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第九十二話

 

「あー! 猪がいません! 鹿もいない! もーっ!!」

 リューンと船旅のことで雑談してると、距離を取って歩いていた逆ナン少女が沸騰し始めた。

「な、なに? あの子どうしたの?」

「大物が見当たらなくて癇癪を起こしてる」

「なんだ、びっくりしたよ……」

 ビクビクして不安そうにしていたが、理由を聞いてすぐに落ち着いた。少し呆れたような顔をしている。

「でもここまで街道にいないのは珍しいよね、何かあったのかな」

「冬前なんかは木の実とか転がってるから出てくるけど、今はまだ寒いしね」

 言われてみれば納得だ。流石森の民。

「あのまま騒いでたら色々寄ってくるよね」

「寄ってくるね、狼とか。面倒くさいから帰らない?」

 それがいいかな……正直鬱陶しい。静かに散歩もできないならここにいる理由はない。

「置き土産に二匹釣ってきてあげよう。もう会うこともないけど、それくらいはいいでしょ」

「好きにしていいよ」


 前方の集団に近づいて声をかける。リューンもついてきた。待ってると思ったのに。

「猪を狩りたいのよね? 釣ってきてあげましょうか?」

「えっと……この辺りにはいないのではないかと」

 いるんだなこれが。近くに落ちていた手のひらサイズの石を十手で砕いて、リューンに渡す。付いてくるなら手伝ってもらおう。

「森の中にいるわよ。私達はその後帰るけど、余計なお世話だったかな?」

「……いえ、お手数おかけして申し訳ありません。よろしくお願いします」

「二匹同時に相手できる?」

「はい、できます」

「リューン、二匹。まずあれね」

 ふわふわで索敵して手頃な……単独で居る個体を見つけて、十手で方角を示す。そしてその方向へ向かってリューンが石を投擲する。数発当たったところで猪がこちら目がけて駆け出してきた。

「ん、こっちきた。次は……あれでいいか。リューン、あっち。あれわかる?」

「んー……あー、はいはい。確認した。もう釣っていいの?」

「二匹同時に相手できるってさ。これ終わったらご飯食べに行こうよ」

「よしきた!」

 私はノーコンだが、リューンは投げナイフや石の投擲などがやたら上手かった。身体強化で遠くまで届くので、こういう時に便利だ。ちなみに弓はダメだそうで、遺品の弓と矢筒は既に処分済みとのこと。投げナイフを武器にするよう勧めてみたが、もったいないと言ってこういう時は石を使っている。私と組むならダメージは少ない方がいいので都合がいいのは確かだが。

