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公爵夫人は謎解きがお好き  作者: 灰猫さんきち
第2章 公爵夫人の魔力相談室

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12:公爵夫人の魔力相談室

『アリアーナ公爵夫人の魔力相談室』。

 賢者の塔の重厚な扉の脇に、そんな可愛らしい木製の看板がちょこんと掛けられている。嬉々としてこれを作ったセバスチャンには申し訳ないが、見るたびに気恥ずかしさで顔から火が出そうだ。あの人は真面目な執事だと思っていたが、案外可愛いものが好きであるらしい。


「少し大げさすぎませんか?」


「そんなことはない。君の功績にふさわしい、控えめなくらいの看板だ」


 書斎で、私の夫――セオドア様は、こともなげにそう言ってのけた。まったくこの人は時々、天然なのか計算なのかわからない真顔でとんでもないことを言う。そのたびに私の心臓が忙しくなることなど、露ほども気にしていないのだろう。


(まあ、この人のこういうところが、可愛いと思ってしまう私も大概だけど)


 私は内心で肩をすくめて、新しい相談者のためのカルテを整理した。そう、あの騎士ノア君の一件以来、私たちの「魔力相談室」には、ぽつりぽつりと悩める人々が訪れるようになったのだ。


 今日の相談者は、王宮に長年仕える年配の女性宮廷音楽家だった。白髪を綺麗に結い上げた、いかにも芸術家といった雰囲気の芯の強そうなご婦人だ。


「それで……奥様。最近、どうにも演奏に魔力が乗らないのです。自分でも、心が枯れてしまったようで……。これでは、聴衆の心に響く音など、到底奏でられません」


 彼女の悩みは切実だった。魔法使いでなくとも、一流の芸術家は自らの魔力を作品に乗せる。物理的な演奏や歌唱以外にも、細かな調整を魔力でやるのだ。彼女の場合、それができなくなったという。

 私はいつものように、彼女の魔力の流れを「診る」ことにした。目を閉じて意識を集中させる。


 ……これは、奇妙だ。

 覚えたのは違和感だった。

 魔力は弱ってもいなければ、先日のノア君のようにもつれてもいない。ただひどく「停滞」している。まるで風のない日に静まり返った、穏やかだが澱んだ沼のようだった。


「どうでしょう、身体的な問題や、何かお辛いことでも?」


「いいえ、とんでもない。むしろ、今が人生で一番幸せなくらいでして」


 そう言って、彼女は本当に嬉しそうに目を細めた。聞けば長年離れて暮らしていた一人息子が最近結婚し、先日、可愛い孫が生まれたばかりなのだという。

 幸せすぎて調子が悪い? そんなことがあるのだろうか。

 私が首を捻っていると、それまで黙って話を聞いていたセオドア様が、静かに口を開いた。


「失礼ながら、奥方。あなたは今、満ち足りていらっしゃるのですね」


「ええ、まあ。お恥ずかしながら」


「おそらく、それが原因です」


 彼の静かな一言に、私と音楽家はそろって目を丸くした。


「芸術家の魔力というものは、時に渇望や孤独、欠乏感を『薪』にして、より高く燃え上がることがあります」


 セオドア様は、遠い目をして語り始めた。それは、彼自身の過去を語っているようでもあった。


「あなたの魔力は――いわば魂は、幸せすぎて『燃えるための薪』を失ってしまった。そして、穏やかに停滞しているのです。かつての私のように、何かを渇望し、求める心がなければ、魂は燃え上がらない」


 彼の言葉に私は息を呑んだ。

 呪いという極限の孤独と欠乏感の中、彼はずっと知識だけを渇望し、思考だけを燃やし続けてきたのだ。満たされることのない心だけが、彼を彼たらしめていた。

 その深い孤独の記憶が、今、目の前の女性を救うための、誰にも真似できない洞察力を彼に与えている。なんて皮肉。そして、なんて尊いのだろう。


「では……私はもう、心揺さぶる演奏はできないのでしょうか」


 音楽家が絶望に顔を曇らせる。

 セオドア様は静かに首を振った。


「いいえ。薪を変えればいいのです」


「薪を、変える?」


「ええ。かつてのあなたの薪は、芸術への渇望や孤独だったのかもしれない。ですが、これからは、『誰かを想う心』を薪にするのです。遠い地に住む息子さんや、生まれたばかりのお孫さんへの深い愛情を。あなたのその音色で、その子たちの未来を祝福して差し上げるのです」


 その言葉は、まるで魔法のようだった。

 音楽家の凪いで澱んだ魔力が、わずかにきらめくのが見えた。

 私は、そっと彼女の手に自分の手を重ねる。


「あなたの魔力は、停滞しているだけ。流れを変える、ほんの少しのきっかけがあればいいんです」


 私は彼女の魔力にさざ波を立てるように、優しく「調律」を施した。

 淀んだように見えた彼女の内面は、静かに満たされていた。かつて存在した焦がれるような胸の穴は、幸福と愛情とで埋められている。

 私のやることは、「薪」のあり方を示すだけ。新しい方向を指し示せば、彼女の魂は自然とそちらを向いた。

 彼女の心に満ちる愛情が新しい薪となって、魔力に温かい光を灯していく。

 灯された光は次々に輝いて、楽譜の上を踊る音符のように、新しい音を奏で始めた。







 数日後。王宮で開かれた夜会で、彼女は見事な演奏を披露した。

 その竪琴の音色は、かつてのような聴く者の魂を鷲掴みにする情熱的なものではない。どこまでも深く温かく、そしてすべてを包み込むような慈愛に満ちていた。

 その調べに聴き入りながら、私は隣に立つセオドア様の手を、そっと握った。


 塔に戻り二人きりになった書斎で、私は尋ねた。


「あなたも、薪を変えたのですね」


「……ああ」


「あなたの今の薪は、なんですか?」


 彼は少しだけ黙った後、私を見つめて言った。

 不器用でぎこちなくて、でも世界で一番嬉しい言葉。


「私の薪は、ずっと昔から……君だったのかもしれない」


 こうして私たちの風変わりな相談室は、また一つ小さな奇跡を起こした。

 だがその評判が王宮内で新たな波紋を呼び、面倒な客人を引き寄せることになるのを、この時の私たちはまだ知る由もなかった。


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