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20 公都ノイタール

 ◆

 

 ウルド公ネイの決定を聞くと、当然のごとくローザリアが癇癪を起こした。

 もはや守将も馴れたもので、ウィリスに目配せを一つして、「こほん」と咳払いをする。

 ウィリスはローザリアを肩に担ぎ、砦の望楼へと連れて行く。

 

 夏が近い。

 柔らかな風が、汗ばんだローザリアの肌を撫でる。

 ふわふわとして見える雲が、彼女の心を僅かにほぐしてくれた。


「ウィル、ここに居ては埒もない。公都ノイタールへ行き、ウルド公ネイに会うぞ」


 ウィリスの肩に担がれたまま、ローザリアが拳を握る。

 最近はウィリスにどんな持ち方をされても、狼狽えることの無いローザリアだ。


 頭の角度を変えて見れば、ローザリアにはウィリスの顔が逆さまに見えた。

 それが面白くてニカッと笑う彼女は、まだまだ十七歳の少女。

 ペンが転がっても楽しいお年頃である。


「会って、どうするんだ?」

「爵位と指揮権を貰う。私が指揮を執るなら、たとえ味方が敵の半数でも勝てるからな」


 その自信はどこから来るのだろう? と首を傾げながらも、ウィリスは頷いた。

 それがどこからやって来る自信だとしても、ローザリアならやってのけるだろう。

 今やローザリアは彼の主君だ。誰よりも信じてやるのが、人臣の道というものである。


「わかった。では、供は誰にする?」

「貴様だけでいい。いいや、貴様だけがいい!」

「断る。男女二人だけで旅など、夫婦しかやらない。いや――夫婦ですら護衛を付ける」

「では……貴様は私に一人で行けと? 護衛はしたくないと? 貴様は私の剣ではないのか?」

「いや……護衛であれば……まあ……」

「では、決まりだ! 一緒に行くぞッ!」


 これに関しては、釈然としないウィリスであった。

 それはローザリアの邪な狙いが分かっているし、それを退けられるだけの胆力が、自身から徐々に減っているような気がするからだ。

 

 人の心は、こんなにも移ろうのか――とウィリスは少し呆然としていた。

 ミシェルが側にいれば、そんなことにはならなかっただろう。

 それとも彼女が目の前で、ゲートリンゲンとキスをしたからだろうか?

 だから自分も許される――とでも。


 ローザリアは主君として、ウィリスにとって比類無き存在だ。

 しかし女性としては、どうであろう。


 愚問だった。


 主君が恋人であるなど、歪に過ぎる。

 ウィリスは頭を左右に振り、己の考えを振り払った。


 ――――


 クレイモア砦から公都ノイタールまでの道中は、レギナ・レナを通り南下して、馬ならば三日の距離である。

 と言っても、それは馬に乗り馴れたウィリスとローザリアだから可能な速度であって、通常なら倍の時間が掛かるであろう。


 その三日間というもの、ローザリアは頑張った。

 初日から全ての夜を、ウィリスにぴったりくっついて眠ったのだ。

 といっても、二日間だけだが……。

 

 一方ウィリスも、別の意味で頑張った。

 理性を最大動員し、日に日に美しく、女性らしくなってゆくローザリアの誘惑に耐えぬいたのだ。

 もはや苦行である。どのような宗派の修行僧も、彼ほど煩悩を克服出来る者はいない。


 結果――公都ノイタールに到達した頃、ローザリアは女としての自信を喪失して真っ白になり、ウィリスはある種の悟りを開いていたのである。

 

 ウィリスの勝利であった。

 ローザリアは泣きそうであった。


「貴様、私の剣であろう」

「うむ」

「剣なら私と云う鞘へ、素直に納まらぬか……」

「……!?」


 とうとうローザリアは暴走してしまう。うっかり下ネタを口走ったのだ。


「お父さま、お母さま、ローザリアはいけない子になってしまいました……!」


 ◆◆


 公都ノイタールは人口五万と、それなりに大きい。

 公爵が座す政庁を中心に、扇形に広がった都市まちである。

 また、南北にそれぞれ川が流れ、政庁の先で二つの川がぶつかっていた。

 つまりこの地は、天然の要害である。

 

