第三百六十三話
私は安上がりな女なので、お腹が膨れてお風呂に入って、温かいベッドで眠ることができればそれなり以上に幸せでいられる。
なので見ず知らずの他人に対して打つ最初の一手も基本的にはこれだ。
ご飯をご馳走したり、お風呂でリラックスしてもらったり、安心して眠れる寝所を提供したりする。
それでだいたい上手くやってきた。ソフィアも、リューンも。リリウムはまぁ……最初寝袋生活だった気がするけれど、屋根はあった。
そしてこれが結構効くことを知っている。何せ一見堅物のフロンだって、一緒にお風呂に入れば心の垣根が取り払われる。早々に転移を明かしてくれるまでになるのだから。
のじゃにも効く。大層効いた。効きすぎた。
「ああぁぁぁぁ……」
濁点が付きっぱなしのババ臭い「あ」を垂れ流しながら湯船に肌色、エルフ色が浮かんでいる。髪が浸かっているだとか、お行儀がどうだとか、そういう野暮なことは言わない。
「ババ臭いというか、ババなのか」
「ぁぁ……ぁぉ、ぉぅぉ……」
「怖いよ」
暴言に反応を返すこともなく仰向けにプカプカと、呼吸器以外がだいたい浸水していることで苦しんでいるのではないかと心配になるが、顔色は喜色に染まり、全身からほんわかオーラを浮かべているので、単に幸せなだけなんだと思う。
広いお風呂は最高だ。無敵だ。気持ちはよく分かる。
お湯の対流でどこかに流れていきそうなそれを適当に引っ掴んで雑に引き寄せたり、面白半分でちょっと沈めてみても氷槍が飛んでこない。確定でいい、これはただの同類だ。私より筋金入っているかもしれない。
「気に入った?」
「ぉぁ……」
これが返事かどうかも定かではない。氷エルフにはお湯が効く。
当家は基本的にお風呂、食事、就寝の流れを取る。年少組在りし頃、ミッター君だけは食後にお風呂を使っていた。
なので、本日浴室を使うのは私達が最後。服を脱ぎ散らかし、身体も洗わず浴槽にドボンしたガキンチョに対して私が苦言を呈さなければ世界は平和だ。
私は偉いのできちんと湯浴みの仕来りを守る。お姉ちゃんですから。
「いい加減に身体洗ったら? 石鹸使っていいよ」
「おぉぅ……あとちょっとぉ……」
ようやく言葉が返ってきた。この家に客間なんてものはない。この寒い中拐ってきて、流石に一人ソファーで眠らせるわけにもいかない。
リューンに押し付けてみるのも楽しそうではあるが、今夜は湯たんぽにして同衾するのは決定事項だ。故に臭いのは困る。
(洗濯は明日するとして、寝間着どうしようかな。下着もないし……下着はいいか。寝間着はまぁ……何でもいいか)
子供服の在庫なんて物は抱えていないし、一晩くらいノーパンでも死にやしない。
「ふぅ……」
お風呂はいい。最高だ。今日はそれなりに冷えたので、私もしっかりと温まる。
──虎穴は爆破して見なかったことにしたくなる。藪は焼き払って見晴らしを良くしたくなる。
危険は犯したくない。リスクは取りたくない。蛇なんて無視して見えている木の実を拾えばいい。それだけで十分食べていける。
私は基本的にこんなだ。姫様とか、邪神とか、本来知ったことではない。
今はそれなりに課題が山積みだが消化は順調に進んでおり、新たな視点や刺激を取り入れる必要性は薄い。現状維持を継続する段階であったとは今でも思っている。
だが、過去にリスクを取ることで得られた物は確かに大きかった。
高位冒険者としての地位……は微妙かもしれないが、鍛冶に始まる多くの技術や私の手にあるべき神器、膨大な神力、そして目の眩むような大金。薬草採集をチマチマ続けていたって一生縁が繋がらなかったものばかり。
これまでの在り方を間違っているとは欠片ほども思っちゃいないし、だからといって節操無く他人の事情をキツツキのように突っつき回す態勢にシフトしようだなんて考えているわけでもない。
わざわざギルドの呼び出しに応え、じゃれ合いに付き合い、その上拾ってくるなんて、我ながら本当にらしくないとは思っている。
(でもまぁ……亀の甲より年の功、なんて言うもんね)
サイズの合っていないシャツを一枚身に着けるのみであどけない寝顔を浮かべて湯たんぽ業務をこなしているこの危険物、そのムカツクくらい可憐な見た目とは裏腹にかなり年を食っている。エルフの基準でかなりというのは、人種にとって伝説に近い。
