18:不器用な父
『アリアーナ公爵夫人の魔力相談室』の評判は、どうやら王宮を越えて私の実家にも届いていたらしい。
父から届いた手紙にはたった一文、こう書かれていた。
『近々、顔を見せにきなさい』
相変わらず命令形でぶっきらぼうで、可愛げのない手紙だ。どうせまた、「貴族の暮らしに浮かれているんじゃないだろうな」とか、「平民の出であることを忘れるな」とか、そんな小言を言われるに決まっている。
「はぁ……気が重いわ」
「だが、私は嬉しい」
私がため息をつくと、隣で本を読んでいたセオドアが意外なことを言った。
「君のご両親に、改めて正式なご挨拶がしたいと思っていたところだ。夫として、当然だろう?」
その真剣な眼差しに私は何も言えなくなった。この人はいつだってそうだ。私が面倒くさいと投げ出したくなるようなことから、決して逃げようとしない。
そんなわけで、私たちは連れ立って私の実家であるグレンジャー家を訪れていた。
母は満面の笑みで私たちを迎えてくれたが、父は書斎から出てきても仏頂面のままだった。
「……公爵閣下が、わざわざこのような場末の家へようこそ」
「お義父様、お久しぶりです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
セオドアの丁寧な挨拶にも、父は「ふん」と鼻を鳴らすだけ。
(もう! お父さんったら、失礼にもほどがあるわ!)
食事中も父の小言は続いた。まるで粗探しをするのが趣味の姑のようだ。
「公爵様は、そんな風にパンを割るのか。お貴族様の作法は理解しがたい」
「アリアーナ、公爵様のお茶が薄いんじゃないか。気が利かんな、お前は」
完璧なテーブルマナーをこなす夫に、一体どんなケチをつけているというのか。私の我慢が限界に達し「お父さん、いい加減にして!」と叫びそうになった、その時。
「申し訳ありません、お義父様。ご指導、感謝いたします」
セオドアが穏やかな声でそう言って頭を下げたのだ。そのあまりに真摯な態度に、父の方がむしろ気まずそうに口を噤んでしまった。
食後、私が母に呼ばれて席を外した隙に事件は起きたらしい。
私が書斎に戻ろうとすると、扉の隙間から父の低い声が聞こえてきた。
「……娘は、自分の力のことをどこまで知っているのです?」
私は思わず足を止めた。
セオドアの静かな声が返ってくる。
「ご自身の力が、乱れた魔力を鎮める『調律』の力であることは、ご理解されています」
「そうか……」
父の深いため息。
「あの子は、昔からそうだ。自分のことなど二の次で、他人の痛みに寄り添おうとする。お前さんのあの忌まわしい呪いを解いた時も、そうだったんだろう。命懸けで、無茶をしたに違いない。……あの子の兄と同じように」
その声はいつものような頑固な響きではなく、ただひたすらに娘を案じる父親のそれだった。
知っていたのだ。父はずっと。私が普通とは違う、危険な力を持って生まれてきたことを。私の結婚に猛反対したのも、呪われた公爵との結婚が、私の力を暴走させ、不幸を招くと信じていたから。
父の不器用な態度は、私を心配する愛情の裏返しだったのだ。
ふと思う。兄も知っていたのかもしれない。
お兄ちゃんが残した手記は、今思えばほとんど答えにたどり着いていた。それなのに兄は私に何も言わず、結果、謀略に巻き込まれて命を落とした。
「……公爵様。どうか、あの子を……娘を、守ってやってください」
絞り出すような声と共に、父が頭を下げる気配がした。
(お父さん……)
視界が涙で滲む。
気配を察したのか、セオドアが扉を開ける。私は慌てて涙を拭ったが、もう遅い。
「アリアーナ……」
父が気まずそうに顔を逸らす。その耳がほんのり赤い。
不器用な父の前に、今度はセオドアがゆっくりと座って深々と頭を下げた。
「お義父様。アリアーナは、私が生涯をかけてお守りします。お約束します」
「お義父様」という、その真っ直ぐな響き。
父は、驚いたように目を見開き、そして、照れ隠しのように、さらに大きな声で言った。
「……ふん。当たり前ですな!」
塔への帰り道。美しい茜色の夕焼けが、私たち二人を照らしていた。
「お父さんのこと、嫌いになりませんでしたか?」
「いいや」
セオドアは穏やかに微笑んだ。
「羨ましいと思った。あんな風に誰かを不器用に、だが真っ直ぐに愛せることを」
彼は少しだけ遠い目をして続ける。
「私には、あんな風に叱ってくれる父はいなかったからな。だからだろうか。今日初めて、本当の『家族』ができたような気がする」
その言葉に、私の胸は温かいものでいっぱいになる。
私たちはただの夫婦ではない。互いの欠けた部分を補い合い支え合う、真の家族になったのだ。
隣を歩く愛しい夫の手を、そっと握りしめた。
この温かさがあればきっと、どんな困難だって乗り越えていける。そんな確かな予感がした。




