第三百六十五話
大小のエルフが出かけてからしばらく、散らかした居間をそのままに追加でお茶の支度をしていると、香りに誘われたお茶の精よろしく、ようやくリューンが姿を見せた。
寝間着ではなく、ラフな部屋着でもなく、帯刀した上できちんと外着に着替えている。武闘派妖精ここに在り。
だがこいつ、武闘派の癖にしきりに部屋の入り口を気にして、そわそわそわそわと落ち着きがない。自室から廊下を探り、廊下から階段、階段から居間へもこうした尾行中の探偵さんのような動きを続けてきたのかと思うと笑えてくるが、彼女なりに必死なんだろう。
「そんなに怖い?」
お出かけ中の大小エルフはギルド本部を経由して、《探査》によれば現在市中をぶらついている。いきなり戻ってくることはないと思うので、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いて欲しい。
「怖いっていうか……怖いは怖いんだけど、それよりも恐れ多いんだよ……。生まれた時から雲の上の人なんだから」
私も雲の上からメロンパンを落としまくったことがある。きっとマリンには難しい所業だ。故に私の方が高い。
「そう思うなら早起きしてくればいいのに。挨拶もなしに、昼まで惰眠を貪ってたなんて──」
「い、言わないでよっ!? 振りじゃないからね!? ほ、ほ、本当に……っ!」
「あっ、おかえりー」
「ひゃああぁぁっ!?」
うっそぴょん。
「偉い人なの?」
ビクリとして、きょろきょろして、涙目のぐぬぬ顔で体を揺すって抗議をしてくるお寝坊エルフは、何とか謝罪の言葉を引き出すと素直に本題に戻った。
「偉いというか……それこそ王族とかそういうんじゃないんだけど……高貴な身分の方々でも頭が上がらないんだよ。分かるでしょ?」
私と同級ということは、つまりそういうことになる。皇帝にお城の門まで三十分で来いと吐かしてみたり、お腹が空いたから帰ると謁見の間を自分都合で辞してみたり、それがなんやかんや許される立場。
でも私は自分から身分を笠に着てやりたい放題迫ったりしない。本当だ。これはあくまでも防衛行動のつもりで──。
アリシアは割と普通にしていたように思わないでもないが、それはきっと、まだ幼かったから。
一級になってから出会ってみれば、年長組も年少組も、私への態度はこんな感じになってしまっていたのかもしれないと思うと微妙な心境にもなる。対等な付き合いというものは望むべくもなかったのかも。
「なら私と大差ないじゃない。話してみると結構いい子だし、仲良くできない?」
「……いい子、なんて扱いして平気で居られるのはサクラくらいなものなんだよ……」
フロンやリリウムはともかく、リューンがこんなだとロリフ籠絡作戦は失敗に終わってしまうかもしれない。何とかならないだろうか。
「仲間に引き込みたいなぁ、マリン。強いし可愛いし、きっと物知りだし」
「そう、それよ! 強いって、サクラ……マリン様と戦ったの?」
戦った。じゃれ合いと殺し合いの境界線上を行ったり来たりしていた。あの『こっち来んな氷槍乱れ撃ち』は私の腹に穴を開けるに十分な威力を持っていたし、振り回していた『黒いの』の一振りはヤツの首をスッっと斬り落とせる致命の一撃。
生身であったらの話で、私も首を落とす気はなかったわけで、そういった意味ではどこまでいってもただのじゃれ合いに過ぎなかったのかもしれないけれども。
「いい修練になったよ。日課に組み込みたいくらい」
次はマリンに逃げ撃ちしてもらいながらフロンにも追われて砲撃されたい。あの密度の放出魔法を捌く機会なぞ、迷宮でも早々出会えるものではない。
何なら『黒いの』は封印してもいいが、それでも尚防御力が過剰なことを思うとルールの設定に苦慮することは間違いない。そもそもあの鬼ごっこにフロンは付いてこられないだろうし……リリウムにおんぶしてもらおうか。
「信じらんない……もうっ」
その後も雑談は続いたが、仲良くできるかどうかについては終ぞ言明しなかった。
当家はただでさえ秘密や機密事項の多い集団だ。長命なハイエルフに秘密を明かすということは、それだけ漏洩のリスクが長きにわたって付きまとうということでもある。
今更一人増えたところで何も変わらない気もするけれど、際限なく増やしていけばいつか必ず破綻する。
ただでさえ私には使徒という問題もある。リリウムは元からサクラちゃん大好きっ娘であったので心配はしていないが、能力で選んでいるといつか痛い目を見ることになるであろうことは想像するまでもない。
人となりを知るには、三日も三年も短すぎる。