 だから、たとえ東からグラニアが攻め込んでも、二つの川がぶつかった大河に阻まれるのだ。

 あるいは河を遡る手も使えるが、当然ながら防備は完璧である。

 一方、西側には大きな城壁を備えていた。たとえ大軍で攻めようとも、容易には落とせないであろう。


 ウィリス達は北からノイタールへと向かったので、一端は橋の掛かった地点まで西へ向かい、大きな城門を潜って中へ入るしかなかった。道も、そのような作りとなっている。

 全ては防衛上の処置だった。

 長年トラキスタンとグラニアの争点となっていればこそ、都市まちの入り口は一カ所に絞られているのだ。


 その街は、閑散としている。

 戦さが近づき殺気立っている、という風でもない。

 あくまでも地方都市だ、こんなものなのだろう。

 石造りの街路、町並みは古風で、帝都のように洗練されたものではなかった。

 

 ウィリスとローザリアは馬を降り、目抜き通りを歩いている。

 果物を扱う店、肉を売る店、生地、衣料品を売る店が並んでいた。

 ニワトリの鳴き声や豚の鳴き声も聞こえるが、喧噪に満ちている――という風でもない。 

 時折、銀色の鎧を身に着け、赤い飾りの付いた槍を抱える兵士達とすれ違う。ウルド公国の正規兵だった。


 ウィリス達は政庁へ到達すると、門衛へ用件を告げる。


「ドレストス王シグムントが四女、ローザリア・ドレストスが参ったと、ウルド公に伝えよ!」


 居丈高にローザリアが宣言する。門衛は不審気に彼女を見下ろした。

 白いマントこそ立派だが、薄汚れた鎧には錆が浮いている。

 見れば銀色の髪も緑色の瞳も美しいが、年端もいかぬ少女だ。

 それにドレストス王国は何年も前、グラニアに滅ぼされている。その程度の知識は門衛にもあった。


 一方で隣に立つ大男からは、凄まじいまでの威圧感を受ける。

 只者では無い。見上げるだけで、足が震えるのだ。

 するとそれに気付いたのか、少女が彼を紹介した。


「こちらは我が剣にして従者の、ウィリス・ミラーであるッ! さあ、衛兵ッ! ウルド公に取り次ぐが良いッ!」


 ローザリアが右手を伸ばし、指先をウィリスに向ける。

 衛兵は雲を突く様な巨漢であるウィリスを見上げ、頬を引き攣らせていた。

 ローザリアはそんな衛兵の姿を不審に思い、ウィリスが恐いのだろうか? と考える。

 うんうん、コイツ、愛想が悪いからなぁ……。


「ウィル、笑え」


 結果――無茶ぶりである。

 ムスッとしたウィリスが、眉根を寄せた。


 お陰で衛兵は思い出す。

 かつて戦場で、彼はウィリスを見たことがあった。

 漆黒の鎧を身に纏い、槍を振るって戦場を疾駆する破壊神。

 当時、衛兵はただ、小便を漏らしながら逃げ回るしかなかった。

 その男が今、眉根を寄せつつ、無理に笑おうとしている。

 正直、余計に恐いだけだ。


「し、暫し待ってくれ!」


 衛兵は走り上官の下へ向かった。

 ことの次第を伝え聞いた上官は、冷や汗を浮かべて言う。

 営舎の窓からウィリスの姿を確認して、だ。


「あれは間違い無い、ウィリス・ミラーだ。万が一暴れ始めたら、公都が破壊されてしまうぞッ!」


 ウルド政庁に、緊張が走った瞬間である。

 グラニア帝国軍が来る前に、ウィリス・ミラーに滅ぼされてしまう。

 そんな恐怖感が、彼の足を急がせた。


 やがて現れたのは青い短衣チュニックを着た男だ。

 彼は赤い裏地の、白く短いマントを左肩に掛けている。

 