「あ、サクラごめん。もう一匹付いてきちゃった」

 止める? と視線で問いかけてくるが、気絶させておけばこの子達が処理するだろう。

「私が止めるよ。ありがとね」

 私目掛けて突っ込んできた最初の一匹の脇腹を蹴り飛ばして横倒しにし、続けて突っ込んできた二匹目の頭を殴って気絶させ、三匹目も一匹目と同じ要領で蹴倒した。

 一匹目は少年達が二人がかりで斬りかかっていて既に虫の息だし、これも適当に処理するだろう。

「じゃあ、私達は帰るわ。今朝はありがとう。頑張ってね」

 邪魔をしても悪い。返事を待たずに二人して王都へ戻った。


「港町ってここからどう向かえばいいの?」

 昼食を取りながらこれからの予定を詰める。最初の町……アルシュへ向かう予定だったが、先に船の部屋を予約しに行くことになっている。

「コンパーラから南西、エイクイル方面だね。そこを通りすぎてしばらく行くと港町がいくつかあって、一番大きいところからセント・ルナへの船が出てるよ」

 エイクイル……通り過ぎるならいいか。あそこには絶対に滞在しないと決めている。

「港町までどれくらいかかるかな?」

「パイトより少し遠いくらいじゃないかな、ここからバイアルくらいまで? 夜からいつものあれで大丈夫だと思うよ」

「そっか、ならそれでいこう。先に少し本を仕入れていきたいんだけど、いいかな? 結構長く船に乗るんだよね」

「そうだね、それがいいと思う。これ食べたら行こうか」

 時間があることだし、この機会に色々な本を買っておきたい。歴史とか、御伽話とか──神話とか。


 本屋で中身を確認せずに目についたものを片っ端から購入して書店を後にしたのだが、結局港町行きはナシにした。

 船は二月に一回程度は出ていて、個室が埋まることもないだろうとリューンが判断を改めたためだ。仮に埋まっていたとしても、改めて予約してパイトまで戻ればいい。急ぐ旅でもない。

 その日は王都からパイトまで走って南側で適当に食事を取って一泊し、翌朝にバイアルを経由してアルシュまで走る。

 もう少しゆっくりしてもよかったのだろうが、気が急いていたのかもしれない。強行軍になってしまったが、リューンは何も言わなかった。港町行きを止めたのは、そんな私の気持ちを見抜いていたのかもしれないね。

 やがて──だだっ広い平地に石造りの町が見える。懐かしいと思うほど長く居たわけではないが、私にとって、ここは忘れられない町だ。

「ここがアルシュで間違いないよね?」

「間違いないよ。ここがアルシュ」

 リューンを下ろして高さ三メートル程の灰色の石壁を見上げる。王都よりも、パイトよりも低い。だがあの時私はこれをとても高いと感じたはず。不思議な感覚だ。望郷の念とはこういうものなのだろうか。ふるさと、などと呼んでいいものかは分からないけれど。

 門をくぐって懐かしい町並みを歩く。思えばこの町のことはほとんど知らない。森の中、沢で出会った母娘がどこの誰なのか。宿や食堂のサービスや味とかも。知っていることなんて、ギースの家と魔石を買い取ってくれたおばちゃんの武具屋の位置くらいじゃないか。酷い話だ、そんな故郷があるものか。