その上で人間関係には合う合わないがあるわけで、共同生活している場で、家主であるからといって、強権振りかざして誰それ連れ込むのもどうかと思う程度には、私にも人の心が残っている。
(まぁ、リューンが嫌だと言うなら……仕方ないね)
三日の間に魔導具を仕上げて、良いことをしましたと満足して、バイバイとするのも致し方なし。
リューンやフロンと別れるくらいなら──。
──なーんて、このままシリアスな展開に話が進まないというのが、人生の面白いところだ。
ボチボチ夕飯の買い出しに行こうかと魔導具製作の手を止めてリビングを片付けていると、ちょうど良いタイミングで大小エルフが戻ってきた。
双方両手に大量の食料を抱え、エコバッグから顔を出すネギのような気軽さで、酒瓶までもが何本も布袋から顔を覗かせている。
小エルフの方は背中に大きな鞄を背負っているのが初対面のアリシアを思わせて懐かしくなる。そのエルフはテーブルに食料その一を置くや否や背中の荷物も下ろし、財布片手に玄関に取って返した。挨拶を返す暇もない。
「……どしたの? あれ」
遅れて居間に現れた大エルフに問いかける。
「買い物が楽しかったそうだ。すまないが夕飯はもう少し待ってくれ、肉を仕入れてくる」
疲れ顔を隠さず小さく笑い、小走りで後を追いかけるフロン。玄関方面から「はよぅはよぅ」と声が響いている。
「リューン、フロンを手伝ってあげて。私はお風呂沸かしておくから」
ここで上手にアシストできたことを、私は百年くらいは誇りに思おう。
「えっ? う、うん……」
あの暴力的な魔力の圧が綺麗さっぱり感じられなくなっているエルフと、それに対して目を点にして固まっていたエルフとを、ご飯とお風呂で繋ぐことができたのだから。
「……随分といい物ばかりを買ってきましたわね」
リリウムはフロンが置いていった酒瓶に目を光らせている。一本ずつ丁寧に検分し、別の意味でも目を光らせる。
「高いお酒?」
「……良いお酒ばかりです」
リリウムがここまで恍惚となるのも珍しい。今にも栓を捻じり切りそうになっている。
やはりあれだ、仲良くなるにはご飯とお風呂。私のやり方はきっと、それなりに正しいのだろう。
我が家のお風呂は頑張ればものすごい勢いで沸く。
水杖二刀流に井戸も併用して猛烈な勢いで水を張り、ボイラーと火魔法で炙ってやれば、大きな空の浴槽が数瞬で至福の世界へと早変わり。
このために火魔法を身につけようと考えたことは一度や二度ではない。お湯沸かし専用でも十分過ぎるほど、日々の生活に彩りをもたらしてくれることだろう。
事実今、もたらされているのだし。残りはフロンが一瞬で仕上げてくれた。
お風呂に五人というのはとても珍しい。あと数人増えたところで手狭さなど微塵にも感じられない当家自慢の大浴場に、エルフ系四に人種系一、合わせて五つの女体が惜しげもなくその裸体を晒している。
今日はきちんと身体を洗い、髪をタオルでまとめてゆったりと蕩けているマリンは、なんとリューンを気に入った。
どのような経緯があったかは不明だが、開き直ってあっちの肉もこっちの肉もと散々おねだりしまくったリューンの攻撃を全て受け止め、その全てを奢ったことで一瞬で絆してしまったとはフロンの弁。安上がりすぎて不安になってくる。
豪胆なロリフはフロンとリューンの二人にサンドイッチにされながら、見ているこちらまでもが釣られて蕩けてしまいそうになるほど、とてもとても気持ち良さそうに溶けている。
向き合ってハイエルフ三姉妹を視界に収めていると、何とも言えない多幸感に包まれるのだから不思議だ。販促写真はこれで決まりだね。
ハイエルフの国に大浴場があれば、そこはきっと筆舌にし難い光景が広がるのだろう。興味が湧いてくる。
ベルトがなくても何とか圧を覆い隠しきれているようで、頭と胸、それと両手足に身に着けられている六つの魔導具だけでこいつはただの幼女に早変わり。
リューンは根っこの部分で面倒見がいい。畏怖とか敬仰とか、そういった壁や先入観が崩れ去ってしまえば……まぁ、こうもなろうというもの。
「ぉぉぉぉ……」
「マリン様、沈んでしまいますよ」
肩はおろか、顎の下まで水没している幼女にフロンが手を貸している。美しい光景だ。
「わらわはしずまんのじゃぁぁ……」
「髪を浸すとサクラに怒られますよー?」
つい先刻まで、リューンがこんなに楽しそうな顔をするとは夢にも思わなかった。ノジャノジャはタラシだな。とても良い光景だ。
「ぉぉぁぁ……サクラはこわいのじゃぁぁ……」
「なんだと」
聞き捨てならないセリフが聞こえた。水生成オン! 発射っ!
「ひびぇっ!」
クリティカルヒット! ロリフの顔面に三ダメージ!
