第三百二十三話
私の名もなき女神様は、少なくとも私との応対時には人型に近い形をしていたのでそういうものだと思っていたのだが、神様というものは伝承や童謡によれば、必ずしもヒューマンタイプをとり続けているわけではないらしい。
この認識については、うちの女神様の姿を知っているフロンも何の疑問も持たずに当たり前のように捉えていた。北大陸特有というわけでもなく、世界のどこでも、どういう話でもそういうものだ、と。
神話というものには今生の方が前世よりも詳しくなっている自覚があるが、まだまだ知らないことがたくさんある。うちの女神様も、実は猫だったり馬だったりしたのかもしれない。ないと思うけど。
この世界には神がいる。神の如き腕を持つ料理人だとか、強い剣士が剣神などと呼ばれているなんていうような比喩的な話ではなく、現実にそういったものが存在していることを私はよく知っている。
天使と会ったことはないけれど使徒はすぐそこにいるし、いわゆる悪魔属に分類される魔物というものも普通にいる。ここは自称妖精のエルフやイメージ通りのお酒大好きドワーフと当たり前のように肩を並べて生活可能なメルヘンワールドだ。今更邪神の一つや二つで驚きはしない。
それが直近の脅威として立ち塞がっている件に関しましては、些か閉口している次第でありますが。
「元より、伝承の一つとして存在は確実視されていたとのことだ」
ガルデはそれなりに歴史のある国であるらしく、宝物庫はそれなりの規模で、表に出てこないどころか王族ですら見たことのないような宝や資料の一つや二つは当たり前のように存在している。
そのガルデが持っていた北大陸の歴史と伝承──古い御伽話一覧のような書物の中に、件の牛についての話も載っているらしい。
むかしむかし、わるい牛とみんなでがんばってたたかいました。たおせなかったので山にふういんしました。たのしかったです、まる。みたいな感じの。
それらと件の地下組織が崇め奉っていた牛の特徴とがおおよそのところで一致したので双方の情報を照らし合わせてみたところ、その存在と復活がいよいよもって確実視され始め、こうして面倒な手紙が舞い込んでくることになったわけだ。
「……倒してこいって?」
無言でリューンが手渡してきた綺羅びやかな金刺繍の入った豪勢な便箋。これにもすっかり馴染み深くなってしまった。
受け取ってひっくり返せば、しっかりお爺ちゃんの署名が入っている。ここしばらくで何度も見てきた筆跡だ。
中身に目を通すまでもないのだが、そういうわけにもいかない。ナイフで封蝋を剥がして目を通せば、頭痛が一層加速する。
時候の挨拶なしに本題からザックリと切りだされたその手紙。
要約すれば──牛を完全復活させてしまうとマズイ。不完全な状態で封印を解いて、被害を最小限に留めて滅ぼして欲しい──といった内容になる。
無駄な修飾は皆無だ。冗談を言っているわけではないのが、その事態の深刻さが、報酬に提示されている冗談のような桁から伝わってくる。二桁兆。思わず三度数え直した。零めっちゃ多い。
頭が二なので、大金貨で工面すれば二十億枚になる。十兆では私が断るやもと見て、急遽報酬を雑に倍にしたような意思が便箋から見え隠れしているのは、おそらく気のせいではない。
(用意できるのかな。できたところで数えたくないし、魔法袋に入るような量でもないし、箱詰めするにも大仕事だし、下手したら船室にも穴が開きそうだ。私が船長なら追加料金を取るね)
船が沈没するようなことにでもなれば、未来のトレジャーハンターの聖地となるかもしれない。それはそれで楽しそうではあるが、我が身を削って夢をばらまくこともない。
そもそもそんな量の金が産出されているのに、金貨が貨幣として通用するんだろうか。この世界でも、貴金属であることに変わりはないんだけど──。
「それと……自己判断で申し訳ないのだが、預かってきた物がある。確認してくれないか」
ここまでなら、報酬には惹かれるけれども──正直依頼としては請けられない。
私が請けた依頼はスタンピードの鎮圧と精々カーリの清浄化までで、危ない神を殺してこいとか言われていたら間違いなく、ご縁がありませんで……とお家に帰っている。最初に知らされていれば、そもそもルナから出ようとしなかったに違いない。
第三迷宮の終層で死神と演じた戦いは文字通り死闘に近かったし、第二迷宮の後にはそのまま死んだ。死龍……不死龍にだって最初は苦戦した。
神々の強さはともかく、彼らが生み出した魔物や産物は十二分に脅威だ。私は私の命を脅かす存在が怖い。
冒険なんてしたくない。虎穴に入らずんば……ということも分かってはいるので、しっかりと準備を整えて迷宮に入ったりはするけれど。
いきなり牛を倒してこいなんていうのはいくらなんでも度が過ぎている。
