最後の戦い 1
秋の盛りを過ぎたころ、無事に北部を平定したリシャナは王都ルナ・エリウに戻ってきていた。一部部下をフラムに残してあるので、定期的に情報が入ってくるはずだ。なお、ここに至るまでヘリツェン伯とは接触していない。一度、リシャナが北方を完全掌握したころに面会依頼があったが、断っている。
「よく戻った、リシェ」
「兄上」
エントランスまでヘルブラントが迎えに来ているのを見て、リシャナが何度か瞬いた。いつも眠たげに半分眼が閉じているリシャナは、目を見開くということが滅多にない。正直、彼女の澄んだグリーンの瞳に見つめられるのはちょっと怖い。その目で見るな、と言った王太后の気持ちがわからないでもないのだ。
眠たげ、と言ったが、怜悧な美女に育ちつつあるリシャナは、眠たげと言うよりは不機嫌そう、とか物憂げな雰囲気に見えるようになってきた。ため息でもつけば完璧だ。
「北方の制圧、ご苦労だったな。さすが俺の妹」
「一応めどはつきましたが」
ヘルブラントはリシャナの肩を組むと、顔を近づけてささやいた。
「残念だが、まだレギンの貴族が残っている」
「報告は受けています。ですが、北方ではもう雪が降ります。雪が降るまでに、と言ったのは兄上ではありませんか」
「まじめか!」
リシャナは兄からの命令に背かないように帰ってきただけだ、と言い張る。リニは苦笑した。だが、北方が安定した以上、リシャナが兄嫁に顔を見せないのは不自然なので仕方がない。
「北方で雪が降るということは、さらに北部にあるレギンはすでに降雪があるのではありませんか。帰ることができるのですか、彼らは」
「……コーバスも同じようなことを言っていたな……」
「でしょうね」
遠回しに雪が降る前にたたき出せばよかったのだ、と言われたヘルブラントは遠い目になった。リシャナがそれを言い訳に王都にやってきたのだから、ヘルブラントにできなかったわけではないと思う。まあ、実際に実行できるかは別問題なのだが。
さて。そのレギンの姫君に、リニはリシャナの供として顔を合わせた。リシャナが騎士の礼を取る。男装だから、女性のあいさつがそぐわないのだ。
「お初にお目にかかります。ブローム伯爵リシャナと申します。挨拶が遅れて申し訳ありません」
「初めまして。レギン王国から来ました、アイリ・イングリッド・フォーセルです。お勤めだったのでしょう? 若いのに、すごいわねぇ」
ルーベンス公爵の言う通り、アイリは美しい姫君だった。二十歳前後と見え、自分より背の高い夫の妹を見て楽しげに笑った。
「私はリル・フィオレの王妃になったけれど、こちらのことをあまり知らないから、教えていただけると嬉しいわ」
「私も詳しいわけではありません」
相変わらずの真面目な返答である。アイリも困ったように「私よりは詳しいわよね」と首をかしげている。義理の母となる王太后に期待できない以上、アイリはリル・フィオレの女性王族であるリシャナと仲良くしておきたいだろう。この人も、別の意味で役に立たない可能性はあるが。
「そうだな……リシェは頭がいいな。あと、女性にもてる」
「もてるの」
「それは私も初耳ですが」
助けを求めるように妻と妹に視線を向けられたヘルブラントの回答に、アイリもリシャナも戸惑ったようだ。だが、もてるのはわかる。線の細い中性的な少年がいるような雰囲気なのだ。年を経るごとに女性らしさは出てきているが、全体的に引き締まった体つきなのであまり目立たない。こうしてまじまじとリシャナを見ていると、ユスティネから鉄拳が飛んでくるので控えている。
「……俺をよく助けてくれるということだ。二人とも、できれば仲良く頼む」
「もちろんですわ」
「善処します」
リシャナは気が強いが、アイリも理不尽な性格ではないようなので、衝突することなどはなさそうだ。多分、仲良くできるだろう。
ヘルブラントの言う通り、アイリの婚姻に伴ってついてきたレギン王国の貴族が何人か残っていた。リシャナはできるだけ彼らと顔を合わせないように引きこもっていた。とはいえ、彼女は軍務を預かっているので、引きこもり切ることができない。ついに軍務卿に任じられてしまったので、本当に軍事を掌握してしまった。
