37.魔物襲来
神殿の聖堂に監禁されて三日目、フレヤはすでにボロボロだった。
ハーブを調合し続け、ほとんど寝ていない。差し入れられた一切れのパンは、一昨日の夜から食いつないでいるものだ。
目を覚ますための水浴びで衛生を保ってはいるが、髪はぼさぼさだ。イシュダルディアには髪を乾かす魔道具があるのだが、もちろん神殿ではチェルシーの部屋にしか用意されていない。
せっかくアウドーラで綺麗になった髪を穢されていくようだ。
感傷を閉じ込めるように髪を後ろで一つに束ね、フレヤは結界装置を見上げた。
「やっぱり装置が限界みたいね」
空焚き状態だった結界装置へ入れるハーブは、フレヤが一から作っているため追い付かない。それでも作っては入れる作業を続け、やっと受け皿がいっぱいになった。
ハーブを入れても変な音を立て続ける装置は、よく見れば亀裂も入っている。
(王子には魔道具師を手配するよう言ったけど……)
一向にやって来ない魔道具師に大きく溜息をつく。
このままではフレヤが消耗して、ハーブが追いつかなくなる。そうすればイシュダルディアが魔物に襲われてしまう。
「それはだめ」
ゾッとしてすぐに作業を再開させる。すると、騒がしい足音が聖堂に向かってくるのが聞こえた。
「結界はできたか!」
やって来たのは慌てた様子のルークだった。
「そんなに早く修復しませんよ。魔道具師待ちな部分もあるんですから……」
呆れるフレヤにルークが声を荒げる。
「魔物が暴れ出した! 王都に向かっている!」
「……は? ハーブを蒔いたのではないのですか?」
意味がわからないと怪訝な顔をすれば、ルークは余計に苛立ちを見せた。
「魔物をアウドーラへ仕向けるための魔道具が暴発した! それに、今回チェルシーが聖女の威光を示したのは王城前だけだ!」
「はあ!?」
ルークは何を言っているのだろうか。そんなバカなこと、と思いながらもルークが差し出した魔道具の一つに目をやる。
「……魔物が好む香りのハーブに、興奮剤……凶暴化する薬まで!?」
魔道具にセットされたハーブを見て、フレヤはぎょっとした。そしてその魔道具にも驚かされた。
「しかもこれ……結界装置の小型版!?」
魔道具師がいつまでも来ないと思えば、戦争のための道具を作らせていたのだ。
「何を考えているんですか!」
「うるさい! アウドーラを我が国のものにするためだったのだ! いいから何とかしろ!」
ルークに言いたいことはたくさんあるが、彼の表情から危機的状況にあるのはわかる。ならば今は言い争っている場合ではない。
「……私ができるのは応急処置のようなものですが、街に出て対策します。この結界装置の修復を魔道具師とチェルシーに引き継いでください」
「いいだろう。仕方ない」
あっさりと承諾したルークに内心驚いたが、それほど切迫しているのだろう。
「では私は街に出向きます」
結界ハーブが詰まった麻袋を手にすれば、フレヤは騎士から道を開けられる。
こんなことになって外出が許されるなんて複雑だ。
フレヤは急いで神殿の外へと出た。
フレヤが街に向かってすぐ、ルークは呼び出した神官長に告げた。
「おい、チェルシーを連れてこい」
神官長は両手を前に組み、汗をたらしながら答えた。
「それが……行方知らずです」
「何だと!?」
☆☆☆
「まったく……」
遠くから轟音とけたたましい声が聞こえる。どうやら時間はないらしい。
「あの王子、ろくなことしないわね!」
フレヤは腕まくりをすると、街の方向に向かって走り出した。
街に近付けば、王宮に向かって逃げていく人たちで道が混雑していた。
フレヤは逆流するように人の間をなんとか縫って行く。
「呆れた……」
その逃げまどう人の中には、騎士の姿もあった。
街の入口を守っていた門番までいる。フレヤの結界をバカにしていた人たちだ。
(私はなんのために……)
虚しくなる気持ちを押さえつける。この街にはパン屋夫妻だって住んでいるのだ。何の罪もない国民を無能な王族のせいで被害に遭わせるわけにはいかない。
いつも仕掛けていた場所を目指して走る。もぬけの殻になった門の前には、フレヤが置いていた小瓶が横たわっていた。
「あった!」
急いでハーブを詰める。間一髪で直前に迫った魔物は、フレヤの設置したハーブに顔をしかめ引き返していった。
しかし、別の場所からはまだ魔物の声が聞こえる。ここが通れなくとも、他の場所から侵入されては意味がない。
(あのバカ王子、いったいどれだけの魔物をアウドーラに仕向けようとしていたの!?)
休んでいる暇などなく、フレヤは次の場所を目指して走った。
「よし、ここで二か所目」
息が苦しい。フレヤはエアロンに乗って空から散布したことを思い出し、首を振った。今はエアロンもノアもいないのだ。
「時間がない。早く街の門を全部回らないと」
アウドーラの竜騎士団には、魔道具を取り付けた自転車もあった。イシュタルディアは魔道具の技術に秀でているくせに、国民にまで恩恵はおりていない。先の戦争で技術者を王家に囲われてしまったからだ。そして今回仕掛けようとした戦争でもだ。
「アウドーラと比べても仕方ないのにね」
隣の国が良く見えてしまうのは、この国がダメすぎるからなのか。
フレヤは両頬を手で挟むようにぱちんと叩いた。
「結界さえ動けば、国は守られる。正念場よ、フレヤ! …………え?」
次に向かおうとしたフレヤの目に、ここにいるはずのない人の姿が映った。




