33 ノイタール会戦 4
◆
小さな丘の上に本陣を構えたネイは、眼下の草原に布陣した自軍と敵軍を指差し、ローザリアに示した。
「敵右翼と中央の主力を、ウィリスに抑えてもらう」
「はい」
「その間に我が軍中央のエンツォと右翼のイゾルデ・ブルームで、敵左翼を討つ」
「はい」
「不満そうだな?」
馬上で真剣な面持ちをしているものの、ローザリアは不満だった。
それは自分とドレストス軍を切り離されたこともであるが、一番は、側にミシェルがいることだ。
昨夜、ウィリスと彼女が何を話したのかは、聞いていない。
けれど今朝のウィリスを見れば、何かがあったのは明らかだ。
ローザリアはチラリと黄金の鎧を身に纏うミシェルを見て、眉を顰めた。
「――不満、という訳ではありませんが、軍を指揮できないのは不本意です」
「それを言うならミシェル殿下とて、ここにおられる」
ネイはコロコロと笑った。
ローザリアの不満が、手に取る様に分かるからだ。
「私は別に軍のことなど分かりませんし、もともとイゾルデに全てを任せていますから」
ミシェルも眼下の、整然とした布陣を眺めていた。
「ローザリア……分かるかしら? 私達はそれぞれ、もっとも信頼する将に軍を預けているのよ。ミシェル殿下はイゾルデ・ブルーム。ローザリアはウィリス・ミラー。私はエンツォ・カノープス、と。まぁ、将としては、エンツォが一番頼りないのだけれど……あはは」
夫なのに、エンツォは酷い言われようである。
ただ、ここでミシェルが少しムスっとした。
眉根が寄って、細い眉がピンと跳ね上がる。
「もちろんイゾルデの事を将として信頼していますけれど、私はウィルだって信頼しています。あたかもウィルがローザリアさんのモノであるかのような言い方は、好きになれません」
はっきりとモノを言う――とネイは思った。
ネイとしては、ローザリアを応援する気持ちは変わらない。
けれどミシェルの人気は侮れなかった。
それにミシェルは、ローザリアを頼っての亡命だ。
理由はウィリスが居るからだろうが、ローザリアもそれを認めている。
となれば、彼女は軍団を率いてレギナ・レナに入るだろう。
ドレストス男爵領は、ウルド公国の領内にある。
そこに、ウルドの全軍を超える戦力が駐屯することとなるのだ。
ミシェルがその気になれば、国を奪える。
だからこそネイは、ここで二人の仲を取り持ちたい。
むろん、配下の将に戦さを任せることも君主として大切だと、教えることも必要だ。
つまりネイは、この二点の理由によってローザリアをここに置き、ミシェルを置いている。
「ミシェル殿下はウィリスとの婚約を、元に戻したいとお考えなのですね?」
「……可能であれば」
ネイの問いに、ミシェルが力なく答えた。
頷くと、ネイはビクリと肩を震わせたローザリアに視線を戻す。
「ローザリアはウィリスが心配かな?」
「そりゃあ……たった五千で二万に当たるのです。心配くらいしましょう」
「ふふ……ローザリアは将軍としてのウィリスを知らないからねぇ。まぁ、見ててごらんなさい。私なんか、もしかして勝っちゃうかもしれない――なんて思ってるくらいなのよ?」
「……え?」
「だってほら、あの布陣。最前列に一千の騎馬兵を置いて、その中央に二百の不死隊でしょう。あれはいきなり、ヤル気よ!」
「……そ、そうではありますが……」
「ふふ……ローザリア。あなたは心配せず、ここから戦局を眺めていなさい。万の軍が激突するところも、本当の将軍が兵をどう動かすのかも――あなたは知らないのでしょう?」
「……万の軍は、まだ動かしたことがありませんから」
「だからよ。将軍の戦い方というものを、見て覚えなさい。ウィリスって一人でも強いけど、“将軍”として、本当に強いんだから」
そう言って、ネイが身震いする。
冗談めかしてはいるが、実際にネイはウィリスに追いつめられて、死を覚悟したこともあるのだ。
正直、ぞっとしていた。
「はいっ!」
だがローザリアの方は、素直にウィリスを褒められていると感じて、嬉しそうに返事をする。
けれどそれが癪に触ったのか、ミシェルが二人をジロリと睨んだ。
「ウィルは私の盾ですからね! 強くたって当然です!」
