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北壁の戦い 5











 ラーズ王国の騎士が各所で暴れ始めたため、北壁からもきちんと統率の取れている部隊は制圧に出ていた。一部は城塞に残っており、アントンはその中の一人だった。彼を含む何人かに北壁を任せる。リシャナの部隊からも幕僚を何人か置いて行く。当初の予定通りだ。予定通りでないのは、リシャナが思ったより活動的なことである。


「夕立があります。お気を付けください」

「アントンの天気予報はよく当たるからね。気を付けるよ」


 リニは肩をすくめてアントンに礼を言うと、出発準備を終えて出発せんとしているリシャナに駆け寄った。置いて行かれてはたまらない。リニはできるだけ彼女に張り付いていることになっているのだ。一人はそういうやつがいないと困る。


「ヒリスが少々苦戦しているようだ。状況によっては増援を送る。ひとまず、拠点に戻るが」

「わかりました。今からの移動では到着するのは夜になるでしょう。気を付けてくださいね」

「お前も一緒に行くのではないの」


 リシャナに不思議そうに言われて、リニは「そうですが、それでもですよ」とリニは苦笑した。

 戦場となると思われる一帯の住人には避難勧告を出している。リシャナは基本的に、立場の弱い女子供に親切だ。戦争に巻き込まれるのはもちろん、兵士に蹂躙されるのを嫌がる。かつて自分が弱い立場にあったからだろうと思う。

 もちろん彼女はある程度被害があることは理解しているし、仕方がないとわかっている。だからそれほどうるさくは言わないが、避けられるなら彼女を煩わせるものを減らした方がよい。

 ついでに黒い本音を言うと、その方が民衆の支持を得やすい。使えるものは使って、できるだけ支持を集めたい。

 急いでいるので一行は十騎ほど。馬を走らせているうちに暗くなってきた。しかも、アントンの予報通り一雨来そうな雰囲気である。


「一度休憩しませんか。降り出しそうです」


 リシャナも気づいているようで、馬上からちらっと空を見上げ、顔をしかめた。


「むしろ、降り出す前に距離を稼ぎたい」


 もう半分は来ているので、夕食の時間くらいには目的地に到着するはずだ。だが、その前に雨が降ってきた。


「とまれ! 雨宿りしよう」


 まだ雨はそれほど強くなかったが、リシャナがそう叫んだので近くの木の下に入る。アントンの予報が正しければ夕立なので、それほどかからずに通り過ぎる……はず。


「暗くなる前に進むか、もうしばらく待つか、悩ましいところですね……」

「アントンを連れてくるべきだっただろうか」


 思ったより降る雨に、リシャナも眉をひそめている。しっとりと水気を含んだ黒髪を煩わし気に背中に払う。後れ毛が張り付き色っぽい首筋から無理やり視線をそらした。


「アントンを連れてきても、雨をやませることができるわけではなくないですか」


 ティモンに突っ込まれて、リシャナは「さもあらん」とうなずいた。その通りだ。


「……とまれと言っておいてなんだが、進もう。まだこの辺りは制圧できていないだろう。暗くなる前にできるだけ支配域に近づいておきたい」


 リシャナの意見にほぼ全員が賛成したため、ゆっくり警戒しながら進むことになった。

 リシャナが比較的合議制を取ることが多い。北部制圧の戦略を立てる際も、彼女は幕僚や貴族たち、兵士たちに話を聞いて、合議制を取っていた。だが、ここぞというときは上からの強権を発する。おそらく彼女は、協議して慎重に進める方がいいところと、即断即決が必要な場面の見極めがうまいのだと思う。


「殿下! 来ます!」


 後方五時の方向、と北壁から連れてきた魔術師が注意を促した。索敵にたけているので、身の上と思想に問題ないことを確認して、連れてきたのだ。


「作戦通り、分かれるぞ」

「承知しました。では、合流地点Eでお会いしましょう」


 リシャナの班とティモンの班に分かれ、リニはリシャナについてく。魔術師が言った通り、矢を射かけられた。進んでいるうちに雨は止んでいたのだが、森の地面はぬかるんでいた。馬の脚が取られる。