私は学んでいる。年長者の意見は金言だ。ギースに助言された時はあれだけ気が進まなかった剣術も、身につけてみれば役立った。早速大活躍した。
剣術に限った話でもない。彼から受けた教えが間違っていたことなど、一度もなかったように思う。
二百年生きたギースでこうなのだから、四桁年生きているエルフに詰まっているあれこれの比類なさは私の想像の及ぶところではない。そしてこれらは通常店頭には並ぶことがないわけだ。
欲しい。腕の中に爆弾を抱えることになっても、これが欲しい。この縁を大事にしたいだとか──そういう風に言い繕うこともできるけれど。
(ピンポイントで全力封印されなければたぶん耐えられる。リスクヘッジはできているはず。《探査》で次元箱を見破ることができるかは、前もって確認しておくべきだったな)
結局私は打算で生きる。いつかはお師匠様のように、純粋な厚意で人助けができるようになりたいと……思えるかなぁ。どうだろうなぁ。
(それも明日か。よもや即寝されるとはね……)
後日再戦の段取りを取り付けて当面の安全を確保しようだとか、魔力の圧の正体について尋ねてみようだとか、色々考えていたのに全部御破算となってしまった。
これでも私達、互いの認識についてはさておいても、つい先刻まで殺し合いと称して差し支えのないじゃれ合いをしていた。間違いなく一撃一振りが致死性のそれだった。どうしてこの状況で爆睡できるのか、不思議でならない。
「これが狸寝入りだったら大したものだよ」
脳天気にスピスピむにゃむにゃ言っているのが憎たらしくてならない。魔力の圧からも暗殺の意思を感じられないが、これで内心虎視眈々としているのなら本当に大したものだ。守るより攻める方が気が楽、これもまた至言だね。
無事朝を迎えられることを願うだけ願い、浄化魔法で互いの瘴気を消し去った後に私も意識を落とす。
こいつはきっと、朝が早い。負けられない戦いがある。
「──三日、付き合って欲しい」
朝一から愛の告白をしているわけではない。覆い被さり、頬に手を添え、目を見つめてはいるけれど。
無事この瞬間を迎えられたことを嬉しく思う。早速窓を開けて朝日と共に祝いたいところだが、言質を取るまではお預けだ。今は逃亡を防がなければならない。
今更逃げ出すとも思えないけれども。
「ふむ。三日か」
「うん、三日」
三日間だけ、私のお人形になって欲しいと告げる。その間に、この圧を何とかする魔導具を作り上げる。
被験者に遊びに行かれては困るので、三日だけ私の言いなりになって欲しい。常に隣に侍ってイエスマンになって欲しい。敗北の対価としては、それなりに良心的なんじゃなかろうか。
「三食昼寝にお風呂も付けるよ。お仕事は私の研究に付き合うこと。痛いことはしない、どう?」
可能であればその先、私の企画の被験者となってもらいたい思いもあるが、今はまだ欲をかかない。
すべすべの柔らかほっぺに騙されてはいけない。これは長くを生きた優秀な地力を持った魔法師だ。計略での殴り合いで私が勝てるわけがない。作戦はシンプルにいく。
まずは三日でたらし込む。その成果でもって誠意を示し、ズルズルと滞在期間を伸ばしてもらって、そのあと身内に引き込むことができれば言うことはない。ボッチエルフだし、勝算はそれなりにあると思う。
「……風呂は毎日沸かすのか?」
「掃除も洗濯もするから常に水を張っているわけじゃないけれど、毎晩沸かすよ。残り湯になるけれど、朝も早起きするなら入っていいよ」
「ほぅ……! ほぅ、ほぉ……」
その辺、こいつはチョロいような気がする。お風呂が好きで、昨夜を思えば人の輪も好きそう。リューンやフロンと打ち解けられるかどうかに一抹の不安を残すものの、リリウムは平気そうだし、これを取っ掛かりにすれば……何とかならないだろうか。
いくら私でもこれまでの関係を全てぶち壊してまでロリノジャを選ぶなんてことはしない。何とかなって欲しい。
「ふぅむ……まぁ、よかろ。痛いことはなしじゃぞ?」
持っててよかったお家風呂。プニロリ裸婦像を手に入れた!