「なにその鳴き声」
ケタケタと──いや、お上品にウフフと笑っていると、お返しにゴッツイ氷柱が飛んでくる。
「はぁ……見よリューン、まるで効かぬのじゃ。あれは化け物じゃ……」
「見てよリリウム、素手であれだよ? 何なのよあの化け物……」
屋内での攻撃魔法はハウスルールでノーグッドとしよう。これが乱れ飛ぶと危険極まりない。
「どっちもどっちですわね……」
こちらでお嬢が、あちらでもリューンが似たようなことを言っている。普段なら秒で私の味方をしてくれるのに。
──ベッドを取られた。
当家は作業部屋とは別に各々に私室がある。そこに鎮座している物は基本的にシングルサイズのそれなのだが、私の物だけはやたらとデカイ。
一人で寝たはずなのに、目が覚めた時に四人いるなんてこともあった。四人はどうかと思うが、三人くらいなら手狭の「て」の字も感じない程度には広く、毛布などもそれに対応した大きな物を使っている。
パーティーか何かと見紛わんばかりに大量のお肉が並んだ夕食の後、マリンにリューンとフロンと三人で寝たいからお前は退けと、部屋を追い出された。
私の自室はろくに物が置かれていないので追い出されたところで別に不都合はないのだが、釈然としないものはある。
だがここで頑として譲らなければ、三人の仲が進展せず、せっかく捕まえたロリフを手放さなければならなくなる可能性が高くなる。それは避けたい。
「仕方がない」
「まぁ……構いませんけれども」
寒いし、リューンのベッドはグチャグチャだし、フロンの私室は物が多い。
仕方がないので、今日はリリウムと寝よう。話をしておきたいこともある。
うちのお嬢は高価なお酒に舌鼓を打って大層ご機嫌にお酒臭いが、これはまぁ、許容範囲だ。
ちなみにマリンちゃんは私同様、飲めるけど飲まない派だ。これによってリューンの親愛度がまた上がった。
外に出ているハイエルフだが、年季の入った緑茶党。うちのお茶事情と馴染めるかどうかは怪しかったが、今日の日中は私物の回収ついでにこれの買い出しに行っていたらしい。
「リリウムはマリンと仲良くなれそう?」
「そうですね……悪い人間のようには見えませんし、サクラが内に引き込みたいというのであれば、強いて反対する理由はありませんわ」
ドリルヘアーをいじくりながら、明かりの落ちた部屋でふと問いかけてみた。お昼時まで逃げ回っていたリューンや、魔力の圧にやられてビクビクしていたフロンとは違い、リリウムは初対面から積極的に交流を持っていた。
「そうだね、あれが演技だったら大したものだよ」
リリウムは私と違って交友関係が広い。怖気づかずに何にでも向かっていくパワフルさがある。
昔はそれで私に半殺しにされたのだけれども──。
「わたくしに言わせれば、サクラがマリンを気に入ったことの方が驚きです。よく話を聞く気になりましたね?」
「本当は無視して帰りたかったんだけどねぇ……」
ギルドの応接間への廊下は紛れもなく死地へのそれだった。あれほどまでに格の高い、魔力の強い魔力持ち。二つ持ちの可能性も十分あった、心の底から相手をしたくない。あそこのギルマスには近いうちにけじめをつけてもらう。
「会わずに逃げてきたら追いかけてきそうだった、っていうのもあるけれど、会ってみればいい子だったし。決闘に付き合ってもいいかなって思うくらいには気に入ってたんだよね」
可愛かった。小さくて薄くてお茶をふーふーしてて、変なのしか寄ってこないと寂しそうにぼやく姿を見ていたら抱きしめたくなった。
お節介でもあの魔力の圧を何とかしてやりたいと思う程度には、深入りしたいと思ってしまった。
「──そうですか。であれば、わたくしからは何も。お心の赴くままにどうぞ」
「本心?」
「もちろんですとも。それに普通の一級冒険者ともあれば、腕を磨く相手としてこの上なく適当ではありませんか。サクラと並んでいると己の無力を痛感するばかりなのです。たまには研鑽を誇りたくもなりますから」
「『黒猫さん』二刀流ならいいトコまでいけるかもね」
「……一本では勝てませんか?」
「厳しいと思うなぁ。アレを普通の一級冒険者扱いしていいものかも分からないし」
正直、黒猫一本では足りていないと思う。対お化け兵装の『灰猫さん』はマリン相手ではただの棒だ。
「杖持ったフロンの氷槍より、マリンが素手で放ってくる氷槍の方が単純な威力だけ見ても上を行ってるはずだし」
大きさ、温度、硬度、射出速度。少なくともこの四点は完敗している。精度に関しては競えそうではあるけれど、頻度がまるで違う。
フロンがハンドガン、マリンは機関銃、このくらいの差がある。おまけにロリフは同時にバババーっ! っと展開してまとめて精密に飛ばしくる。雑に面で攻めてくる。あれはたまらん。……あれが杖を持ったらどうなるやら。
「それに、彼女は足も速いからね。リューンよりよっぽど力強いよ、強化一枚なのに」
今のリリウムですら下手したら力負けするな──なんて考えていたら、急に眠気が襲ってきた。布団の中も温まってきた。明日も早いのでもう寝よう。
今日の湯たんぽは肉感がある。ギューッと抱きしめれば、この上ない安眠へと誘ってくれる。
「一度お相手願いたいところですが……一方的に打ち負かされると分かっていて挑むのも賢くはありませんわね」
こういう時に可愛くお願いされると私は弱い。頬をすり寄せ、耳元でボソッと、作ってっ──なんておねだりされたら、頷くしかない。




