デン・ヘンデルの戦い 4
すべての兵力を王都へ送り出し、殿のリシャナが王都ルナ・エリウに入ったのは先の戦いから一か月以上が経過してからのことだった。冬の終わりだった季節は進み、春めいている。道中、草花が生き生きとしていた。
「もうすぐ、春の宴ですね」
「この状況でもやるんだろうか」
「王の威信をかけて、やるのではないですか」
「なるほど」
そんな会話をしながら、リニを伴ったリシャナが入ったのは王の執務室だった。すでに応接用の長椅子にはヘルブラントとリュークが座っていた。報告する側のリシャナは一人で対面の席に座ったので、リニはその後ろに立つ。
「ご苦労、リシェ。無事に帰ってきたな」
「おかえり」
ヘルブラントはいつも通り含むところのありそうな笑みだが、リュークは本当にうれしそうだ。ヘンドリックが戦死したので、妹が帰ってきたことがうれしいのだろう。
「ただいま帰還いたしました。兵員の状況については報告書にまとめてあります」
「まじめか。いや、助かる」
すでに報告書を受け取っているだろうヘルブラントが苦笑した。リニからはリシャナの表情が見えないが、たぶん無表情だと思う。
「お前に押し付けて俺は撤退してしまったからな。大変だっただろう?」
「リスク分散のためには、仕方がありません。戦闘の状況を取りまとめるより、暴れる兵たちを押さえる方が大変でした」
「ああ……うん」
ヘンドリックは兵士たちに好かれていたので、かたき討ちだと騒いでいたのだそうだ。リニはその騒ぎの間、病室で安静にしていたので騒ぎを知らない。先に回復していたロキュスの話を聞いただけだ。かたき討ちだ、と出て行こうとする兵たちを、リシャナが説き伏せておとなしくさせたらしい。彼女には弁舌の才能があると思う。
「というわけなので、弔い合戦を主張してくるものがいると思います」
判断は任せます、とリシャナが丸投げした。戦後処理を丸投げされた意趣返しだろうか。
「そうだな……だが、立て直すにも時間がいる」
「思うのですが、先にロドルフが諸外国から傭兵を借りられないように根回しをした方がいいのでは? リル・フィオレ国内に限れば、兄上が負けるとは思えません」
実際、純粋な国内戦力だけ見れば、ヘルブラントがロドルフを上回っているのだ。リシャナの言うことも正しい。勝つことが難しいのなら、勝てるように状況を整えればいいのだ。
「手始めに、バイエルスベルヘン公爵位を取り上げればよいのではありませんか。議会も反対しないと思うのですけど」
「お前……いや、よく勉強しているな。お前が敵でなくてよかった」
ヘルブラントがため息をついて言った。実際にそこまでする力があるかはともかく、そこまで戦略を理解できているリシャナと敵対するのはヘルブラントでも厳しいかもしれない。リシャナは、できる人間に任せることを知っている。
「私が兄上の敵に回ることなんてありえません」
「いい子だな、リシェ」
リシャナにはまだ、そこまでの主体性はないだろう。まだ、決められた範囲で能力を発揮する域を出ていない。長じればどうなるかはわからないが。
「リューク、話についてきてるか?」
「……リシェが賢いことはわかりました」
「リッキーのようなことを言うな」
わかったようなわからないような顔で話を聞いている、と思ったら、やはりよくわかっていなかったらしいリュークだ。
冷めてしまったお茶を入れ替える。最初は酒を出していたのだか、下の二人が顔をしかめたのでお茶になった。ヘンドリックは不満げだったが、彼も妹が嫌がるのなら、と不満を飲み込んでいた。思い返せば思い返すほど、ヘンドリックはリシャナを可愛がっていたと思う。
「リシェ、けがは大丈夫なの?」
報告が落ち着いたので、世間話の体をなしてきた。リュークが合流の遅れた妹を心配そうに見やる。聞かれた本人はけろりとしたものだ。
「骨にひびが入りましたが、その程度ですね。リニがかばってくれたので」
視線がリニに集まる。ヘンドリックは「それがリニの仕事だからな」と肩をすくめた。リシャナがこてりと首をかしげる。
「兄上はけがはなかったのですか?」
「ああ。砲撃に馬が驚いて、落馬はしたが」
「首を折らなくてよかったですね」
馬に振り落とされて首の骨を折って死ぬ、ということは、戦場で往々にして起こるのである。かくいうリニも落馬したことがある。
「た、大変でしたね」
リュークがおろおろしながら感想を述べた。大変だから、ヘルブラントは保険としてリュークを王都に残したのだ。全滅も視野に入れていたということである。
「リュークも大変だっただろう。これからも頼む」
「……悩ましいところです」
本音としては多分、引きこもって居たいのだろうリュークだ。だが、兄と妹が出陣するのなら、宮殿を守らなければならない。なら自分が戦場に行くか? 外交に行くか? と言われると不安なのだろう。リュークはため息をついた。
「……三人だけなんですね。リッキー兄上がいないだなんて、信じられません」
遺体が見つかっていないから余計にそう思うのだろう。ヘルブラントが「わかるよ」と弟の肩をたたき、それからリシャナの方を見てぎょっとした表情になった。
「リ、リシェ、どうした?」
「姫様?」
明らかに動揺しているヘルブラントを見て、リニは断ってからリシャナの顔を覗き込んだ。ぐっと唇を引き結んだリシャナの澄んだ瞳からぽろぽろと涙がこぼれていた。リシャナが手で乱暴に涙をぬぐう。
「ご、ごめん! 泣かないで!」
慌てたようにリュークがなだめにかかるが、自分の方が動揺している。母親に虐待されても泣かなかった妹が、兄を失ったことに泣いているのだ。
「泣いてません」
明らかに涙声の震える声でリシャナが言い返した。その意地の張り方に少し空気が緩む。リシャナの隣に移動してきたヘルブラントがリシャナを抱きしめて背中をたたいた。
「そうだよな。悲しいよな。リッキーと仲良くしてたもんな。ほら、好きなだけ泣いていいぞ」
「……泣いてません」
そう言いながらも、リシャナはヘルブラントの方に顔を押し付けて泣いた。どう見ても泣きじゃくっているのに、押し殺したような泣き方が哀れだった。……リニは、ヘルブラントのようにリシャナを抱きしめて慰めることもできない。
「戦の才能はあるが、優しすぎるな、リシェは」
自分にもたれて眠ってしまったリシャナを長椅子に横たえてやりながらヘルブラントは言った。リュークが不服そうに眉を顰める。
「あたりまえじゃないですか。リシェはまだ十五の女の子ですよ」
「いや、そうだな。当たり前のことだ」
根っからの王者であるヘルブラントは、リシャナのこのアンバランスさが気になるのかもしれない。合理主義者の中に、性根の優しい女の子が住んでいるのだ。
「だが、まともなままだと、戦で擦り切れてしまうぞ」
妹の頭を軽くたたきながらヘルブラントは複雑そうにつぶやいた。どんなに後悔しても、ヘルブラントはリシャナを戦場に出さざるを得ないのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なんだかんだでリシャナはヘンドリックになついていました。




