31.不穏な
馬車から降り、国王と別れるとノアが出迎えに来ていた。
「フレヤさん!」
パッと明るい表情でフレヤを見つけ寄って来る。
「兄上はなんと? お話はどうでした?」
落ち着きのないノアがフレヤの周りをうろちょろとする。
(もう)
緊張で張りつめていた気持ちが、子犬によってほぐされる。フレヤは思わず笑顔になった。
「うまく……いったんですね?」
フレヤの表情に、ノアの瞳に期待が宿る。
(これは……)
待つと言ったのに、ノアは先ほどの続きを期待しているようだ。
「話だけで、まだこれから――」
「フレヤさん」
手を取られ、まっすぐに見つめられる。
(ま、待て!!)
そう言いたくなるほど強引な手に、フレヤの心臓が落ち着かない。
ノアの瞳が、もう待てないと訴えている。子犬のくせに、こういうときだけ雄になるなんてずるい。
「ノア、私――」
「フレヤさん」
取られた手を身体ごと寄せられ、抱きしめられそうになったそのとき。
「ノア!!」
慌てた様子のユリウスが走り込んできた。
二人は光の速さで身体を離す。
(さ、散々煽っておいて、このタイミングで来る!?)
まだうるさい心臓を抑えつけユリウスを見ると、いつもの余裕さはなかった。
「イシュタルディアの王太子が私たちの結婚祝いに駆けつけた」
「!?」
ひゅっと息を呑んだフレヤにユリウスが頷く。
「いくら休戦協定を結び友好関係を築こうとしているとはいえ、イシュタルディアの王族がアウドーラに来るなんて今までなかった。このタイミングもあるし、フレヤは急いで騎士団に戻ったほうがいい。あそこなら安全だ」
「僕が送ります」
頷くフレヤにノアが心配そうに腕を掴んだ。
「ノア、お前も王族なのだから抜けたらまずいだろう。王太子を出迎えるんだ」
「しかし」
苦慮するユリウスに食ってかかろうとするノアを見て、フレヤは彼の腕をそっと振り払った。
「私は一人で大丈夫だから」
心配するノアを何とか宥めて、ユリウスの乗ってきた馬車へと押し込む。
二人が乗った馬車を見送ると、フレヤは一人で騎士団への帰路についた。
聖堂から竜騎士団がある王城内の敷地までは目と鼻の先だ。こんなところで何かあるはずがない。
それにルークはきっと王城で待機しているはずだから、フレヤが会うこともない。
もうすぐ門が見える。安心しきって歩いていると、建物の間の狭い路地から伸びた手にフレヤは腕を掴まれた。
「!?」
路地に引き込まれ、壁に背中を押し付けられた。
突如として光が遮られた薄暗い場所でもわかる。フレヤはここにいるはずのない人物に向かって叫んだ。
「王子……!」
ルークの護衛に身体を押さえつけられ、身動きができない。
なんでここに、と驚くフレヤにルークはにたりと笑った。
「人質のくせに上手くアウドーラに取り入ったみたいだな」
「あなた! 王弟殿下の結婚祝いに来たんでしょう!? 勝手に出歩いていいの!?」
「あいかわらず口うるさいな。そんなもの、これがあれば抜け出すのは簡単だ」
ルークの手の中には魔石が握られている。
「王子、また私的に魔石を使ったのですか!? イシュダルディアはそんな無駄使いをしている余裕はないはずです!」
「うるさい!」
ルークの叫びとともにフレヤは護衛に身体を壁へ叩きつけられた。
「国のためにこそ魔石は使われるべきよ!」
「うるさい! お前に説教されるために会いに来たんじゃない!」
押さえつけられてなお、身体を乗り出し訴えるフレヤの口をルークが手で覆った。
「それに、魔石なら湧いて出るから大丈夫だ。……まさか汚らわしい竜から取れるなんて」
「!?」
顔色を変えたフレヤを見て、ルークが気味悪く笑う。そしてフレヤの口を塞いでいた手は口の両端を挟みこみ、唇を尖らせる形にされる。
「フレヤ、竜から取れるだけ魔石を取ってこい。お前を第二の大聖女として迎え入れてやろう。なんなら、俺の愛妾にもしてやるぞ」
「お断りします」
「な!?」
意外だとばかりに驚くルークにフレヤは呆れた。
どうして自分がそんな提案に飛びつくと思ったのだろうか。
「私はもうイシュダルディアには戻りません。アウドーラの民として生きていきます」
きっぱりと告げると、ルークの手がフレヤから離れた。
「……やはり報告通りか。それなら作戦変更だ」
ルークはブツブツと呟くと、にたりと笑った。
「転移は一度行った場所なら行ける。そのことはお前も知っているな?」
(何? 今さら……)
説明口調のルークを気味悪いと思いながらも、様子を窺う。
「そして聖女は逃げられないよう、国で登録されているのを知っていたか? 俺たち王族はいつでも聖女のいる場所に行けるのだ」
(魔道具!!)