「やあ、ミラー将軍、よく来てくれたね」


 両手を広げてウィリスを歓迎する彼は銀灰色の長髪で、女性のように美しい顔をしている。

 赤い瞳は嬉しそうに輝き、彼はウィリスの巨体に“ハシッ”と抱きついた。

 彼も中々の長身で、グラハムと同じくらいだ。しかし横幅は、三分の一程度である。

 要するに、平均的な身長差のある男女が、抱き合っている姿に見えなくも無い。


「ちっ、なんだ、これは」


 ローザリアが不機嫌になった。


「久しぶりだな、カノープス子爵」

「嫌だなぁ、私と君の間柄だ。気軽にエンツォ、と呼んでくれ給えよ」


 エンツォ・カノープスはウルドの国務大臣であり、公爵に次ぐ実力者である。

 また戦場においては宮廷魔術師として、絶大な力を振るった。

 ウィリス・ミラーとエンツォ・カノープスは、過去に幾度か対戦したことがあり、お互いがお互いに苦杯を舐めさせられている。


 といって和平交渉の席でも幾度か同席している為、互いに旧知の間柄なのだ。

 もともと何事かがあれば、ウィリスは彼に話を通すつもりであった。

 彼が出て来たのであれば、都合が良い。


「最初から私の下を訪ねてくれれば、厚く遇したであろうものを……」


 エンツォがウィリスの両手を取って、涙を滲ませた。

 彼等は憎み合って戦った訳では無い。立場が違えば、互いに友人になれると感じながら戦さをしたのだ。動乱の時代における、皮肉な人間関係の一つである。


「迷惑を掛けたく無かったし、それにな……」


 ウィリスは苦笑し、頭を振った。

 もしもウィリスがエンツォを頼れば、確かに彼は厚く遇してくれたかも知れない。

 しかし、そうなった時にグラニアがどう動くかは、火を見るよりも明かだ。

 それにウィリスはウルドの兵に、悪鬼の如く恐れられている。来て良いとも、思えなかった。

 何よりウィリスは、その前にローザリアと出会っているのだ。


「……まあ、いい。君が来てくれたなら、公爵閣下も大歓迎さ。とはいえ、今日は些か忙しい。会見の準備は私が責任をもって整えるから、君は私の部屋で茶でも飲み、待っていてくれ給えよ」

 

 そこまで言った後、エンツォは薄汚れた鎧を身に纏う、小柄な銀髪の少女に目を向ける。


「お、おほん」


 少女が咳払いをしていた。

 見れば、容姿は随分と美しい。

 

「……はて」


 エンツォは首を傾げ、ウィリスとローザリアを交互に見る。


「随分と可愛らしい従者だね?」

「わ、私は従者ではないッ! 逆だッ! ウィルの主であるッ! だいたい貴様は何なのだッ! 馴れ馴れしいぞッ! 女みたいな顔をしてウィルに抱きついて、調子に乗るなッ!」


 エンツォの発言に、ローザリアがついにキレた。

 今までずっと我慢をしていたのだ。

 どうしてドレストスの王女と名乗った自分を蔑ろにして、ウィリスの為に変なヤツが出てくるのか。

 男か女か分からない顔で、大切なウィリスに抱きついていたし……。

 もう、そこからして許せない。

 ローザリアの顔は、憤怒で真っ赤に染まっている。


 ついでにエンツォの手をウィリスから引きはがし、自分が彼に抱きついた。ひしっ――。


「貴様などに、渡すものかッ!」


 ウィリスが困った様に頭を掻いて、「ローザリア……この人は」と声を掛ける。

 エンツォが軽く手を上げ、ウィリスの言葉を制す。

 確かに、自己紹介がまだだったらしい。エンツォは反省の意味を込めて、一つ礼をした。


「これは大変な失礼を致しました、亡国の姫君よ。私はエンツォ・カノープス。ウルド公国の国務大臣にして、宮廷魔術師長の職にあります。しかしながら――私には些か疑問がございます。たしか、ドレストスの姫君は三人しか居なかったはず。それも皆様、非業の最後を遂げられたと聞き及びます。

