第三百四十八話
交流を怠ってはいけない。
そもそも、私はあまり他人の事情に興味がない。
南の帝国でお姫様がなぜ狙われていたのか、その後どうなったのか。
北の王国は腹の底で何を企んでいたのか、この後どうなるのか。
その隣国はまともな国であったのか。喉元を過ぎれば本当にどうでもよくなる。
友人達の実家のあるハイエルフの国についても、使徒の家族や過去に何があったかも、あまり関心がない。
別に全く気にならないとか、まるっきり興味がないと言えば嘘になるのだが……わざわざ根掘り葉掘り問いただそうとは思わない。その程度のもの。
リューンがなぜエイフィスを嫌っているのかとか、リリウムの地元がどこなのかとか、そもそも二十年もの間、皆は何をしていたのか──なんてことも。
これはおそらく、生来のもの。
だからと言って、貴女達には興味がありません、みたいな態度を取っているのも問題だ。
リューンはお酒が嫌い、フロンはお酒好きだが弱い、リリウムはお酒が強い。私は裏でズルをしている。こんな些細なことから始めてみるのも、悪くない。
──朝、目が覚める。
私はそれなりに朝が早い。日の出と競い合い、大抵は半歩分早く起床する。
リリウムも冒険者らしく朝が早く、ペトラちゃんと並んで早起き三人衆。フロンも早い方ではあるが、これは努力して起床しているのであって、平時は惰眠にならない程度にしっかりと睡眠をとっていることが多い。
リューンは起こさなければ延々と眠っている。地球の感覚で言えば、四時起き五時起き七時起き十二時起き……といった感じだろうか。
昔のリリウムはフロンよりもリューンに近かったが、それでも毎日のように昼まで眠っているということはなかった。
(……今日は私が一番か)
寝室にはベッドが四台。こういう時はリューン、私、リリウム、フロンの並びで使うのが常であるのだが、それも規則として定めているなんてことはない。隣のベッドでフロンが眠っていることも、すぐ隣に誰かが寝ていることもある。
私も別にリューンと四六時中同じベッドで寝ているというわけではない。大抵は一人でベッドに入って、朝起きたらなぜか隣に入り込んでいる──というのが、年少組を含めた八人中三人にはよくあったというだけで。
身体を起こし、物音を立てずに伸びをして、掛布から這い出れば活動開始。一人であれば寝所に未練は残らないのが楽でいい。
これでも私はシティーガールなので、寝ている間は無防備だ。闖入者の来訪は基本的にノーガード。これもそのうち是正できるようにならなければならないだろう。
(まぁいいや。お茶淹れよう)
夢の中の年長組を起こさないように気を使い、物音を立てずに寝室を出る。手を抜くとリリウムが勘付いて飛び起きてしまうので手は抜けない。
冒険者らしいというか、野生っぽいというか。羨ましい限りだ。
寝起きに身体を動かすことは余程の事情がない限り続けている大事な日課の一つだが、その内容は時期によって大きく異なる。
柔軟は欠かさない。足で自分の首を刈れるようになっているこの軟体ボディーをみすみす手放すのは惜しい。
股割り、I字、なんでもござれだ。新体操部の練習を見学する機会をもっと作っておけばレパートリーを増やせていたかもしれないのに、残念でならない。
その後は素振りをする。昔は十手の割合が十だったが最近は二か三程度まで減り、普通に手足をブンブン突き出しながら頭を回していることが増えた。
指の握りはどうすべきだろうか。どこで当てればダメージが大きいだろうか。逆にどこを当ててしまうと被ダメージが大きくなってしまうだろうか。もっと効率よく蹴ったくることができないだろうか。急所を突くには。パンツ丸見え。色々考えながら埃を立てて暴れ続ける。
本気でやると風切り音で人を起こしてしまうので、用いる膂力については気を使わなければならない。
(これもどこかで修行をつけてもらいたいところだけど……)
空手とか、古武術の道場みたいな施設との邂逅が待ち望まれる。何千年の歴史を吸収したい。
この間にお湯を沸かしてお茶の支度を──といかないのが、このお部屋の唯一残念なところ。
洗面を済ませ、汗を拭い、運動着から部屋着に着替えた後に、お湯を頂きに食堂まで向かう。