 町をしばらく歩き、やがて大きめの屋敷が立ち並ぶ区画へ辿り着く。その中の一つ、年季の入った、日本にいた私の感覚では大きな屋敷。

 門は閉まりきっていない。裏庭から物音もしない。中にいるだろうか。門を押して敷地内に踏み入る。装飾のないシンプルなドアノッカーを何度か叩き──扉が開いた。

 私達より頭一つ分ほど低い身長。がっしりとした体格。ヒゲを剃った、ドワーフらしからぬドワーフ。

「ご無沙汰しております、ギースさん」

「おお、サクラか。まぁ入れ」

 いなかったらどうしようかと思った……よかった。なぜか無性に安心した。


 一度だけ入ったことのあるお屋敷の同じ居間に通され、彼と向い合ってソファーに腰掛ける。

「久し振りじゃの、元気でやっとったか?」

「はい。お陰様で、なんとかこうして命を繋いでいます。ギースさんもご壮健で何よりです」

「色々話を聞きたいところじゃが……そのエルフはなんじゃ?」

 そのエルフは他所向けの顔で静かに腰掛けている。視線を向けられてビクついた様子もない。だが実はこれ、内心は泣きそうになっている。

「彼女はリューン、私のパートナーです。王都に出向いた際に知り合いまして、馬が合ったので行動を共にしています。ハイエルフなので、その、共通語がまだ……」

「ん? ああ、奴らはエルフ語を使うんじゃったか。分かった、ワシからは特に話し掛けん。通訳が必要なら適当にしてやれ」

 膝の上に置かれた手を握ってニギニギしてみる。退屈だろうが……今しばらく辛抱して欲しい。

「ありがとうざいます。それで、お酒を買ってきたのですが、どこか置き場所はありませんか? 良し悪しが分からなかったので、選別は任せっきりになってしまったのですが」

「それを先に言わんかい! つっても、場所か……その辺に並べとくれ」

「……居間ですが、よろしいのですか? 結構量がありますが」

「構わん構わん、ここには知り合いしか来んしの。なぁに、飲みきれば綺麗になるわい」

「では──少々お時間頂きます」

 苦笑して席を立ってお酒を取り出し始める。流石に量が多いが……なるべくリューンから遠ざけて、ギースのそばに並べ、積み上げていく。

 次元箱、隠した方がいいのだろうが……女神様云々より秘匿性が高いわけでもない。それに人の家でコソコソするのも失礼だろう。まだ私は教わる立場でもあるのだから。

「──驚いた。次元箱か」

「はい。迷宮で見つけました」

「人に見せてはおらんな?」

「はい。今この場にいる者以外には誰にも」

「ん、ならいいわ。それで、そこのエルフ……ハイエルフは酒がダメな口か?」

 エルフは酒が弱いものなんだろうか、配慮がありがたい。ここで飲み始めたら……夜宥めるのに苦労しそうだ。

「はい。その、大変恐縮なのですが、ここでは──」

「わあっとる。今は樽を眺めて楽しませてもらうよ。またいい酒ばかり、よくもまぁこんなに仕入れてきたもんじゃ……お前さんを世話してよかったわい」

「お気に召して頂けたようで何よりです。もっと色々用意したかったのですが、いつお帰りになるか分かりませんでしたので……」

「十分じゃよ、これを前に文句を言うたらバチが当たるわ。これでしばらくの間は楽しい夜が続きそうじゃ──して、戻ってきたのは、アレかよ?」

「はい。魔力身体強化を伝授して頂きに。それと……ギースさんの都合がよろしければ、戦闘訓練をお願いできればと」

 今となっては正直、訓練目当てだ。もちろんドワーフの魔力身体強化も身に付けなくてはいけないものだが、今の私にとっては戦闘技術を洗練する方がより大事。多少長居する羽目になっても、ここは妥協すべきではないと思っている。

「ほぉ……殊勝な心掛けじゃな。よかろ、酒分くらいは仕込んでやる。時間はあるのか?」

「はい。この後セント・ルナへ向かおうと思っていますが、まだ船の予約もしていませんので」

「ルナか。ナハニアよりもだいぶ遠いが……そうじゃな、お前さんならあそこを目指すのもいいじゃろ。ワシも昔篭っておったしの。……本格的な訓練の前に、今のお前さんの成長っぷりを見せてもらうとするかの。先にあの岩場へ行っとれ、ワシもすぐ向かう」

 そう言い残してギースが部屋を出て行く。先に出ないと鍵を掛けられないだろうし、すぐ出よう。

「リューン、移動するよ。ごめんね、退屈させて」

「気にしなくていいよ。後で少し通訳して? 身体強化のことについて話をしたいの」

「ありがとう、大丈夫だよ。行こうか、町の外に出るから」


 抱えていってもよかったが、流石にすぐそこだし、リューンにも走ってもらった。長距離でなければリューンも文句を言わずに走る。私が抱えるのは町から町へ移動するときくらいだ。

 身体をほぐしながらギースの到着を待つ。あの人のことだから……十中八九打ち合いになるだろう。

 今の私では正直、神力を含めた三種強化をしなければギースの膂力には付いていけない。培ってきた気力の質が違う。まさに格上の相手だ。

 こればかりはギースにも言えないし、リューンにもしっかりと見せてはいない。気力と魔力身体強化の相乗効果については話してあるから、それの一環だと思っていてもらう。今後強化が四種になれば、よりごまかしも利きやすくなるはずだ。今日は二種のみでやる。

 魔導服の防御力を試すちょうどいい機会かもしれない。頭や腕は……怖いけど。

 それからしばらくして──愛用の刺身包丁のような刃物と、十手と同じくらいの長さの棒を二本ずつ小脇に抱えたギースがやってきた。もしかしてあの人……刃物で打ち合いする気?