ルークは魔石とは別に小さな四角い箱を見せた。
おそらくそれに、聖女の聖力が登録されているのだろう。このアウドーラでフレヤを狙って待ち伏せできていたことにも納得がいった。
「お前を連れ戻すことは簡単だ。しかし、猶予をやろう」
「誰が……っ」
ただのバカ王子だと思っていたのに、初めて恐ろしいと感じた。
護衛の手が緩んだのを見計らったフレヤは、するりと抜け出して走った。
表にさえ出れば、騎士の目につく。そうすれば追っては来ないだろう。
(転移は魔石一個を消費する。護衛を含めれば2個。無限にできるわけじゃないわ!)
必死で光に向かって走る。
「勘違いするなよフレヤ! お前はイシュダルディアからの人質だ。敵国のお前がここで生きていけるわけがない!」
後ろでルークが叫んでいたが、フレヤは必死で走った。すぐに街の表に出たが、城門まで一気に駆け抜ける。
門を抜け、竜騎士団の方向へ走ると、人にぶつかった。
「フレヤさん!?」
ぶつかったのはノアだった。
ノアは驚きながらもフレヤを受け止めてくれていた。
「どうして」
「やっぱり心配で戻ってきました。顔が青いですが大丈夫ですか?」
吸い寄せられるようにノアにすがりつく。
「……っ! フレヤさん?」
フレヤはノアに抱きついていた。
「ごめ……」
震えて動けなくなったフレヤの背中を、ノアが優しく撫でてくれる。
いつかとは逆の光景に少し笑えてきて、フレヤは落ち着きを取り戻した。
(さすがに竜騎士団には手出しできないはず。諦めて帰ってもらわないと……。でもどうして王子は魔石のことを知っていたの? あのことは限られた人しか知らないのに)
「フレヤさん? 部屋まで送りますよ」
抱きしめたままノアが恐る恐る聞く。しかしフレヤの頭は考え事でいっぱいだ。
(まだわからないことが多すぎる。どこから情報が漏れたのか調べないと)
「フレヤさん?」
「ひゃっ!?」
考えこむフレヤを子犬の顔が間近で覗き込む。フレヤの頭からはぽーんと考えがすっ飛んでしまった。
「何かあったんですか?」
(まだノアには言えない)
フレヤは首を振ると笑顔を作った。
「何でもない! 国王陛下にお会いして疲れちゃったかな?」
「そうですか……」
ノアはまだ心配そうな瞳で見つめると、フレヤの手を自身のものと絡めた。
「じゃあ早く休んでください。明日からまた仕事ですから」
「うん……」
ノアと手を繋いだまま歩き始める。
まだお互いに気持ちを伝えていないのに、当たり前のようにあるこの距離がもどかしくて、くすぐったい。
(騎士団に情報を漏洩している人がいるかもなんて、ノアを傷付けるだけかもしれない。それに……もし信じてもらえなかったら、今の私には耐えられないわ)
手から伝わる熱がフレヤを弱気にさせる。
言いたいことを言って、やりたいことをやってきた。それは相手が自分を無下に扱ってきたからだ。
大切な人がいるとこんなにも躊躇するのだと、フレヤはノアの背中を見ながら思った。