コンロはある。火石も若干残ってはいる。水は自前で出せる。当然鍋だって綺麗に洗浄をした物を持っているので、《次元箱》内で沸かしてしまえばわざわざ外に出る必要はない。
火気の使用が禁じられているのはこの部屋に限っての話。謎空間の《次元箱》はその規則の外にある──と強弁できなくはないと思う。
それでも私は外へ出る。いざというときは四の五の言っていられなくなるが、ルールはルールだ。抜け道は探すに留めておいて、普段は船の法に従っておくのがいい。
大した手間でもないし、毎朝笑顔で可愛く挨拶をしておけば、食堂利用時にデザートのサービスが見込めるようになる。
柑橘が一切れ二切れ増えるだけでも嬉しい。打算で生きるのだ。船のお財布以外は傷まない。
「さて、今日は何をしようか」
自室に戻ってしまえば机に向かってお勉強をするくらいしかやることがなくなるのだが、あまり根を詰めていると飽きる。進展が見られないので余計にそうなる。
とりあえずもらってきたお湯を用いて一服入れながら一日の予定を立てることも、ここ最近のルーチン。
リューンやフロンは緑茶を嫌い、リリウムは割りと何でも美味しく飲む。私も好みこそあれ、よほどのゲテモノでない限りは選り好みしない。
とりあえず一度口にしてみなければ分からない。ラベンダーっぽい香りのしょっぱいお茶や、無味無臭でやたら身体が冷えるお茶、砂糖なんて一欠片も入れていないのに甘味顔負けの洗練された甘さを見せるお茶というものもある。
これも泥水のような見た目と匂いで忌避していたら到底知り得ることがなかったわけで。きっとブレンドしてみれば大金に化ける、あの甘味茶は。
残念なことに既にそれの在庫はないが、あれはルナに居れば割りと頻繁に見かける機会がある。少し多目に仕入れて、冷凍庫に突っ込んでおこう。
「起きてこないね、あのお嬢……」
ヤツが構ってっ! と甘えてくるから学習道具を並べていないというのに。構えと言っても何して遊べと言うんだか。
(いい加減何か作るかね)
以前南大陸へ向かうに当たって五人で船に乗っている時に、思い至って即却下した遊具作り。あの頃は教育的事情でお蔵入りしたような気がするのだが、今の状況はともかく、当時と同じで魔石状況がよろしくない。
正直久しぶりに麻雀したいとか思わないでもないのだが……ルールを仕込んで、役や点数計算から──めんどくさいな。
(麻雀はないな。でも囲碁とか将棋とか私がよく知らないし……リバーシ別に好きじゃないし)
トランプというのも難しい。魔石カードを作れば遊べなくはないが、薄くすれば手を切る恐れがあり、厚くしてしまうとシャッフルできない。
おまけにガチガチでしならないのでちょっとしたことで割れてしまう。それでまた手を切る恐れが──。
「この世界の遊びとか、何にも知らないな」
遊んでいる場合ではなかった。今もそんな場合ではない。それにしたって……随分とつまらない人間に成り下がっている。
お茶やお酒を楽しみ、神話を調べ、甘味に舌鼓を打ち、オーガを解体し、雪球を投げられ、ドラゴンや邪神を討伐する。
生活に直結しない事柄の優先順位はとても低い。趣味が本当に読書と化している。
昔は何をして余暇を過ごしていたのだったか、もうあまり思い出せない。
気落ちしかける。気にしても仕方がないとはいえ、これは良い朝に陥っていい気分ではない。
「……荷物の整理でもするか」
気を取り直そう。何がどれだけ残っているかも正直把握しきれていない。この機会に所持品も全てリスト化してしまおうか。
まず目につくのは服の山。次に目につくのが樽の山。
部屋の隅に綺麗に並べていた私の子供達である刃物シリーズも、《次元箱》の拡張と共に隅から部屋の中心へと追いやられて邪魔になっている。
そして急いで放り込んだまま触る機会のなかった大金貨がギッシリ詰まった木箱の山。入口付近に放り込まれてそれっきり。誰に見せるわけでもないとはいえ、整理整頓のできないダメ女呼ばわりされても言い訳できない。
「面倒くさいなぁ……そもそもどれが私の私物なのか、リューンに聞かないと分からないぞ」
