北壁の戦い 7
もう7月ですねぇ。
「それから三日かけて、キストを制圧いたしました」
時系列順に報告をしていたリニは、「待て待て待て」というヘルブラントの声に一度報告を止めた。
「端折ったか? 端折ったよな? 経過が全く分からん」
「……説明できるほどのことがないのですが……内部分裂を誘発させ、敵拠点から出てきたと所を順次たたきました。それでどうにもならなければ、拠点としている砦を物量攻撃でつぶす予定だったのですが……」
現状資金難であるので、物資を温存できるならそれでよい、とほぼ戦わずにリシャナとフェルベーク伯爵はキストを制圧したわけだ。逐次出てくるロドルフ派やラーズ王国の間諜を数人とらえて尋問もした。
「し、仕事が早い……!」
ヘルブラント共に報告を聞いていたリュークが驚愕の表情を浮かべた。これまでの様子を見るに、リシャナは追い詰められるほどその力を発揮するタイプだ。ルナ・エリウ開城戦の時もそうだったのだと思う。
「……で? そのリシェはどうした」
「まだフラムにいらっしゃいますよ」
今頃は本当に国境線を押し返して、その維持に努めているはずだ。ヘルブラントの許可を得たので、志願者も軍に編入した。
「お前に報告を押し付けて? 一応、兄が結婚したんだが」
そう。リシャナが北の国境線を押し返している間に、ヘルブラントはレギンの姫君を妻に迎えていた。王妃だ。名はアイリと言うらしい。リシャナが期待した通り、王太后がアイリにあいさつをしたそうだ。
「姫君……ではなく、王妃陛下にとっては、王太后様より姫様が相手の方がよかったでしょうね」
思わずしみじみと言ってしまった。王太后は自分より若くて美しい女が嫌いなのだ。ヘルブラントもリュークも「確かに」とうなずいた。
「少なくとも、新婚の女性に言う言葉じゃないよね」
「母上は外交を理解していないからな」
と、リュークとヘルブラントも自分の母親に容赦がない。リシャナも当初は母をかばうような言動もあったが、現在としては、
「母上は生国が望むような働きができなかったのだと思う。だから期待されていないのではないかな」
と、かなり辛辣なことを言っていた。学ぶにつれ、そう言うことがわかってきたのだろう。最近の彼女は、母親について無関心を貫いている。
「リシェはしばらくアイリと顔を合わせるつもりがないということだな。わかった。どんなに遅くとも、雪が降るまでには北を平定し、一度王都に戻るように伝えてくれ」
「承知いたしました」
半年もあれば、さすがに北の制圧、掌握が完了しているだろう。リニは神妙にうなずいた。
「そう言えば、ロドルフとラーズ王国の協力関係が破綻したらしいな。このままそちらで争ってくれるといいんだが」
と、ヘルブラントはリシャナと同じことを言う。お互いにつぶしあってくれれば楽でよい、と実際に戦うことになるリシャナは言っていた。
「ですが、まだ支援している国があるのですよね」
「ディナヴィア諸国連合の構成国だな。帝国の構成国も一部、ロドルフに協力しているが、帝国本国の支援をこちらがつけたため、いつまで続くかわからない状況だ」
ついでに最北の国、レギン王国の王女がヘルブラントに嫁いだため、情勢はややこちらに傾きつつある。
「何より、リシェが破竹の勢いで国境線を押し返したのが効いたな」
「むしろ、リシェが女王になった方がいいのでは、という人もいるよね」
ここにきてリシャナが精力的に動き出したことで、彼女に目を向ける人が多くなった。そういう人自体は、以前からいた。だが、リシャナがヘルブラントに先んじないように気を付けていたのもあり、これまでは表面化しなかった。
それが精力的に動き出したことで、彼女を女王に押し上げれば丸くおさまるのでは、という意見が出てくるのも無理はない。その場合の王配はロドルフだ。
「……刺しあう未来しか見えませんね」
「だよなぁ」
リシャナはおとなしいが気の強いところがある。彼女の方針とロドルフの方針ではかみ合わない。結果、刺しあうことになる。
「あれをロドルフや他国の王子にくれてやるくらいなら、アルデルトの息子にくれてやった方がましだ」