これには流石のローザリアも、ムッとする。
「私の剣だ!」
「ウィリスは兄様の剣です。あなたは私の兄様ではないでしょう!」
「イラペトラ帝は、すでに亡くなられている。だからウィリスは、私の剣になってくれたのだ!」
「そんな出鱈目、誰が信じるものですかッ! だいたい、あなたは――……」
ミシェルが両の拳を握りしめ、顔を背けた。
ローザリアがいなければ、ミシェルとしても、この場には居られない。
それは、分かっている。だから、罵るのを辞めた。
けれど自分とウィリスが離れている間に出来た隙間に、彼女が入り込んだと思えば怒りも湧く。
ましてやイラペトラが生きてさえいれば、自分とウィリスは、もう夫婦であった。
きっとウィリスには侯爵の地位が与えられ、ミシェルは侯爵夫人となったに違いない。
そうすればローザリアの入り込む余地など、どこにも無かったのだ。
ローザリアがミシェルの側に馬を寄せて、言った。
「私は、あなたの事を好きにはなれない。けれど、だからと言って仲違いしようとも思わない。それが――ウィルの為だと思うからだ」
ローザリアの言葉に、ミシェルが顔を上げる。
「負けた」と思った。
ただ自分の方が彼女よりも先に、ウィリスと出会っただけ。
もしも彼女が先にウィリスと出会っていたなら、自分など間に入ることすら出来なかったかも知れない。
そう思うミシェルの心は、まるで冬の寒空のようだった。
が――しかし一方でローザリアも、ミシェルに対して敗北感を禁じ得ない。
間近で見れば見る程、美しい。
漆黒のドレスに黄金の鎧は、着る者によっては単なる嫌味。
けれどミシェルは気品を漂わせて、なんら嫌悪感を抱かせなかった。
「負けない」そう思って意地を張ったけれど、これまでかも知れないな……と思う。
これではサラと同じだ――とローザリアは溜め息を吐いた。
もう、ウィリスが「私の剣」でありさえすれば、彼がミシェルと結ばれても良いだろう。
ローザリアは今、色々と諦めかけていた。
戦場では、太鼓の音が鳴り響いている。
両軍が徐々に近づき、矢を射かける直前だった。
そんな中で、ミシェルがローザリアに言う。
「ローザリアさん……ウィルとキスをしてくれませんか?」
「はぁ!?」
ローザリアが、顔を真っ赤にして首を横に振っていた。
そこへネイが、「ん?」と話に参加する。
彼女はウィリスとローザリアの関係を、誤解したままなのだ。
「ちょっと待って。ローズとウィリスって、もう……アレよね? 前も同じ部屋で寝ていたし……いつ結婚するのかと思っていたのだけれど?」
ネイの言葉で、真っ青になり落馬しそうになるミシェル。
それを何とかネイが支え、事なきを得る。
ローザリアも慌てて、ネイの勘違いを正そうとしていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい、ネイさま! 私はウィルとはっ……! さ、誘ったことはありますが、全部断られていますので……」
とても正直である。
ミシェルが少し、ローザリアに対する好感度を上げた。
そんなローザリアに、ミシェルは全てを正直に打ち明ける。
といっても、ウィリスが「ローザリアとだけはキスをしない」と言った点だけは伏せて……。
「なるほどなぁ……」
ローザリアは呟いた。
確かにウィリスを濃厚なキスによって傷つけたのなら、自分もそうして傷付くべきだとの理屈は分かる。
分かるが――なぜ私なのだ――とローザリアは釈然としない。
だからローザリアはミシェルに言った。
「そ、それなら、私でなくとも良かろう。例えばイゾルデやサラなど――カミラもそうだし、皆、ウィルを好いている」
ミシェルは首を左右に振って、寂しそうに笑った。
「ウィルは、あなたに惹かれているわ。キスをしたら、彼は私の下から去るかも知れない……」
「それは、ウィルが私の恋人になる――という意味か?」
「そうね」
「だが、それでは貴様が困るのだろう?」
「そうなったらね……でも、あなたとキスをしても尚、彼が私の下に戻るなら、絆は昔以上のものになるわ」
ローザリアは顎に指を当て、考えた。
というか、鼻の穴がヒクヒクと膨らむ。
