デン・ヘンデルの戦い 3
しばらくして、歩き回れるようになると、ロキュスとともにリハビリに励んだ。軽い雑談をしながら体を動かす。
「ヘンドリック殿下の部隊は、再編して姫君の部隊に吸収されるらしいぜ」
「だろうね。陛下が無事な兵士を率いているんだから、さもありなん」
ヘンドリックの部隊は、彼とリュークがともに率いていた形だったが、リュークが丸っと受け継ぐわけではないようだ。リュークにヘンドリックほどの戦場指揮官の才覚はないし、そもそも、半数近くが戦死しているため、部隊として継承できるほどの規模は残っていない。この時代の軍と言うのは、諸侯が自分の私兵を率いて戦列に加わるものだ。王族が常備軍として所持しているのは、全体の三分の一から半数がせいぜいなのである。
リシャナはヘンドリックのように敵に突っ込んでいって指揮を執る戦場指揮官ではないが、真似事はできる。彼女は全体を見て指示を出す委任戦術を使用する。今のところ、その能力が発揮されているのは戦の中だけなので、分類するなら戦術家になるだろうか。
ヘンドリックの部隊には、勢いのある兵士が集められていた。その兵士たちを、リュークにまとめ上げろと言うのは酷な話である。リシャナならできるか、と言われたら、たぶんできる。彼女の檄は力がある。怒らせると怖いタイプだ。
「……お前って、姫君のこと好きなの」
「……そう見える?」
「見える」
ロキュスにきっぱりと言われて、リニは苦笑した。もう少し態度を見直さなければならないだろうか。
「まあ、俺にはわかったけど、他はわかんねぇと思うぞ? 大体みんな、姫君のこと好きだしさ」
「ああ……うん」
そう。リシャナは兵士たちに人気が高い。様々な常識を打ち破った彼女だが、やはり年端の行かない美少女が国を憂えて戦っている、しかも強い。と言うのが、人々の心をくすぐるようだ。というわけで、ロキュスの言う通り、大体みんな、リシャナが好きなのである。
「この前、拝まれてびくってしてたぜ」
「ついに崇拝者が現れたか……」
時間の問題だと思っていたので、さほど意外ではない。リシャナには悪いが。
「姫君英雄伝説を語ってたのも、ヘンドリック殿下だったよなぁ」
リシャナがここまで慕われるのは、ヘンドリックが嬉々として彼女の功績を語りまくったせいもある。ヘンドリックは妹がかわいくて仕方がなかったようだ。
結局、そんなに交流のないリニであるが、それでもあの明るい王弟がもういないのだと思うと、寂しい気持ちになった。
「はじめはお姫様に仕えるなんて不憫な奴って思ってたけど、全然違ったよな。今では志願者も多いし」
しみじみとロキュスが言った。リシャナが才能を示した二年前とは状況が変わっている。リシャナはその才覚を十分に発揮し、結果を出している。そのため、彼女の見方が急速的に変わってきているのだ。
今でもおそらく、ヘルブラントはリシャナをロドルフに嫁がせることを最終手段としていると思う。だが、それは現実的に不可能だ。多くの人間がそう思っているはずだが、リシャナとロドルフは結婚すれば対立するだろう。リシャナも君主としての素質を持っている。そう振る舞うことを知っている。ゆえに、対立する。二人のやり方は合わない。ヘルブラントとリシャナはお互いに妥協点を見つけて共存しているが、ロドルフとリシャナではそうはならない。
ヘルブラントは未婚で、まだ子供がいない。それなりに女性と関係を持っていたはずだが、庶子がいるとも聞いたことがない。現時点で、王位継承権はリュークとリシャナが上位に来る。この二人は、ヘルブラントと七歳差と九歳差だ。ヘルブラントの跡継ぎとして十分考えられる。
かつてリシャナは、ヘルブラントを失えば自分たちは瓦解する、と言ったそうだ。だが、今はそうではないだろう。ヘルブラントを失えば、リシャナが担ぎ上げられる。彼女が望む望まないにかかわらず。
そういうわけで、今彼女の部下に人が殺到している。彼女が、弱者にやさしいというのもある。そこに反感を覚えるものもいるようだが。
「……まあ、ただのお姫様じゃなかったからね」
「だな。おとなしいだけじゃなかったんだな」
それもよく聞くリシャナの評価だ。母親である王太后に抑圧されていたからだと思うのだが、彼女は基本的におとなしい姫君だった。
「……ただの姫君だった方が、幸せだったんじゃないかと思わないでもないけど」
だが、それだとリシャナは王太后の支配下から逃れられず、今頃本当にロドルフに嫁いでいたかもしれない。リシャナが覚醒していなくても、結局性格が合わないので対立していたと思う。難しいところだ。
「意外に元気そうだね」
リニがリシャナと顔を合わせたのは、戦から半月ほどたってからのことだった。リニのリハビリも進んだので、仕事をしに教会の拠点になっている場所に来ていたのだ。リシャナは出かけていたようで、旅装だった。
「おかえりなさいませ。どちらへ?」
「戦場」
簡潔に言われて、リニの笑顔がこわばった。おそらく、事後の確認とヘンドリックを探しに行ったのだ。何か見つかったのだろうか。リシャナの顔色が悪い。いや、もともといい方ではないが。
「……何か見つかりましたか」
「いや。私が聞いている範囲では、だけど」
彼女は首を左右に振った。
「ヘンドリック兄上のことを聞いているんだな」
「ティモンさんから聞きました。ほかにもたくさん亡くなったようですね」
「全体で四割の損害が出ている。兄上がロドルフの軍に爆薬を投げ込んだそうなので、損害としては案外変わらないかもしれないけど」
ロドルフの軍は外国人が多い。傭兵ばかりだ。損害が大きければ退く。ヘルブラントはそこを狙ったのだろう。
「戦死した兵士から金目のものがはぎとられていた。傭兵たちが戻ってきたのだろうね。まあ、私もあちらが完全に引くのを待ってから向かったのだけど」
今、こちらにはロドルフの軍と戦う戦力はない。リシャナとともに残っているのは、ほとんどが負傷兵だ。戦場跡地を確認するにしても、敵が退いたことを確認してから出なければならなかった。
「……では、そろそろ王都の方へ戻るので?」
「動けるものが増えてきたからな。非戦闘員から順次後送する」
残っている医者や文官のことだ。戦争は、戦闘員だけで成り立っているわけではない。
「お前たちは私とともに殿だ。馬で長距離移動できるように回復しておくように」
「承知いたしました」
歩きながら指示を出すリシャナについて行きながら、リニはうなずいた。ほとんどは馬車で後送されることになるだろうが、リニは多少具合が悪くとも、リシャナとともに馬で行くつもりである。
「あと、リニ」
「はい」
リシャナがリニを見上げてかすかに微笑んだ。
「助けてくれてありがとう。無事でよかった」
リニは息を呑みかけて、耐えた。多少ぎこちなかったが、何とか普段通りに微笑む。
「それが私の役目ですからね。姫様も、ご無事で何よりでした」
「そうだな」
普段感情があまり表に出ない、生真面目な少女のその笑みが、リニだけに向けられていたことにほの暗い喜びを覚えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
4割の被害ならほぼ全滅ですね。たぶん。