「ルーベンス公爵は国内貴族ですからね……」
苦笑を浮かべながらも、リニは胸が痛んだ。王女である彼女は、いつか婚姻を結ぶ可能性が高い。平民の出のリニでは、手の出ない高根の花だ。この国で最も高貴な独身女性なのだ。
ヘルブラントへの報告を終えたリニだが、胸のあたりにもやもやとしたものを抱えてしまった。現実を突きつけられた気分だ。どれだけリシャナがリニを慕ってくれて、リニが彼女を思っていても、そこには明確な身分と言う壁が立ちはだかっているのだ。
「リニ」
「……ルーベンス公」
先ほど彼の名が出たからか、リニの口は重くなった。宮殿内を歩くリニに声をかけてきたのはルーベンス公アルデルトだった。
「お久しぶりですね」
「そうだな。私が王都に来たころには、お前たちはアールスデルスだったからな」
冬の間領地に戻っていたルーベンス公たちが王都にやってきたのは春になってからだ。冬の終わりに北方に向けて出発したリニたちは、ちょうど入れ違いになっていた。
「北方は制圧されたそうだな」
「はい。鮮やかな手腕でしたよ」
「姫様はお元気か?」
心配そうに尋ねられて、この人はリシャナがこの王都で戦うことを決めたときに共にいた人だということを思い出した。ついでに、リシャナと同じくらいの年の子供がいる人でもある。古い歴史を持つ名家であるルーベンス公爵家ならば、王女を娶るのも問題ない。
「精力的に活動されていますよ。最近、陛下と似たようなことをおっしゃいますね」
「そうか……なんだか複雑な気分だ」
そう言ってルーベンス公は眉を顰める。その意見にはリニも同意したい。いや、教育したのはリニなのだけど。
「ルーベンス公は姫様が活動し始めたころからご存じですしね」
「……そうだな」
少し口ごもったのは、リシャナが王太后に虐待されていることを知りながら見て見ぬふりをしていたことを悔いているからだろうか。それはリニたちも同じだ。身分的に、王太后には強く出られない。根本的に解決できるならヘルブラントくらいだったが、彼は積極的に解決に乗り出さなかった。乗り出せなかった、というのは言い訳になるのだろう。
結局、リシャナは自分の力でその境遇から抜け出したのだ。それはすごいことだと思うし、素晴らしいと思う。だが、そのせいで彼女は戦わなければ生きていけなくなった。自分の有用性を見せなければならなくなった。もう後には引けない。
「そう言えば、レギンからいらっしゃった姫君はいかがでしょう」
「……美しい姫君であるな」
ヘルブラントの花嫁は美しい姫君であるらしい。ヘルブラントも美形なので、並ぶと見栄えが良いだろう。
「姫君は教養のある、気立ての良い方だな。だが、ついてきた側近たちが、なぁ」
ルーベンス公爵にしてはめずらしい遠い目をした。そこからリニは、レギンの貴族たちが何やらやらかしているということを察した。まだヘルブラントとアイリが婚姻を結んで間もないため、レギンの貴族たちが滞在しているのだ。リシャナが自分で兄に報告に赴くことを拒否したのは、このあたりにも理由がある。
情報漏洩はしたくない。なら、そもそも顔を合わせなければいいじゃないか、と言うわけだ。
「姫様は英断であったが、いつまでも避けているわけにはいかないだろうな」
「そうですね。陛下からも、半年ほどで戻ってくるように、と言われております」
「なるほど。次にお会いできるのは秋ごろか……」
「訪問してくださっても、姫様は喜ぶと思います。今、絶賛執務のできる方を募集中ですし」
勧誘してみると、ルーベンス公爵は笑った。
「北部は北部で回さねばならんからな。だが、私も宮廷を回すので手いっぱいだ。コーバスだけに任せるわけにはいかないからな」
それもそうだ。ちなみに、コーバスというのはオーヴェレーム公爵のことだ。オーヴェレーム公爵コーバス・マッセリンクと言うのが彼の名だ。
「リニ、姫様を頼む」
「承知しております」
リニもアイリとは顔を合わせずに、このまま北部へ戻るつもりだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リシャナはレギン王国の姫君と顔を合わせるつもりはありません。




