38.魔物襲来②
「チェルシー!?」
まだパラパラと逃げる人の間を、マントを深めにかぶったチェルシーが走って行くのが見えた。
「なんでチェルシーが街に……?」
チェルシーには神殿の結界装置をお願いしたはず。ルークが魔道具師を手配すれば装置は直る。しかし聖力を持つ聖女が側にいなければ意味がない。
今回ばかりはフレヤ一人で何とかできる事案ではないのだ。手分けして取りかからねば魔物が押し寄せる。
想像してゾッとした。
(どこに行こうというの?)
フレヤは急いでチェルシーの後を追いかけた。
☆☆☆
そこは見知った場所だった。
フレヤはチェルシーが入っていったパン屋の扉を勢いよく開ける。
「チェルシー!!」
「フレヤ!? あなた、留学に出たんじゃ……!」
中にはアンナがいて、驚きながらもフレヤに駆け寄って来た。
「アンナさん、どうして逃げていないの!? 王宮の方が安全よ」
側に来たアンナの手を取り、問いかける。
「あんな頼りない騎士がいる王宮よりも、あなたがくれたお守りがあるこの店に残ろうって主人と相談して決めたんだよ」
アンナが指さす棚を見れば、フレヤがあげた小さな壺がまだ置かれていた。
(結界がこのお店を包んでいるわ)
まだ効果は保たれているらしい。
「そういうことよ! ここが一番安全だとわたしが保証してあげるわ!」
奥から出て来たチェルシーは、店の主人が焼いたパンをのんきに口にしている。
「何でここにいるのよ! あなたには結界装置を任せたでしょ!」
「わたしは何も聞いていないわよ? ここには前から目をつけていたの。きっとルーク様もこんな場所にわたしがいるなんて気づかないわ」
ふんと鼻を鳴らし、チェルシーが偉そうに答える。
「……急に押しかけてきたんだけど、まさかもう一人の聖女とはねえ」
アンナがぼそっと耳打ちして教えてくれた。
「とにかく戻って、チェルシー!」
「嫌よ! あんなややこしいこと、わたしにできるわけないじゃない! それに、私の綺麗な手が薬草で汚れるなんて嫌!」
チェルシーの自分勝手な言い分にくらりとする。このままでは魔物を防げない。
「じゃあ街にハーブを設置するほうをやってよ! それならできるでしょう!?」
麻袋をチェルシーに差し出せば、ぷいとそっぽを向かれる。
「嫌よ。誰も注目していないときにやっても、わたしを褒めて崇めないじゃない」
「あなたねえ……!」
ギャ――――。
チェルシーと言い争っていると、外が騒がしくなった。
「何!?」
嫌な予感がして外に飛び出すと、陽の光を遮るように影が落ちる。
「空から……」
フレヤは空を見上げて愕然とした。頭上をガーゴイルの集団が埋め尽くしている。
「チェルシー、手伝って!」
ハーブの香りを警戒してか、ガーゴイルたちは旋回しながらも街を注視している。
「嫌よ! あんな恐ろしいモノ、本だけで十分よ! わたしは死にたくない!」
チェルシーはそう叫ぶと、お守りの小瓶を持ってパン屋の奥に閉じこもってしまった。
「フレヤも中に!」
「アンナさん、危ないから外に出ないで!」
アンナが扉を開けて手を差し伸べている。
街を見渡せば、ほとんどが王宮に逃げたようだが、まだ人はいる。突然現れたガーゴイルにパニックになり、逃げ惑う人で場は騒然としている。
「アンナさん、逃げ遅れた人たちの受け入れをお願いします!」
「フレヤ!」
フレヤはパン屋の入口にハーブを積み上げると、残り少ない麻袋を握りしめて人々の先導に走った。
「あそこのパン屋が安全です!」
フレヤは次々に逃げ遅れた人たちに声をかけていく。途中ガーゴイルが近くまで迫ったが、ハーブを蒔けば、すぐに空へと引き返していった。
(もうハーブがないのに、こんな数私一人でどうやって……)
ルークが魔道具で散布したハーブは何種類もブレンドされていて、相乗効果を生み出す。そのためガーゴイルたちは興奮状態だ。フレヤの結界でも抑えるのがやっとだ。
ガーゴイルたちは今か今かと目を光らせ、襲うタイミングを狙っている。
何とか逃げ遅れた人たちの非難を完了させたフレヤは、安堵とともに立ち眩みでその場に膝をついた。
疲れと寝不足で限界が訪れたのだ。
(私も、パン屋に戻らないと……)
そう思うのに、朦朧として足が動かない。
(ノアもこんな悔しい思いをしてきたのかな)
こんなときなのに、ノアのことを考える自分に笑ってしまう。
空っぽの麻袋がフレヤの手を離れ、風で遠くへと運ばれていく。
結界装置が故障している今、空から来られては為す術もない。
(ここまでかしら)
耳をつんざく金切り声とともに、ガーゴイルたちが結界を破ってなだれ込んで来た。
(ノア……最後にお別れを言ってくればよかった)
最後に見た悲しそうなノアの表情が忘れられない。せっかく明るく笑うようになってくれたのに、それを自分が曇らせてしまったのだ。
(私が死んだら、また悲しませてしまうのかな)
『あんたはどっちが戻りたいと思ってしまうんだろうね?』
エミリアの問いを思い出し、目を閉じる。
思い浮かぶのは人懐こいわんこの笑顔。
(戻りたい。ノアの笑顔がある場所に)
フレヤの人生で二度目の感傷は、竜の鳴き声によって払拭された。
ぴゅいいいいい――。
ぱちりと瞳を開ける。
迫っていたはずのガーゴイルたちが逃げまどっている。
ガーゴイルたちに埋め尽くされていた空が、銀色に染まる。
フレヤの瞳には、空を覆いつくす竜騎士団の姿が映っていた。