下着は分かる。エルフの私物も混ざってはいるがほとんど全てが私の物で、山篭りの最中に使い潰された。いくつかは焚き火に放り込んで供養しなければならないボロ布と化している。
だが服はほとんど分からない。大抵はリューンが買い込んできて、一度二度袖を通したら私に押し付けられている。害虫がいないので虫食いなんぞとは無縁のクローゼットだが、それでも空気に晒しっ放しになっていれば風化もする。
これが埃の原因ともなるので保管方法を見直す必要がありそうだ。手っ取り早いのはタンスだが、やはり衣服用のプレハブを工面すべきかもしれない。
「適当に木で枠組みを作って……薄くした魔石でも貼っ付けておけばいいような気もする」
ただそれだと縦横高さのうちの高さが無駄になる。高さを活かそうと思うと、もう家を丸々収納した方が便利そう。
「学校の校舎みたいな、教室を上にこう、積み上げて──」
これはこれで面白そうだ、管理も楽だし。
(っていうかここ、本当に空気どうなってるんだ……? 特に薄くはなっていないと思うんだけど……)
空気の量が一定のまま内部空間が拡張されたら酷いことになるのは想像するまでもないのだが、ここは普通だ。
便宜上《次元箱》呼ばわりしているだけで、魔導具の次元箱とはまた理が違うわけだから、気にしても仕方がないといえばないのだが。
「今更か。無から空気が生まれたから何だって言うんだ」
とりあえず一つずつ片付けよう。まずは衣服だ。全て船室へと持ち帰る。
いるもの、いらないもの、誰のものか分からないもの。適当に区分けして畳んで積み上げていく。
こういうのは思い切りが大切だ。いつか着るかも使うかも……なんて考えて残しておいた物は、大抵ゴミ袋行きする瞬間まで日の目を見ることがない。
ちょうど良い所に空っぽのまま能力を持て余している魔法袋が三枚ある。当面はここに放り込んでおけばいい、なんて考えながら作業を続け、しばらくした頃にお嬢が起きてきた。
「おはよう」
朝の挨拶はおはようだ。顔を向け、声量を抑えて声を掛け、また顔を戻す。
「おはようございます。こんな朝早くから旅支度ですか?」
そう見えなくもないが、今すぐどこかに出かける気はない。
「ただ整理してるだけだよ。何を預かっているのか本格的に分からなくなる前にね」
リリウムから預かっている裁縫の道具は一箇所にまとめてあるのですぐ分かる。白黒大根入りの樽が目印だ。
これもいい加減に樽から取り出して畳んでしまった方がいいかもしれないが、今はそれどころではない。
「これ、全てリューンさんの物ですか?」
「全部が全部じゃないと思うけど、ほとんどそうだね」
「……呆れましたわ」
リューンは私が無限に物を預かれると思っている節があるが、決してそんなことはない。
箱の拡張は魔食獣や邪神といった大物を討伐しないことには大した効果が見込めない。今余裕を見せているのは全部牛のお陰だ。
だからと言って、取捨選択もなしに際限なく服を増やされても困る。ないのはもっと困るが、一人で何十着も持ち歩かれても困る。
下着やタオル、それに戦闘服ならまだしも、全て街中で着るようなお洋服だ。所有権をいちいち移し替えるのも面倒なことこの上ないのに。
空間が大いに広がっていることは伏せておいた方がいいかもしれない。少しくらいいいじゃない! の積み重ねがこの惨状を招いている。
昔あれだけケチンボだったリューンちゃんは、盛大に散財するようになってしまいました。諸行無常とはこのことか。
この世界は古着屋も大変に繁盛している。まとめて持ち込めばいい値段がつくかもしれない。なんてったって私のお古。ソフィアに売りつけてやれば間違いなく素寒貧にできる。
私の私物と不要な物は大体選別が完了したが、こうしてみるとよく分かる。
「部屋着が足らんな」
私の普段着が思いの外少ない。ヨレヨレのTシャツに短パンみたいなラフなヤツが。コンビニに向かうのは乙女的にナシなラインの楽なヤツが。
リリウムスタイルの運動着はいい加減に寿命だ。古着屋ではなく焚き火に放り込んで供養する必要がある。
あれだけ山を転がっておいて、よくぞ持ちこたえてくれたものだね。
「サクラは……存外まともな金銭感覚をしていますのね」
「存外って何よ」
服の量を呆れた顔で眺めながらお茶を飲んでいたリリウムが失礼なことを言い出した。
