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海上の戦い 1









 夏ごろ、ヘルブラントの妹でリシャナの姉であるタチアナが病死したと連絡があった。タチアナが嫁いだのは、大陸最大の帝国の構成国の一つである公国だ。五年前に嫁いだタチアナとは、リニは面識がない。だが、リシャナやリュークは嫁ぐ直前までタチアナと暮らしていたのだ。訃報を聞いたリシャナはぐっと唇をかんで涙目になった。ヘンドリックが亡くなって間もないせいもあるだろうが、最近ちょっと涙もろい。


「……お姉様が亡くなって、帝国が介入してくることはないでしょうか」

「……もうちょっと泣いていてもいいぞ」

「泣いてません」


 明らかに目元が赤いので泣いていたことが丸わかりだが、リシャナは相変わらずそう言う。もはや様式美である。鋭いところを突っ込まれたヘルブラントは、酒を一口飲んでから言った。


「ロドルフが支援を求める可能性はなくはない。だから、先に手は打っておきたいが、帝国がこんな小国の争いに介入してくる可能性は低い。傍観してくれるのなら、それで良し、と言ったところだろう」

「帝国とは陸続きではありませんものね」


 リル・フィオレと帝国は比較的近いが、間に一つ国をはさんでいるのだ。この国が一番上の姫君アルベルティナが嫁いだ国だ。なお、リニはこの姫君とも面識がない。


「ええっと、姉上が嫁いだ大公は、帝国皇帝の従弟、なんだっけ」


 リュークが思い出すように言った。顔が赤い。彼は酒にあまり強くないようだ。


「母方の従弟だな。だから、従弟の妻の生国であるリル・フィオレにある程度の配慮はあったのだが」


 ヘルブラントが少し顔をしかめた。王位を争っているとはいえ、正当な王はヘルブラントだ。ヘルブラントが手を出すな、と言うので、帝国はこれまでずっと傍観していた。


「ですが、対価が必要なのではありませんか。遠いとはいえ親族でもなくなった今、帝国がこちらに配慮する言われはありません」


 しいて言えば王太后カタリーナが先代皇帝の姪なのだが、彼女は帝国が求めた働きをしているとは言えない。良くも悪くも普通の女性なのだ。王妃ではなく、一般的な家庭の妻なら務まったのではないだろうか。自分の娘まで目の敵にするのはどうかと思うが。


「近いうちに会談に臨みたいところだな。ところでリシェ、その酒はどうだ? 前のものよりも飲みやすいと思うが」


 ヘルブラントが勧めるので、リシャナが酒杯に手を付けた。控えているリニがわかるくらい少しだけ、唇を湿らせる程度を呑んだ。


「……あまり好きではありません」

「戦場に行けば、水ではなく酒を飲まなければならないこともあるぞ」


 まだ少女の域を出ないリシャナに酒を飲ませるのは、リニは少し気が引けるのだが、ヘルブラントの言う通りだ。すでに赤くなっているリュークは「僕は戦場に長居できない気がする」と少しぼんやりした口調で言った。彼はもう飲むのをやめた方がよさそうだ。


「魔術である程度水も保存できますよね」


 実際リシャナは、それでこれまで戦場を駆けてきた。


「だが、もともと酒の方が保存がきくからな。魔術を使っても一緒だ。特に、船上になると水がなくなることもある」

「船上……海戦になることなんてあるのでしょうか」

「海に面している以上、ありえなくはないだろう?」


 戦歴が二年になるリシャナは、まだ海戦を経験したことがない。彼女に一通りの戦場を経験させたいだろうヘルブラントは、海戦にもリシャナを投入するつもりのようだ。

 これまでの戦いぶりを見ていると、リシャナは防戦の方が強い。一般的に見て攻めるより守る方が易いのだが、それを差し引いてもリシャナは防戦向きの戦術家だ。

 船での戦いになると、そうはいかない。多分、リシャナは海戦が苦手だと思うのだ。潮流や気候を読むことができれば、それなりに戦えるはずだが。


「僕はどちらにしても役に立たない気がする」

「大砲を改良すればいいのでは?」


 後ろ向きなリュークにリシャナがさらりと突っ込んだ。大砲に吹っ飛ばされたので、思うところがあるのかもしれない。科学的な研究は、確かにリュークの分野のはずだ。


「……リシェ、いい子だねぇ」


 にやけてそう言って、リュークはテーブルに突っ伏した。ごん、とかなりいい音がして額を打ち付けたのがわかる。リシャナがびくっとした。


「お開きだな」

「そうですね……」


 ヘルブラントが平然とリュークの頭を起こし、彼の護衛に連れて行かせた。リシャナは「ええ……」と言う顔をしている。ちなみに、晩餐の話ではなく、昼過ぎの話である。


 その時にはすでに、ヘルブラントはこの先の流れがある程度読めていたのだろうと思う。本当に海戦になったのである。先の戦いでロドルフが占領した港湾都市を解放するためと言う名目で、ヘルブラントが海軍の派遣を決めたのだ。そんなわけで、リニたちは今ロドルフが占領した港湾都市とは別の港にいた。


