デン・ヘンデルの戦い 1
冬になり、雪が積もると戦は一時休戦となる。リシャナはともかく、ブローム伯爵とカイゼル伯爵を叙されているヘンドリックとリュークは領地を持っているが、彼らも王宮に詰めていた。単純に、雪で領地に行けなくなった、とも言う。
リュークは寒がって城の中に引きこもっているが、リシャナはヘンドリックと雪玉を投げ合っていた。最初は一緒に雪だるまを作っていたと思ったのが、いつの間にか投げ合いになっていた。お遊び程度なので、楽しそうである。
そして、二人の側近も漏れなく道連れで寒空の下だ。リニは白い息を吐いた。
十代の二人は元気だが、さすがに疲れたらしく、休憩に戻ってきた。ちょこちょこと戻ってきたリシャナは、なんとなく楽し気な顔をしている。あまり感情が表情に出ないリシャナだが、リニはこの一年半で彼女の表情をなんとなく読めるようになっていた。
「楽しかったですか?」
「うん」
動いていたので寒くはないようだが、すぐに建物に入って温まった方がいいだろう。そして、リニは寒い。
「去年は遊べなかったもんな。こういうのも大事だよなー」
ヘンドリックがぐりぐりと妹の頭をなでる。リシャナはされるがままだ。去年の今頃は、リシャナは絶賛教育中だった。呑み込みの早い彼女だったが、さすがに遊びに行く暇はなかった。今年は、息抜きがてら遊ぶくらいの余裕はある、と言うことでもある。
「私、たぶん雪の中の行軍ってできない」
まだ体の出来上がっていない華奢な少女であるのでそれは仕方がない。だが、遊んでいる間そんなことを考えていたのだろうか。子供っぽさをごまかすための照れ隠しだろうか。少し悩んだリニに対し、ヘンドリックはカラッと笑って妹の頭を軽くたたく。
「そーゆーのは俺の役目。お前は考える役!」
ぱちぱちと瞬きしたリシャナは、小首をかしげた。
「兄上は考えるのが面倒なだけでは?」
決して馬鹿ではないのに、振る舞いが馬鹿っぽいのがヘンドリックである。妹に言われたヘンドリックは「きっつぅ」と笑った。
「適材適所ってやつだろ。ま、お前が冬の行軍に参加するようになったら、もう負けだろ」
「確かに」
真顔でリシャナがうなずいた。ヘンドリックとしてはからかっただけのようでもあり、大真面目なリシャナに少し驚いたようでもあった。
「……まじめだなぁ、お前」
ひとまず二人を城の中に入れて温かいお茶を飲ませる。そうしていると、ヘルブラントがやってきた。談話室の暖炉の前でお茶をしている弟妹を見て首をかしげる。
「リュークはどうした?」
「さあ?」
「研究室ではありませんか」
ヘンドリックもリシャナもドライな返しである。だが、リニも多分そうだと思う。ヘルブラントはドライな弟妹に苦笑しつつ、「まあいいか」とつぶやくと開いているリシャナの隣に座った。
「ロドルフが精力的に動いている。兵器……大砲などの威力の高い飛び道具を集めているそうだ。雪解けのころ、攻めてくるぞ」
ヘルブラントにそう言われたリシャナは、目をしばたたかせてからリニを見上げた。目の合った彼はうなずくと、情報を集めに出かけた。リシャナはヘルブラントの不足部分を補うことになっている。自分たちでも情報を集めることは必要だ。
冬。まだ年も明けていない。だが、戦の行方は準備がものをいう。ヘルブラントもリシャナも、機転の利く指揮官ではあるが、それは準備を整えない理由にならない。
「春の戦か。厳しいものになるかもしれないな」
リニとともに宮廷を駆け回った参謀のネイサンがつぶやいた。
「チェックメイトです」
自分のキングが追い詰められ、リシャナがため息をついた。負けず嫌い、と言うよりは基準点が高くて自らがそこに達していないことを気にしているようなリシャナは、少しむくれてリニを見た。
「いつまでたっても勝てないのだけど」
「本格的にルールを覚えて半年ほどだということを考えれば、かなり覚えの良い方だと思いますが」
リュークと戦っても勝てないらしく、今のところリシャナが勝てるのはヘンドリックくらいだ。チェス自体はリュークに教わったらしい。リニは彼女に花を持たせて勝たせたことがあるが、勝たせてもらったことに気づいたリシャナが怒ったので、それ以降はしていない。
「チェスが戦術の訓練になるのは確かですが、参考程度です。実際の戦とは条件が違いすぎますから」
「わかってる」
あまり娯楽を知らないリシャナに様々な娯楽を教えてきたリニだが、彼女はとにかく運に任せたゲームに弱い。ここに計算の要素が加わったりするとまた変わってくるのだが、基本的にリシャナは運が悪いのだと思う。カードをやらせると、とにかく引きが悪い。
なので、チェスなどの知能ゲームはまだいい勝負になる。カードゲームでリシャナは自爆したこともあるので、まだましなのだ。
「……あまり戦に関係ないこともお教えしたいのですが」
どうしても、リニは軍人として取り立てられたので、教えられることは偏ってしまう。ユスティネがリシャナに教えているところも見るが、彼女も基本的に騎士の家系なのでちょっと怪しい。世話をしている女官たちとはあまり打ち解けられていないように見える。
「そんなにたくさん教えられても覚えられないのだけど」
「そうですね」
苦笑してうなずく。呑み込みのいいリシャナだが、リュークのような天才と言うわけではない。賢明で思慮深いが、基本的に普通の真面目な少女なのだと思う。
こうして、世間話のようなこともできるようになり、少しずつリシャナという姫君が見えてきたような気がする。まじめで、あまり自分に自信がない。合理的で戦に才能があるが、それ以外は割と普通の少女なのだと思う。この合理的で戦に才能がある、のあたりが突き抜けていて、少し変わっているように見えるだけだ。また、時代に適しているためにその面が見えやすい、というのもある。
生きる時代が違えば、彼女は一般的な女性として歴史の表舞台に出ることはなかったのではないだろうか。それは残念だ、と思う反面、その方が彼女のためだったのかもしれない、とも思う。だが、それだと彼女は、自分を虐げる母親から逃げられないのだ。
「リニ?」
こてん、とリシャナが首をかしげる。いつも通り、伏し目がちな半分閉じられた澄んだ瞳が、リニを見つめている。リニも見つめ返してから微笑んだ。
「もう一戦いかがですか」
「ん」
こくん、と子供っぽくうなずくリシャナに、安心感を覚える自分がいる。まだ彼女が子供だと思えることで、彼女は自分も、リニも守っている。
姫君相手に恐れ多くも、妹のようだと思っていた。そのように接していた。彼女がそう接せられるのを喜んだから。
才覚を示して戦場に駆り出された、おとなしく優しい少女。だんだん感情を示してくれるようになるのが微笑ましかった。傷つき、悲しむさまを見た。乗り越えた、凛然としたまなざしを見た。
真剣に次の手を考えるリシャナを見る。まっすぐの黒髪。怜悧な面差しを彩る澄んだアイスグリーンの瞳。面差しから子供らしさがぬぐわれ、大人びた雰囲気が出てきている。
……もう、妹のようには思えない。
自分の心情の変化を、リニは自覚していた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
実の兄に対するより、リニに対するほうが子供っぽいリシャナです。