「ウィルは、あなたに惹かれているわ」というのは、ローザリアにとってキラーワードだ。
今すぐ眼下の陣へ行って、ウィリスに飛びつきたい衝動に駆られる。戦争など、やっていられるか。
ローザリアは昨夜、「負けない!」と思いつつも「もう、諦めた方がいいのかな……」と悄気ていたのだ。けれど、この一言で復活した。
「つまり……勝負という訳か? 私が勝てば、ウィルが私の剣というだけでなく、恋人になるのだな!?」
「そうよ……」
「だが、負けたら私は、単なる当て馬だな? いや、負けないがッ!」
「……ローザリアさん、確認をさせて。あなた、ウィルのことは本気なのね?」
ローザリアは暫く迷った末、言い切った。
「……うむ。私にはあの男以外、考えられぬ」
「はぁ……なんて正直な人。だけど……私もよ」
ミシェルはニッコリと笑って、手を差し出した。
「しかし……なんだな。ウィルが私を選んだら、ミシェル、貴様はどうするのだ?」
「あなたの領地の修道院で、尼にでもなるわ」
「そうか、ならば良い」
自信満々で頷いたローザリアは、このとき、自分が敗れることなど微塵も考えていなかった。
ローザリアは差し出されたミシェルの手を取り、二人は固い握手を交わす。
◆◆
グラニア・ミリタニア連合三万三千対ウルド・ルイード連合二万一千の戦いは、昼近くになって始まった。
当初は双方とも、矢を射かける形で幕を開ける。
互いに正攻法で、様子見といった状況であった。
魔術合戦はその延長で、遠距離魔法を撃ち合い、消し合っている。
徐々に味方の中央、右翼が右に寄っていく。
敵左翼、ミリタニア軍を撃滅する為だ。
対応して前方のグラニア軍も動くが、これを止めるのがウィルスの役目だった。
ウィリスは久しぶりに五千の兵を指揮し、腕が鳴っていた。
ウィリスは前衛としていた騎馬隊を前進させる。
騎兵は本来、歩兵同士が正面でぶつかっている隙に、敵側面や後方へと回る機動戦術が基本だ。
しかしウィリスが率いるならば、それ以上に有効な戦い方がある。
突撃だ。
ここで一時、ウィリスは指揮をサラ・クインシーに預けた。
「はいはい、またですね……行ってらっしゃい」
サラはいつも通りの展開に、ヒラヒラと手を振っている。
不死隊を中心とした、中央突破戦術。
こんなものを喰らわされる敵に、いっそ同情を禁じ得ないサラであった。
「行くぞォォッ!」
槍を掲げ、ウィリスが先頭を切って敵陣へと突入する。
左右に控えるのは、リリー・パペットとハンス・チャーチルだ。
彼等に続いて、漆黒の装備に身を包む不死隊が駆ける。
「不死隊が来たぞォォッ!」
敵、グラニア軍の戦列が乱れた。指揮官が必至で命令を下す。
「退くなッ! 盾を下ろせ! 槍を構えろッ!」
敵は小隊ごとに大きな盾を地面に置き、その隙間から槍を覗かせる。
しかしウィリスはおかまい無しに槍で敵の盾を破壊し、馬蹄で蹴散らしてゆく。
グラニア軍の前衛は、混乱の坩堝となった。
「一端後退ッ! アレとまともにぶつかるな! 槍で馬の足を狙えッ! 機動力を奪うんだッ!」
辺りを指揮する、グラニア軍の中級指揮官が叫ぶ。
そこに狙いを定めて、ハンスが剣を振り下ろした。
乱戦となれば、指揮官は兜に房飾りを付けている。狙い易いのだ。
ハンスと同じく中級指揮官を狙い、次々と撲殺するリリーも敵軍にとっては災厄である。
ウィリスに関しては、言うまでもない。一度の突撃で、敵の部将を討ち取っていた。
――――
「全軍を、一旦後退させるよ。後退させつつ、陣形を再編。敵は少数だ、なに、深部までは入り込めない」
グラニア軍の後方で、ウィリス達の突撃を冷静に眺めていた男――ゾルダン・マイヤーが命令を下す。
彼は小柄な男だが、武勇の誉れは高い。
それと同時に、職業軍人としての手堅さに、定評のある男だった。
下級貴族の出身でありながら、三十三歳で将軍の地位にある。
ましてイラペトラ帝からブラスハルト帝へ権力が移行しても尚、その地位に留まり続けているのだ。
政治的なバランス感覚も、将軍達の中では群を抜いている。
ゾルダン・マイヤーは白い鎧を身に纏い、紫のマントを翻す。
彼が部隊を後退させると同時に、ウィリスの突撃も限界点に達している――ように見えた。
