10章 放っておくわけには
クレオーメ帝国をたったの五日で駆け抜けた馬車は、アベリア王国に入ってからほんの一週間で王城にまで辿り着いた。
夜も休まず駆け抜けたのだから当然かもしれない。
「これでは、まるで罪人のようね」
クラリッサが呟くと、向かい側に座っているカーラが眉間に皺を寄せる。
「クラリッサ様、そのようなこと言うものではありません」
「でも、見てよ。この城を」
窓の外に、クラリッサが生まれ育った王城が見える。
正門の前にはいつもの倍以上の数の衛兵が立っており、いかにも厳戒態勢といった様子だ。
門を抜けた後も、通路や庭園の巡回兵が明らかに多い。
アベリア王国騎士団の制服を着ているが、王国とは異なる礼の姿から、ベラドンナ王国の者達だと分かった。
「これでは、ここがどの国なのかも分からないわ」
「……警戒されていますね」
「いくらお母様がベラドンナ王国の王女だからって、王城の中に兵士を引き入れているのは問題だわ」
「国王陛下はどうお考えなのでしょうか」
カーラが言う。
クラリッサは苦笑して、カーラの頭をぽんと叩いた。
「お父様なら、どうやって何事もなくこれを終わらせるかしか頭にないわよ」
いつだってそうだ。
争いを好まない平和な国王だと、弱者を虐げない良い君主だと言われることもあるクラリッサの父親だが、クラリッサは一度も名君だと思ったことがない。
ただ自ら決定することを恐れ、周囲の者の良い行いを自らの評価となるよう誘導し、国民にそれがばれないようにと怯える愚か者だ。
だから王妃が金山が発見されたことを隠して土地をベラドンナ王国に献上しても、アベリア王国の予算を横領していても、死んだ元王妃の子供であるアンジェロが虐げられていても、クラリッサが悪女として振る舞っていても、全て他人事として見て見ぬふりをしてきたのだ。
側近達やエヴェラルドが立てた功績を自らのものにすることに、忙しかったから。
幼い頃に抱き締められた記憶もない。
ただ血だけ繋がったろくでもない父親を、どうして敬おうなどと思えるだろう。
「私をここに呼び戻したのはお母様よ。きっと怒っているわ」
クレオーメ帝国からアベリア王国までの距離をも忘れて、遅いと思っているかもしれない。
「そんな……!」
カーラが両手で口を覆う。
クラリッサはその両手をそっと掴んで、安心させようと微笑んだ。
馬車は主城の王族用玄関前で停車した。
クラリッサは長時間乗っていたが故の身体の痛みを感じさせないよう、背筋を伸ばして優雅に馬車を降りる。
出迎えにやってきていたのはエヴェラルドだった。
エヴェラルドがいつも連れている騎士達と、側近の貴族令息が一緒だ。
その顔には、何故帰ってきたのかと書いてある。
「──おかえり、クラリッサ」
「ただいま帰りました、お兄様」
優雅に笑顔を返して差し出された手を取ると、慣れた仕草でクラリッサをエスコートしてくれる。
「疲れただろう、部屋に戻って休むと良い」
「ええ、疲れましたわ。あの騎士達、途中宿もとらないのですもの。私のことを何だと思っているのかしら。全員クビにしたいくらいですわ」
玄関を抜けて回廊へ。
城内にも騎士が多く立っており、物々しい雰囲気だ。官吏達が威圧感で小さくなりながら働いていた。
クラリッサはエヴェラルドの騎士達に周囲を囲まれながら、久し振りの自室に辿り着いた。
真っ赤なふかふかの絨毯に、レースがふんだんに使われた天蓋とテーブルクロス。無駄に宝石がちりばめられた調度。
目に痛い自室が自分のものではないように感じられて、クラリッサはソファーに座って目を閉じた。
「──クラリッサ、帰ってくるなと言っただろう?」
向かい側に座ったらしいエヴェラルドの声がする。
クラリッサは手の平で両目を覆い、深い溜息を吐いた。
「そう言われても、放っておくわけにいきませんわ。アンジェロの体調はどうなのですか?」
「……暗殺者の矢が掠って、塗ってあった毒にやられたらしい。解毒剤を用意させて、今はもう部屋の中を動けるくらいには回復したよ」
エヴェラルドがクラリッサを安心させようとしているのか、ゆっくりとした口調で言う。
クラリッサは肩の力を抜いた。
「良かった……ありがとうございます、お兄様」
これほどベラドンナ王国の兵力がアベリア王国に入り込んでいたら、後ろ盾がないアンジェロに助けの手が伸びることはないかもしれないと思っていたのだ。
解毒剤を飲むことができたということは、エヴェラルドが動いてくれたのだろう。
「そんな悠長なことを言っている場合じゃない。私には支持者がいるが、クラリッサ、お前は──」
「ええ。私は、お母様の愚かな駒ですわ」
「分かっていてどうして!」
「私が戻ってこなかったら、アンジェロは本当に死んでしまうと思ったからですわ!」
クラリッサはアンジェロを守ってきた。
クラリッサ以外の者がアンジェロを虐めないように、自分の玩具だから手を出すなと口にして、表では毒を盛る演技をし、口汚く罵り、わざと痣に見える化粧をさせて。
そうして、クラリッサ以外の悪意が幼いアンジェロに降りかからないようにして、怪我をしていたら手当てをして。
アンジェロが重傷になって寝込んだ時点で、クラリッサは帰る以外の選択肢を持っていなかったのだ。