「さて、準備はいいか?」

 刃物を置いて棒を二本手にしたギースが足を止めて声をかけてくる。

「はい。よろしくお願いします」

「まずは反撃せんから好きに打ってこい。遠慮はいらん」

 一つ頷き、正眼に十手を構えたまま左肩を少し後ろに下げ……思いっきり駆け出した。そのまま胸元を狙って打突するが、これを二本の棒をクロスするようにして受けられる。

 力比べに付き合わずに即座に手を引いて構えを作り、再び打ち込む。これにも反応される。眉間を、喉を、胸を、腹を狙って何度も何度も打ち込むが、その尽くに対応される。やはり格が違う。しばらく打ち込んだ後に、構えたまま一度距離を取って呼吸を入れる。これは強い。気力だけでこの動き……すさまじいなんてものじゃない。

「──随分腕を上げたの。構えを維持するのは良い工夫じゃ。お前さんの膂力でそれをやられると普通は攻め返せん。自力で思い至ったのか?」

「はい。第二迷宮で数を相手にする修練を積んでいたときに、体捌きが甘く、どうしようかと思って……隙を無くせばなんとかならないか、と」

「体捌きは確かにまだ甘い。攻めっ気を出しすぎて身体が前に出ておる。肩ではなく足を前に出せ。確実に殺せるその一打を無意識で放てるようになれ。攻めに意識を乗せず、戦闘の流れを意識するんじゃ。続けるぞ、こい」

 同じ流れが続くかと思ったが……ギースは少しずつ立ち位置を変えてくる。近づいたり、少し距離を置いたり。それだけで私の攻撃は打点がズレて途端に戦いにくくなる。

「足を使え足を。下着みたいな服ばかり着てるから足を前に出すのを怖がることになるんじゃ。克服しろ。今のお前さんの足運びはスカートで見えにくい、しっかり踏み込め。そのすね当ては飾りかよ?」

 それは……ある、な。確かに私はずっと足を晒していた。太腿を、ふくらはぎを守っていないからと、いざ戦闘となると上半身で殴るようになっていたのか。

 今なら魔力身体強化もある。魔導服が魔力を吸って防御力は生身のそれと比べようもないほど上がっている。大丈夫、攻められる。しっかりと腰を据えて……踏み込む!

「そうじゃ、それでいい。武具を頼ることは悪いことではない。作り手を、選んだ者を信頼できるなら、構わず任せろ。命を乗せろ」

 私が選んだ魔導靴、リューンが選んでくれた魔導服、そして──私の愛しい女神様。あなたが遺してくれた、この十手。

 服も十手も信頼できる。命を賭せる。あとは靴。私が、私を信頼できるかどうか。


「──うむ、いいじゃろ。帰るぞ」

 それからしばらく無心で打ち込んでいたところに……ギースからストップがかかる。まだ日は高いが、どうしたというのだろう。

「今のお前さんの打突を受けた上で打ち返すと怪我じゃ済まんからの、戦闘訓練は身体強化を仕込んで、それが馴染んでからじゃ。組手の相手はしてやるからしばらくはそれで我慢せい。それに、これがもうダメじゃ」

 ところどころ曲がった棒をひらひらさせてギースが言う。これ以上打ち込まれたら、折れると。

 終わったのを察したのか、岩場に腰掛けて眺めていたリューンが駆け寄ってきて濡れタオルを渡してくれる。かなり汗をかいている、ありがたい。

「お疲れさま。訓練すごかったよ、本気で戦ったらあんなにすごいんだね……それを受けきっていたこのドワーフもタダモノじゃないけど……」

 リューンと一緒になってからは迷宮の深部に足を踏み入れることもなく、魔石集めも比較的浅い階層で行っていた。私が必死になっているのを見るのは……初めてかもしれない。

 ダメダメなのが自分でも分かっているので、あまり褒められても微妙な気分になるけど、アルシュに来てからというものあまりリューンを構えていない。退屈させていないか気にしていたが、楽しそうにしているので、これはこれで……ありということにしておこう。

「この人の本気はこんなもんじゃないよ。一方的に打ち込ませてくれていたんだし」

 それにこれはただの成長確認だ。訓練と言えるようなものでもない。私がボコボコにされれば……彼女の見方も変わるかもしれない。



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