 それでも貴殿がドレストスの王女と名乗られるならば、何かそれを証明するものは、お持ちですかな?」


 ローザリアはウィリスから離れ、自身の身体をペタペタと触っていた。

 しかし、どれほど探しても証拠など無い。ある訳が無い。

 鎧も、自身を育ててくれた騎士のものを改修して、小さくしたもの。剣も同じく、そうである。

 考えてみればローザリア自身、言葉でこそ伝えられたが、それと示すものは持っていないのだ。


「あ……」


 ローザリアがウィリスを見る。ウィリスもローザリアを見た。

「あ……」ではない。

 これでは僭称していると言われても、仕方が無い状況だ。

 事実、後世においてもローザリアが確かにドレストス王家の血を引いている――という証拠は見つかっていない。

 ローザリアは、泣きそうになった。


「何はなくとも……ローザリアは俺の主君だ」


 ウィリスは言った。

 エンツォ・カノープスは頷き、ニッコリと笑って「こちらへ」と手招きをする。


「滅びたドレストス王家の血筋を誇るより、ウィリス・ミラーに主君と仰がれることをこそ、あなたは大切になさると良い」

「そう……だな」

 

 エンツォの言葉に、ローザリアが頷いていた。


 エンツォは二人と共に歩きながら、行き交う人々に手を挙げている。

 やがて彼の部屋に到着すると、二人には暖かい焼き菓子と冷たい茶が振る舞われた。

 暫く待っていると、エンツォが再び現れ、こう告げる。


「――公爵閣下は二人を晩餐に招きたい、とのことだったよ。流石にグラニア軍が迫っているからね、ウルド公もお忙しい。かく言う私も、バタバタさ。あまりお相手が出来ず、申し訳ないね」


 肩を竦めて見せるエンツォの姿を見ながら、ウィリスは焼き菓子を頬張った。


「気にするな。負ける訳にはいかんだろう」


 ローザリアはそんなウィリスの姿を見つめながら、自身の出自について考える。

 今までずっと、自分がドレストス王家の第四王女だと信じていた。

 しかし――翻って第四王女とは、公式記録には無い存在である。


 その理由も聞かされていた。妾腹の子であるから、と。


 だが、もしも――本当に自分が何者でもないとしたら、ウィリス・ミラーという剣の持ち主であり続けることが出来るのであろうか?


 ローザリアは、茶も菓子も喉を通らない。

 第四王女という拠り所がなければ、自分は公爵を前に、どうすれば良いのか。

 ローザリアは緊張と恐怖で目が回りそうだ。

 

 知らず、隣に座ったウィリスの手を掴む。


「なあ、ウィル……私がドレストスの王女で無かったら……お前は私を見捨てるか?」


 ウィリスは菓子を口に入れ、首を左右に振っていた。


「いや。それなら俺は君の父上の仇ではなくなるから――いっそ有り難い」

「だが、私は――」

「ローズ。俺が君に求めたものは、たった一つだけだろう」

「そうだ……誰もが平等な世界」

 

 ローザリアは頷き、ようやっと菓子に手を付ける。

 もう、決めた――自分が何者であっても構わない。

 ウィリスが主君と呼んでくれるなら、それに相応しい存在であり続ければ、それで良いのだから。

 そう考えて――やはりおかしい、と、ローザリアは首を捻る。


 いやいや、私は第四王女だぞ、今は証拠が無いだけなのだ、と。

ありがとうございます! ついに日刊総合ランキング93位になりました!

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ありがとうございます! 嬉しいです! でも頂上は、まだまだ遠いです(なみだ


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