「閣下、右翼を展開させて、半包囲なさいますか?」
副官が、問い掛けてくる。
ゾルダンは首を左右に振って、苦笑した。
「相手はウィリス・ミラーだ、誘いだよ。回り込んだなら、魔法なり弓矢なり、凶悪な何かが待ってるさ」
「は……なるほど」
「それに、どうせこれは負け戦さだ。意味とてない。だからせめて、なるべく多くの兵士を本国へ返してやろうじゃないか……」
「ですが、我が軍は未だ優勢です、閣下」
「分かっていないね。敵が主力をこちらに向けなかったのは、フォーゲルどのを叩くため。昨夜あれほど言ったにも関わらず、彼はここでの決戦を選んだ……敗北は、その時点で決していたんだ」
「お言葉ですが、兵力はこちらが勝っています」
「そうさ――だからこそ有利な場所で、有利な時に戦うべきだった。じき、トラキスタンの援軍もくるだろう。その時にボロボロじゃあ、逃げることも出来やしない。だからここは、守りに徹する」
「御意」
ゾルダン・マイヤーの言葉通り、数時間後、勝敗はあっけなく決した。
端緒はワレリーがエンツォ率いるウルド軍を追い、突出したことである。
その隙を衝いてイゾルデ軍が大きく右に旋回し、半包囲を完成させたのだ。
むろんグラニア軍も、単に盟友を見捨てた訳では無い。
軍団の一部隊を割いて、ミリタニア軍の救援に向かった。
しかしワレリー・フォーゲルは、すでにジョセフ・アーサーに討ち取られた後であったのだ。
「考えてみれば、酷い話だ。ウィリス・ミラーにイゾルデ・ブルーム、それに緑槍ジョセフまで。綺羅星の如き将帥を相手に、私一人で戦えなどと――そんな給料は貰っていない。だからやはり、ここは撤退だ」
「……閣下」
ゾルダン・マイヤーは不満顔で敗残兵を纏めつつ、南方へと退いていく。
副官は何だか不貞腐れてしまった上官を眺めつつ、「私の給料の方が安い」と溜め息を吐いた。
けれど陣容は堂々として隙が無く、ネイをして付け入ることも出来なかったという。
――――
戦いの終始を丘の上から眺めて、ローザリアはウィリスの凄さを改めて知った。
突撃のタイミングも、仕掛けた罠も――また、ウィリスが仕掛けた罠を見破り、動かなかった敵将も見事である。
それだけではない。
中央軍を指揮したエンツォは、自らが突出することでワレリー・フォーゲルを誘き寄せた。
それは多分、フォーゲルに追われたことのある過去を利用したのだ。
その隙に一万の軍勢を手足の様に操って、敵の右と後ろを囲んだイゾルデの手腕も見事であった。
また、敵将ワレリー・フォーゲルを討ち取ったのは、あのジョセフだと言う。
緑髪のおちゃらけた男だと思っていたが、やる時はやるのだな、とローザリアは思った。
そのイゾルデとジョセフが、今後はローザリアの配下になるという。
だからこそネイは今回の戦さを彼女に、ここで見せたかったのだ。
ローザリアはこれで、本当に味方の力を知った。
そして、万の軍を超える戦いを経験したのだ。
ローザリアは拳を握りしめ、大きく頷いていた。
そのとき、ネイの下に伝令が現れた。
「伝令ッ! トラキスタン帝国より援軍ッ! その数、凡そ十万ッ!」
ネイは吐き捨てる様に言う。
「狙い済ましたように、今更かッ!」
が、伝令は続けて報告をした。
「軍勢を率いているのは、皇帝リュドミール三世陛下にございますッ!」
これでは、歓迎せざるを得ないだろう。
やむなくネイはノイタールへ戻り、皇帝を迎える準備を始めるのであった。
だが、ネイは知らない。
敵将のゾルダン・マイヤーは、この援軍を察知していればこそ、あっさり退いたということを。
もしも長期戦が可能と判断していれば、彼はフォーゲルを討ち取らせはしなかっただろう。
ゾルダンにとって無謀な蛮勇を誇るフォーゲルは、むしろ邪魔だったのである。
つまり今回の勝利に、援軍は十分貢献しているのだった。
ブクマ2000件突破しました! ありがとうございます!
ランキングは落ちてきたので、悲しいから見ないようにしました!
でも面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
読んでくれてる方がいるんだなぁと思うと、作者のやる気が上がります!