「いえ、色々と高価な嗜好品も購入していますし。武具だって買うだけ買って使いもしないではありませんか」
「私が趣味でお金使うのは本とかお茶っ葉くらいなものでしょ。武具は研究用だから必要経費。使わないんだから傷むこともないし、いらなくなったら売ればいいんだから」
「まぁ、そうかもしれませんが」
自覚がある。私の製作物ははっきり言って地味だ。質実剛健実用本位。お手本なしに鎧なんて作ったら、のっぺら坊みたいなツルンツルンしたドラム缶が出来るに決まってる。溝なんて彫って模様を設えたところで砂が溜まるだけだ。機能上必要ない。
弟妹達に作ってあげた武具も、フロンの杖も、リューンやリリウムの剣や猫棒ズだって装飾はほとんど施していない。一番派手なのが私の『黒いの』になるだろうか。
だからアクセサリーの類だけはこの世界のトレンドを把握するためにわざわざお城の夜会で調べあげた。これも日の目を見る機会は全くないのだが、別にお金を払って買ったわけじゃない。原価は無に等しいので惜しくもない。
「何で女は着飾るんだろうね」
「……異性へのアピールでは」
真理だね。なら私には必要ない。
「──あら? サクラ、それは……?」
魔法袋に仕分けした物を突っ込んで一息つこうとしたところで、お嬢が何かに気がついた。
「これ? 南で使った仕事着だよ」
懐かしの燕尾服。すっかり畳み癖のついてしまったそれをじゃーん! と広げてみせる。
カッチリした造形の割に存外動き易く、防汚を付与した魔導具にできた暁には戦闘服に──なんて考えていた代物だ。
馴染みのあるワイシャツっぽい白いシャツに同色のタイと手袋、灰色のウェストコート、紺のテールコートにスラックス、黒い革靴。まさに礼服。
全四着。昔着ていた私のコスプレ軍服とは違う、本物のオーラが出ている逸品。
「……サクラ。お、お願いがあるのですが」
神妙な、真面目な顔をしてお嬢が口を開く。もっと可愛い顔で媚びて上目遣いで見つめて欲しい。
「何さ」
「ここ、これ、き、着てみてくださらない?」
声が震えている。
「別にいいけど」
お安いご用だ。なんてったってタダだ。
「──似合いますわね」
「……似合うな」
着替え中にフロンが起きてきた。部屋着を脱ぎ捨て真っ裸に下着、ワイシャツに靴下、スラックスにウェストコート、テールコートと布が増えるごとにお嬢のテンションがダダ上がりしていく。
革靴に足を通して髪をまとめ、手袋まできっちり身に着ければあの頃の思い出が蘇ったり蘇らなかったりする。数日苦楽を共にした私の戦闘服姿。食欲を抑えるのが大変だった。
「似合う? それは嬉しいね」
褒められれば私も嬉しい。メロンパンを指輪状にして左手に嵌めれば、サクラちゃん礼服モードの完成だ。十手は下げていない。
お礼にお嬢様方にお茶を淹れて差し上げたりして。ソフィアはこういうの好きそうだったが、リリウムのツボにも入ったようだ。脳内でキャーキャー言っているのが肌に伝わってくる。
「お茶をどうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「何か御用の際は遠慮なくお申し付け下さい」
小さく軽く、フワッと微笑んでみるのだ。好感度が数値化できれば、リリウムのそれは凄いことになっていると思う。メーターがギュンギュン回っている。ガソリンスタンドみたいに。
上へ参ります──なんてふざけてみたい気分になるが、まるで通じないので止めておいた。ただの変な子だ。
(手袋してても気力は通るね……伝導支配のお陰かな)
素手じゃないとダメかななんて思っていたが、よくよく考えてみれば十手の近当てで貴族さん家の門を吹き飛ばしていた。この布はセーフな布なのかもしれない。
これを白黒大根レベルのマテリアルで再現してくれれば、朝昼執事モードでお茶のサービスをしてあげてもいい。夜のサービスは別料金だ。
名残惜しまれながら部屋着に着替え、三人でまったりしているところにリューンが起きてきたが、礼服は既に畳んで《箱》の中。またしばらくの間、日の目の見ることはない。
ギャンギャン騒いで駄々をこねられてももう着ない。着脱が面倒なのだけが難点だね。