しかしながら、何事にも『だけれども……』ということはある。枝先に行かねば熟柿は食えぬとも言う。秤が釣り合いさえすれば、私とて動かないわけではない。
「預かってきたって何、おみやげでもあるの? なになに?」
お茶っ葉は頂いたが、まだあるのだろうか。
「おみやげはおみやげなんだけど……円盤、かな?」
リューンは円盤だと言う。フリスビーにでもするんだろうか、わんこは喜ぶかもしれない。
「重石、でしょうか」
リリウムは石だと言う。投げて遊ぶんだろうか。リューンは喜ぶかもしれない。
「強いて言うならば、壁だろう」
フロンは壁だと言うが、そんなもん誰が喜ぶと言うのだろう。
よく分からないが、とにかくろくでもないものを持ち帰ってきたらしい。
防音魔導具と《結界》による阻害を全て切り、快適空間から灼熱のテント外へと足を踏み出す。
アホほど暑いというのに、その辺を多くの冒険者がうろうろしている。涼める集会所があるというのに、ほとんどが食堂ではなく拠点の外れ──何もない空き地方面へと足を向けている。
三人に案内されて、私もそれに続く。今日も暑い。茹だる。
リューンは円盤だと言い、リリウムは重石だと言い、フロンは壁だと言ったが、私が受けた印象はUFOだ。
あるいは家か、遊牧民の丸いテントか。メロンパンが一番近いかもしれない。
表面張力で球体になろうとしている水滴のような……丸みを帯びた岩山。風雅な表現をすれば、葉に滴る朝露の──みたいな。
だが色はくすんだ灰色をしていて、そんな清廉さとは無縁だ。アダマンタイトのギルド証を取り出して比較してみれば、色合いや色味はまるで違う。まるで輝きのない、廃墟のような色。
「……それで、これ、何?」
そんなよく分からない物体の周囲を、大勢が取り囲んでいる。海辺に打ち上げられたクジラに群がる野次馬のようだ。
「分からん」
分からないらしい。フロンに分からない物が、私に分かるわけがない。
「なんかね、大昔の戦いで使われたらしいんだけど……」
「神器である──ということ以外、何も分かっていないのです」
「……話だけは聞くよ」
ここで癇癪を起こすようでは、ガルデのおばさん神官と変わらない。たぶんあいつも黒幕の一人だ。邪神官だ。
この三人が──リリウムが、私の前にこれを持ってくることに意味がないわけがない。
「おい、エレノアを呼んできてくれ」
「行って参ります。おそらくその辺にいるでしょう」
「私も探してくるよ、たぶんペトラ達と──」
フロンの号令を受けて即座に二人が走り出す。説明に適した第三者がいるのだとは思う。
だがそんな部外者を、この場で私の前に立たせないで欲しい。今目の前にあるこの未確認物体は、ある意味霊薬や危険薬以上の劇物だ。
近寄るだけで、触れただけで、表面を撫でた空気を吸うだけでただちに死亡するなんてことにはならないと思うが、そこには何の保証もない。
多くの人間にとっては無害でも、私なら即死するなんてことは十分にあり得る。
(神域の崖みたいに、神様の影響下に置かれ続けたことで偶発的に建物の一部が神器化したとか、そんなんじゃないのかな……)
あれも持って帰らなくてはいけないが、現状あれは《次元箱》に入るような大きさをしてないし、追加料金を払ったところで船に乗せてももらえない。
崖の周囲もある程度までは掘り返してみたいし、そのためには牛を何とかしないといけない。
その一助に聖剣や魔剣を寄越されるよりはマシかもしれないが、だからと言ってこれはない。ないない尽くしだ。
(お城なんかが神器だったら私とっくに死んでるんだよね……アイオナの壁とか、大丈夫だったんだろうか)
──そうだ、アイオナだ。ちょうどあんな感じ、あの外壁のような、というのが形状だけなら最も近いかもしれない。
下が水場なら大型プールのアトラクションの一つとして使えそう。砂場でも滑り台としては合格点か。子供が滑るには些か高すぎる気がしないでもないが、アスレチックなら珍しいことではない。
「随分と大きいね。これが入る魔法袋って相当じゃない?」
高さは三メートル以上は優にあり、おそらくその直径は十メートルを越えている。
返事を待たずに垂直に飛び上がり、上空から眺めてみれば──。
「あー、あれ何て言ったっけ……真実の口、だったかな」
映画でも観光地でもお馴染みの、有名過ぎる彫刻。
廃墟のようなその雰囲気、また表面を覆っているくすんだレリーフから、どことなく顔があるかのような、そんなイメージを植え付けられる。
(あれは何て言ったっけ……趣味なんたら現象……だったと思うんだけど)
点が三つあれば顔に見えるとかいうあれだ。お仏壇とか怖かった。
「しっかし……神器ねぇ……」
本当に何の力も感じない。ゴミにしか見えないんだけど。




