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北壁の戦い 8












 リシャナが拠点にしているフラムの城塞に戻ると、城の主は雇った地元民の子供たちと城の中庭で遊んでいた。中庭と言っても、放置されていた城なのでただ野花が咲いているだけの場所だ。何なら歌も聞こえてくる。リシャナは耳もよいが、歌もうまい。調べたことはないが、たぶん、絶対音感を持っていると思う。


「なかなか良い光景ですね」


 リニが中庭でリシャナと集まっている子供を見ていた女官に言った。多分、凍あたりで採用した人だ。彼女はリニを見てはっとした表情になる。


「カ、カウエル卿……申し訳ありません。娘を連れ戻してきます」

「いや、いい」


 咎められると思ったのだろうか。女性は慌てて自分の子供たちを回収しに行こうとした。だふが、リニは彼女を押しとどめる。気難しそうな見た目とは裏腹に、リシャナはおおらかで年下のものにやさしい。彼女が困っていないのなら、そのままにしておく方がよいだろう。


「お姫様、お歌上手!」

「いや、私は別に姫君ではない」


 いや、そこではない。と、リニは心の中で思ったが、六歳前後と見える女の子に、リシャナは本気だ。本気で言葉を返している。子供の言葉に対してまじめすぎる。


「えー、でも、みんな『姫様』って」

「生まれが王女だからな」

「おーじょ?」

「王の娘と言うことだ」


 そんな場合ではないが、リニに教えを乞うていたリシャナが、子供とはいえ人に教えていることにちょっと感動した。


「姫様は偉い人なのね?」

「偉いのは私の兄だな。兄が王だ」

「へえ~」


 全くわかっていない調子で幼女相槌を打つが、リシャナは気に留めず話を続けた。


「別に私が偉いわけではないということだ」

「でも、ママは姫様が敵をやっつけてくれたんだって言ってたわ」

「うーん、どうなのだろうな? 確かに、私は指示を出したが、実行したのは部下だ」


 まじめ腐ってリシャナが言うと、幼女はむうっとむくれた。


「姫様、言うことが難しいわ!」

「そうだな。すまない。私がやってきたから、というのは合っていると思う」


 譲歩してリシャナが言った。幼女は自分の意見を肯定されてことで満足したように「あたしも姫様が好き」と満面の笑みで言った。


「優しいし、いっぱい遊んでくれるわ」

「そうか。私もイェッテが好きだよ」

「わぁい!」


 はしゃいだ声を上げたイェッテが手にしていた花冠をリシャナに差し出した。


「できた! 姫様にあげますね」


 そう言って立ち上がってリシャナの頭に花冠を乗せた。少々不格好だが、ちゃんと花冠に見える。リシャナはイェッテの頭に花冠を乗せた。


「では、私のものはイェッテにあげよう……少し大きかったな」


 頭に乗るどころか首飾りのようになってしまった花冠を見て、リシャナが苦笑した。小さな子供の頭に大きかったようだ。こちらはきれいに編めている。


「だいじょうぶ! 首飾りでも可愛いよ! ずっと持っておいてもいい?」

「枯れると思うけど」


 だから、幼女にそのまじめな返答はどうかと思う。思いやった返答もできるのに、なぜそうなるのだ。

 このあたりでリシャナがリニに気づいて立ち上がった。整備されていなかった中庭は、花畑のようになっていてそこでリシャナは、イェッテに花冠の編み方を教えていたらしい。リシャナは姉たちから教わったのだろうか。


「リニ、おかえり」

「ただいま戻りました。……もうよろしいのですか」


 リニの隣にいた母親に抱き着いたイェッテを見てリニが尋ねると、リシャナは「かまわん」と答えた。


「どうせなら、逃げてほしいものだが」


 イェッテの頭をなでながらリシャナが言った。気持ちはわかる。このフラムはリシャナが拠点にしたため、比較的平和だが、いつまでもそうとは限らない。明日には戦場になっているかもしれないのだ。


「いいえ。姫様に助けられた以上、私は姫様と共にいます」

「……そう」


 リシャナがちょっと引いたようにうなずいた。それだけの功績を立てていると思うが、リシャナはこういうところがある。基本的に、人に褒められるのに慣れていないのだろう。

 イェッテを母親に預け、リシャナはリニの報告を聞こうと執務室に使っている部屋に入った。一応、リシャナ一人の執務室を確保してあるが、別に長期間住む予定もないので最低限の体裁が整っていればよい、と言ったのはリシャナだ。


「陛下に北方の状況を報告してまいりました。雪が降るまでには北方を掌握し、王都に顔を出すように、とのことです。戦費の報告書も提出してきました」


 思ったよりも費用が掛からなくて財務省にも苦笑しつつ受け取ってもらえた。ちなみに、財務省の長官はルーベンス公爵である。主要貴族なので、政治上の大事なところを押さえているのだ。


「ご苦労。では、秋には王都へ行けるように調整しつつ、北部を制圧しよう」

「さようですね」


 今の調子で進めばなんとなる気はするが、油断は禁物である。こういう時は最悪の事態を想像して準備しておく方が、何か起こった時に対処しやすい。


「そう言えば、ヘルブラント兄上の奥方とは顔を合わせたか?」


 どういう人だった? と尋ねるリシャナ。リニは苦笑した。


「私は顔を合わせておりませんが、ルーベンス公は気立ての良い美しい姫君だとおっしゃっていました」

「へえ」


 自分で聞いたのに、リシャナはあまり興味がなさそうだ。


「レギンの王は野心家なのだったか。兄上ならば滅多なことはないと思うけど」


 むしろ、自分から情報が抜かれることを心配して、リシャナはこうして遠く北方にいるのだ。リニは肩をすくめた。


「姫君自身よりも、婚姻に伴って同行してきたレギン貴族の方が問題のようですね」

「さもあらん」


 リシャナもリシャナで、この拠点にレギンとつながりのあるものはいないか調べたらしい。さすがに、ラーズ王国のように隣接していないので、内通しているようなものは見つけられなかったらしいが。


「いつまでも逃げ回るわけにはまいりませんから、秋にはご挨拶に伺わなければなりませんね」

「母上と一緒でないだけましだな。……たぶん」


 不安げに眉を顰めるリシャナに、リニは苦笑した。先に彼女の母親である王太后が挨拶をしているのだから、それよりも印象が悪い、と言うことはないはずだ。


「ひとまず、このあたりが落ち着かないことにはどうにもならない。情報共有のために会議を行う。ほかの幕僚や副官も呼んできてくれ」

「承知いたしました」


 急にきりっと指揮官の表情になったリシャナに苦笑をかみ殺しつつ、リニは彼女の指示に従った。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次、最終章です。


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