その不協和音を決して聞き逃さない。


(この魔力の匂いは、憎しみや嫉妬じゃない。もっと歪んだ感情、『愛情』と『執着』の気配。この複雑な術式と歪んだ魔力が合わさって、特殊な紋様になっている)


 私がその所見を伝えると、セオドアの青灰色の瞳が鋭い光を宿した。


「なるほどな。犯人は彼女を害する意図がない、あるいは、これを愛情だと信じ込んでいる可能性が高い。アリアーナ、よくやった。容疑者は絞られたぞ」







 セオドアの推理に基づき、私たちはセレスティーナの身近な人間から話を聞くことにした。探偵ごっこのようだわ、と私の皮肉な部分が囁いたが、これは遊びではない。一人の少女の命がかかっている。


 最初の相手は、婚約者のライオネル伯爵令息。

 彼は心底セレスティーナを心配している、という悲劇の恋人に見えた。正確に言うなら、悲劇の恋人を完璧に演じていた。


「ああ、私の愛しいセレスティーナ……。彼女のいない人生など、考えられない。どうか、公爵様、奥様、彼女を救ってください」


 しかしその言葉とは裏腹に、彼の魔力は焦りと苛立ちでささくれ立っている。『焦燥』と、その奥に隠された侯爵家の財産への『野心』。この男は彼女自身ではなく、彼女との結婚によって得られる利益を失うことを恐れているだけだ。

 醜いが歪んでいるわけではない。いっそ清々しいまでの私利私欲といえよう。あの歪んだ残穢の波長とは、まったく違う。


 二人目はセレスティーナ嬢が幼い頃から師事していたという、年老いた家庭教師のエルザ先生。

 学識豊富な彼女であれば、未知の魔術を使えるかもしれない。

 また、依頼者であるラインフェルト侯爵から、エルザの息子の金銭トラブルを聞いていた。放蕩息子は母に金を無心するため、エルザはしばしばお給料を前借りしていたとのこと。このトラブルがセレスティーナの事件と結びつくかは分からないが、念のために事情を聞いた。


「あの子は、本当に素晴らしい才能をお持ちでした。ですがそれゆえに、少し世間知らずで危ういところも……。今回のことも、あの子の純粋さが、何か悪いものを引き寄せてしまったのかもしれません。私はあの子を守れなかった。教師失格です」


 教え子への愛情と、どこか諦観にも似た憂いが滲んでいた。彼女の魔力は静かで穏やかだ。『心配』と『諦め』。これもまた、違う。


 そして三人目。年の離れた従姉妹のイザベラ様。

 彼女は私たちの前に座るなり、堰を切ったようにセレスティーナの思い出を語り始めた。その語り口はあたかも聖女の伝記を読み上げるかのように、過剰なまでに美化されている。


「あの子は、昔から天使のようだったわ。この汚れた世界には、もったいないくらいに、純粋で、美しくて……。だから、私が守ってあげなければ、とずっと思っていたの」


 その言葉に背筋がぞくりとするような、強烈な違和感を覚えた。

 彼女の魔力の波長をそれとなく読み取ろうと試みる。その瞬間、イザベラ様の穏やかだった魔力がギュッとその身を固くし、巧みに本質を隠そうとするのを感じた。

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