「そのまま進んでください!」

「わかっている!」


 こちらは人数が少ないし、森の中では戦いづらい。このまま振り切ってしまう方がよい。リニは敵の数を確認するのに振り返った。あちらも人数が多くない。十人程度だろうか。これなら振り切れそうだ。


「姫様!」


 軽く息を呑む声が聞こえて、ついで兵士の悲鳴のような声が上がった。リニがはっリシャナの方を見たとき、彼女の馬はぬかるんだ地面に足を取られ、斜面を滑り落ちていくところだった。


「そのまま進め!」


 リシャナの指示が飛ぶ。リニがリシャナから目を離した、ほんの数秒の間に起きたことだった。


「姫様!」


 あえなくリシャナと引き離されてしまった。


「リニ、どうする!」


 馬を止めそうになった兵士を叱咤しながら小隊長のカイが叫ぶ。身分的にはリニより上の者もいるが、リシャナの幕僚であるリニに裁量権があった。


「皆さんはこのまま行ってください! 私は姫様を回収していきます!」

「了解。気を付けて!」


 リニはカイに一団を預けてリシャナの落ちていった斜面の下に回り込む。幸い、迂回できるようになっていた。

 回り道になるので、リニがリシャナの落ちたあたりに到着したのは、彼女とはぐれてから少したってからのことだった。森に溶け込むような格好をしているとはいえ、軍装の少女であるリシャナはすぐに見つかった。落ちた場所から動いていなかったのだと思う。彼女の側に女の姿があって、リニはとっさに叫んだ。


「その方から離れろ!」


 男の怒鳴り声に、女の方がびくりとした。リシャナは「リニ」と少し驚いた表情を見せて片手をあげた。


「待て。そこで止まれ」


 条件反射でその静かな命令に従う。リニは、少し離れたところで馬を止めた。


「倒れていた私を助けてくれただけだ」


 簡単に事情を説明されて、リニは薄暗くなってきた中、女を見る。確かに、一歳くらいの子供を抱いていた。これではリシャナを襲うのも難しいだろう。


「……失礼しました」


 気を落ち着けて謝罪する。馬を下りるリニに、女は首を左右に振った。リニと同じ年頃に見える女性だった。退避するように勧告を出したので、村から逃げる途中なのだろうか。


「これを持って西の方へ逃げろ。そちらに私の部隊がいる。指揮官が三十前後の女騎士だ。これを見せれば、彼女なら通してくれる。……助けてくれてありがとう」

「あ、あの、でも」


 女がリシャナとリニを交互に見る。近づいたリニはうなずいた。


「おっしゃる通りに。完全に暗くなる前に、森を抜けた方がいいだろう」

「あ、ありがとうございます」


 女はぺこりと頭をさげて礼を言って、リシャナの言う通り西へ逃げて行った。そちらでは、ユスティネが制圧作戦を実行している。彼女なら子供を連れた女性をむげにはしないだろう。取り調べられるだろうが、リシャナの渡した紋章入りの首飾りを見せれば、問題なく通してくれると思う。

 何度かこちらを気にするように振り返りながら、女は西の方へ歩いて行った。その後ろ姿を見送ってから、リニは馬に乗り、乗馬を失ったリシャナを馬に引き上げる。


「フィッセル卿は彼女を通してくれるでしょうが、彼女がそこまでたどり着くとは限りませんよ」


 忠告するようにリニがささやくと、リニの前に乗ったリシャナは肩をすくめた。


「わかっている。ただの私の偽善だ。だが、安全な場所まで彼女を連れて行くわけにもいかない」


 彼女だけにそのようなことをするわけにはいかない。一人に施せば、すべてのものが望むようになるだろう。リシャナが自分の首飾りを渡したのは、最大限の施しだ。後は彼女が無事に逃げられることを祈るしかない。

 王位継承戦争が終わらなければ、このようなことが続くのだ。リシャナの心が擦り切れてしまう前に終わればいい。そう祈るしかない。息を吐いて、リニは頭を下げたリシャナ越しに手綱を握った。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ここで出会った子供を抱えた女性は『北壁の女王』の女医エステルです。


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