「……何をしているんだ、姉さん」
フロンの朝は早い。
今日も今日とて早起きしてきたフロンは、恐る恐るリビングに顔を出すなり言葉を失った。想定内の反応ではある。
「調べてる」
「……そうか、調べているのか」
「うん」
「……そうか」
友人がロリっ子を全裸にひん剥いて中空に座らせ、舐めるような距離でその肢体を弄んでいれば、その正気を疑いたくなる気持ちも分かる。
だが他人の目はないので気にしない。ぺたんこなお胸を、ナマイキに引き締まったくびれを、サラサラの髪を、素手で遠慮無く撫でさすり、神秘のヴェールを解き明かしていく。
冬にすることでもないが、これは氷エルフだ。きっと寒いのは得意だろう。震えてもいない。
「やっぱり胸からが一番強そうだ。これ、生まれつきとかじゃないんだよね?」
「そうじゃ。もう七百年近く経つかのぉ」
「なるほど」
この世界の心臓はマジカルハート。その鼓動と魔力とは割と密接に関係しているような気がしている。
乳房の脂肪に魔力が詰まっているというわけではない。巨乳の魔力無しだって居るし、そもそも性別問わずに魔力は使えるし、何ならスライムやゴーレムだって使う。
「魂は心臓に宿っているのかな」
人は心臓を失ったら魔法を使えないのだろうか。興味は尽きない。
「脳という説もあるの」
そのミステリを解き明かすのは後だ。とりあえず一晩明かして元気を取り戻しつつあるこの魔力の圧は、主にまな板から漏れ出ている。
「……事案ですわね」
「自覚してる」
リリウムの朝も早い。黒猫棒片手に恐る恐るリビングへと顔を出した私の使徒は、そこが修羅場でなかったことで安堵の吐息と共に警戒を解いた。
ただそこにいるだけで戦の気配を漂わすこの圧を何とかしなければ、自宅であるというのに皆の気が休まらない。頑張ろう。
リビングでやるなという話でもあるのだが、エルフ工房に連れ込めば二人が作業できず、寝室や鍛冶場に二人っきりで幼女をひん剥いていたら、その事案度は擁護しようのないレベルになってしまう。
潔白を証明しなければならない。故にリビングで、堂々と、照明の白日の下でロリフをひん剥く。
「ちょっとお尻向けて。足場あるから」
「おう」
ポーズの変更を要求すれば、素直に応えてくれるマリンちゃん。もうすっかり足場にも慣れた。
しばらく眺めていたリリウムは深い溜息と共に食堂へと向かってしまったが、フロンは棒立ちのまま、珍しく身体を震わせて泣きそうになっている。怖くないよ。
「尻からも漏れてるな……」
「その言い草には引っかかるものがあるのぉ」
当人達──少なくとも私は至って真面目だ。四つん這いの幼女の尻肉を両手でムニッとかき分けているのも、あらわになったあれもこれもをじっくりと観察して、手元の書類に黒を増やしているのも。全て必要なことだ。事前調査を怠ってはいけない。
その後も素直な裸婦像にあれこれリクエストを出し、頭頂から尻穴から足の爪先まで、余すことなく調べ抜いた。
「マ、マリン様、彼女も悪気があるわけではないのです。その、これは、些か好奇心旺盛なところがありまして……」
モデルを卒業したエルフにワイシャツを一枚放り、書類片手に今後のビジョンを明確にしている中、フロンだけが必死になっている。
ここまで低姿勢な彼女というのも珍しい。このままでは土下座に行き着いてしまいそうだが、アワアワしているフロンとは対照的に、隣の幼女はまるで気にしていない。
どちらかと言えば、上機嫌だ。出会ったその日に湯たんぽ扱いされ、二日目で尻肉をかき分けてきた相手とソファーで隣り合って、それこそゼロ距離で同じ文面を目で追っているこの無邪気な姿の裏で怒りを押し殺しているのだとしたら、本当に大した役者だと思う。
感情というものは色々なところから伝わってくる。触れているふとももとか、肩とか、鼻歌とか、雰囲気とか、魔力の圧とか。
その全てを意のままに操れるというのであれば、ファーストコンタクトの時に余計なプレッシャーを出さないでおいて欲しかった。それなら話はここまでややこしくなっていない。
「気にしておらぬ。フロンとか言ったかの?」
「は、はいっ!」
背筋ピシッ! 面接に来た女子大生みたいになっている。私ならこれだけで合格あげちゃう。
「妾は己が意思でこうしておる。暴れるつもりもない。そう固くなるな」
「ひゃ、ひゃいっ!」
暴れない宣言はありがたい。そんなことよりも、フロンのこんな一面を知ることができたことの方が嬉しいかもしれない。これだけでも決闘した甲斐があった。