アイリ王女がリル・フィオレに嫁いだのです。今後の関係強化のために、リシャナ王女はレギン王国に嫁ぐのはいかがですか。
「と言うようなことを言われるのですが、何とかなりませんか」
「お前、相当怒っているな?」
定期的に開催される、ヘルブラント、リューク、リシャナの会議の場で開口一番にリシャナが言った。基本的に人の話を聞いていることが多い彼女がここまで強固に主張するのは珍しい。ヘルブラントの言うように、かなり怒っている。一度二度ならまだしも、リニが一緒にいるときだけで十回近くは言われている。
不機嫌そうに見えるが裏腹に別に機嫌が悪いわけではないことが多いリシャナも、今回は本気で機嫌が悪い。ヘルブラントについているシームがリニに目配せしてくるが、これはどうにもならない。なんとなれば、リニたちも怒っているからである。
「合理的に考えてありえませんよね。彼らはこちらに何を出してくれると言うんですか。利益も理もありません」
きつい! きついが、事実である。妻の生国を酷評されたヘルブラントであるが、事実なので苦笑するしかない。
「口だけだ。実行する力はない。お前が強固に断れば実現しないさ」
「すでに論破しております」
「リニ!」
一応報告がてら口をはさむと、リシャナの怒りがこちらに向いた。背後に立っているので、リシャナは振り返る。リニは彼女の肩に手を置いた。
「他に言う相手がいませんから、姫様に申しているだけですよ。陛下に怒っても仕方がありません」
「……」
むっとむくれながらも、リシャナは引いた。こうした子供っぽいしぐさをあまりしなくなったので、ヘルブラントとリュークが驚いたようにリシャナとリニを見比べていた。リシャナがきまり悪げに視線を逸らす。
「仲がいいな、お前たち」
なんと答えればいいのかわからず、リニは黙って微笑んだ。リシャナは「悪くはありません」と無難な答えをする。リニはまだヘルブラントの元から出向している形なので、ちょっと反応に困る。
「で、話を戻すが、お前を嫁にやる気も、婿を取らせるつもりも今のところはない。悪いが、戦いが終わってからだな」
「承知しております」
場合によっては一生結婚できないだろうが、それでいいのだろうかと思わないでもない。だが、リシャナの結婚は本当に難しい問題なのだ。
「先にリュークだ」
「確か、南部から突き上げを食らっているのではありませんでしたか」
「エルヴェス伯爵の次女がいい感じだぞ」
「強硬派でもなく保守的すぎず、よいのではありませんか」
「娘自身も機転の利くようだったな。リシェを見慣れていると、容姿は平凡だが」
「可愛らしい方でしたが」
「お前、たぶん同じくらいの年だぞ」
「そうでしょうね」
「ちょ、ちょっと待ったぁ!」
ヘルブラントとリシャナがぽんぽん会話を交わすのに、やっとリュークが突っ込みを入れた。
「え、僕、そのエルヴェス伯爵の娘と結婚するんですか!」
「だからそう言っている」
「しかも僕より先に、兄上もリシェも会ってる!」
「お前の結婚を決めるのは俺だぞ」
「私はリューク兄上の研究所の前で会いましたね」
リュークは研究所から出てこなかったらしい。
「国内情勢を考えても、この縁組は必要だ。腹をくくれ。結婚も悪いことばかりじゃないぞ」
と、まだ新婚と言えるヘルブラント。おそらくこの三人の中で最も結婚に向かないであろうリュークが唸る。
「うう……リシェではだめですか」
「同性婚を認めてもらえるのならかまいませんが」
「あ……うん、そうだね」
リシャナの斜め上の回答に、リュークの勢いがそがれる。ヘルブラントは爆笑だ。リニのように幕僚や官僚も数名同席しているのだが、みんなぷるぷる笑いをこらえて震えている。
「確かに、リシェはその辺の男より男前だが」
笑いをこらえながらヘルブラントが言う。リシャナは性別にこだわらないようだが、教義的に性別にはこだわるので、リシャナの案は却下だ。
「では、話を進めておくぞ、リューク」
「はい……」
結婚すれば研究ばかりにかまけていられなくなる。今もそうだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最終章です。無事に終われるでしょうか…。