「ねえ、近くまで行ってきていい?」


 好奇心に満ちた声で言ったのはリシャナである。彼女が尋ねたのは多分、リニたち幕僚だが、要塞に共にこもっていたヘルブラントが「いいぞ」と許可を出した。二人は別の戦艦に乗るが、待機場所は同じなのである。


「長居はするなよ。一人にもなるな。リニとユスティネを連れて行け」

「ユスティネは小隊指揮官なのですが」

「それを言うなら、お前は総指揮官だ」

「……そうですね」


 ツッコみ返されたリシャナは、あきらめるのではなくリニとユスティネを連れて海を見に行くこと

にしたようだ。最近、戦続きで殺伐としたリシャナばかり見てきたので、こういう子供っぽいところに少し安心する。


「海だ。初めて近くで見た」


 一応見たことはあるそうだ。西海岸なので、夕日が沈んでいくのが見える。ヘルブラントの言うように、あまり長居はできないだろう。


「姫様。あまり近づくと波にさらわれますよ」

「そんなにうかつじゃないよ。多分」


 半笑いのユスティネの指摘に、リシャナが首をかしげる。波打ち際にしゃがんで波を眺めている。ふいに、宮殿の庭園でしゃがみこんで生垣を眺めていた少女を思い出した。


「飲んじゃだめですよ」

「塩水なんだよね。確かめてみたいんだけど」


 それもどうかと思うが、まあ舐める程度なら大丈夫だろうか。リシャナは本当に海水をなめて「しょっぱい」と感想を漏らした。当然である。


「やはりうちの姫様が一番かわいいね」


 突然ヘンドリックのようなことを言い出したユスティネであるが、リニは苦笑して「そうですね」と同意するにとどめた。リニもそう思うからだ。突然パシャっと水をかけられた。水ではなく、海水だが。


「どうなさいましたか、姫様」

「ユスティネたちが変なことを言うから」

「それで私だけですか」

「女の人を濡らしたらかわいそうじゃない」

「そういうところですよ、姫様」


 これで身分による違いだ、と言われたらリシャナも王族なのだな、となるが、そうではなくただのフェミニストだった。彼女の中の独自の価値観による忖度ともいう。


「どういうところ?」


 きょとんとリシャナが首をかしげている。そういうことを言うから、リシャナは平民に人気があるのだ、と言おうと思ってやめた。拝まれてびくっとしているくらいなのだ。


「そういうところですよ、姫様」

「ユスティネまで。どういう意味?」


 と言った瞬間、波打ち際にいたリシャナの足元が現れた。少し大きな波が来たのだ。さしものリシャナも慌てて海から離れようとして、砂に足を取られて転んだ。


「姫様!」


 リニとユスティネは同時に声を上げて駆け寄る。海の中に突っ込んだリシャナを助け起こした。


「大丈夫ですか!?」

「水飲んだ」


 げほげほとせき込みながらリシャナが訴えた。涙目である。


「波にさらわれると申し上げたでしょう」

「うー……」


 ユスティネがあきれたように言うと、リシャナは反論できずに顔をしかめる。リニはそのすねた表情を見て思わす苦笑した。


「リニ、その上着を脱げ。それから姫様を抱えてくれ。私では抱き上げられない」

「さすがにユスティネに抱き上げられたら私もショックだ」


 ユスティネはリシャナよりも背が高いが、細身で、やはり女性だ。同じくらいの身長でも、リニの方が力がある。リニは脱いだ上着でずぶ濡れのリシャナをくるむと抱き上げた。


「靴を脱ぎたいのだけど」

「砦に着くまで待ってください」


 靴の中にも海水がたまっているようだが、それも着替えるときだ。そのままリニはリシャナを抱えて戻ったのだが、海に突っ込んだ話を聞いたヘルブラントが大爆笑した。リシャナは思いっきり拗ねている。


「リシェ、明日は海に落ちてくれるなよ。助けてやれないぞ」

「わかっています」


 急に真剣な表情になったヘルブラントに釘を刺され、リシャナはすねた表情のままうなずいていた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


リュークはただの寝不足ですね。


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